正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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1863~1864年、馬関戦争(下関戦争)

長州藩が英・仏・蘭・米の四ヶ国連合軍と戦った。

長州藩が関門海峡を封鎖した。
関門海峡は日本の領海内だが、そこを勝手に外国船は航行していた。
関門海峡を通っていたアメリカ船を攻撃して、戦争のきっかけとなる。
その後も、フランスやオランダの船を襲撃した。
近代兵器を持つ連合国軍は弓矢や刀で戦う長州軍に勝ったが、
死傷者は連合国軍のほうが多かった。

この戦争の講和をまとめたのは高杉晋作である。

長州藩は講和後に方針を転換し、長州征伐を狙う幕府との戦いに備え、
欧米から新知識や技術を積極的に導入、軍備軍制を近代化し、
イギリスから武器の密輸を行ない、
同時期に近代化路線に転換した薩摩藩とともに倒幕への道を進む。
2010/02/27 06:00|年表リンク用資料
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