正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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東京裁判 速記録 第320号から、
いわゆる「南京大虐殺」についての松井石根大将の証言部分を抜粋

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国立公文書館 アジア歴史資料センター
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A級極東国際軍事裁判速記録(和文)
昭和22.11.21~昭和23.2.10(第319~370号)
http://bit.ly/Topp47

14/437~21/437 が『速記録 第320号』

東京裁判 速記録 第320号から、
いわゆる「南京大虐殺」についての松井石根大将の証言部分を抜粋

『極東国際軍事裁判 速記録 第320号』昭和22年(1947年)11月24日(月)P6
『極東国際軍事裁判 速記録 第320号』昭和22年(1947年)11月24日(月)P11
『極東国際軍事裁判 速記録 第320号』昭和22年(1947年)11月24日(月)P12~13
『極東国際軍事裁判 速記録 第320号』昭和22年(1947年)11月24日(月)P14~15

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『極東国際軍事裁判 速記録 第320号』昭和22年(1947年)11月24日(月)P6

マタイス弁護人が松井石根大将の宣誓口供書
(弁護側文書2738号=法廷証3498号)を朗読

・・・・・

5、南京占領に際し執りたる処置並に所謂南京略奪暴行事件
(前略)
予の南京占領に対する周到なる配慮に係らず
占領当時の倥惚たる状勢に於ける興奮せる一部若年将兵の間に
忌むべき暴行を行いたる者ありたるならむ。
これ予の甚だ遺憾とするところなり。

因に南京陥落当時、予は南京を去る略々140哩の蘇州に於て病臥中にて、
予の命令に拘らず、之等非行の行われたることに就き之れを知らず
又何等の報告に接せず
17日、南京入城後、初めて憲兵隊長より之れを聞き、
各部隊に命じて即時厳格なる調査と厳罰を為さしめたり、
ただし戦時に於ける支那兵及一部不逞の民衆が、
戦乱に乗じて常習的に、暴行奪略を行なうことは、
周知の真実にして南京陥落当時に於ける暴行奪略も
支那軍民の冒せるものも、また少なからざりしなり。
之れを全部、日本軍将兵の責任に帰せんとするは事実を誣ゆるものなり。

予は12月17日、南京入城式、翌18日、
同飛行場にて極めて安静裡に慰霊祭を行ない、
更に19日、将兵十数名を伴い、南京市内各地を巡視したるが
火災は既に止み、市内平穏にして避難民も順次其の家宅に
帰来しつつあるを見たり、なお当時わずかに約20名の遺棄せる支那兵の
戦死死体を見たるのみにて市内の秩序は概ね快復しつつあるを認めたり。
ただし南京城内の水道、電燈、設備および重要なる官公建築物が
日本軍入城前、支那軍により破壊せられ居りたるは事実なるも
火災は割合に少なく、焼失せるは前後、数十件に過ぎざるべし。

要するに予は南京陥落後、昭和13年(1938年)2月まで上海に在任せるが、
その間、昭和12年12月下旬、南京において
ただ若干の不法事件ありたりとの噂を聞知したるのみにて
何等斯る事実につき公的報告を受けたる事無く
当法廷において検事側の主張するが如き大規模なる虐殺暴行事件に関しては
1945年終戦後、東京における米軍の放送により
初めて之を聞知したるものなることを茲に確言す。

予は右放送を聞きたる後、我軍の南京占領後の行動に対して
調査を試みたれども、当時の責任者は既に死亡し又は外国において
抑留処罰せられ、諸書類はことごとく焼却せられたる為、
10年前の過去にさかのぼりて当時の真相を仔細に吟味証明することを
得ざれども、予は南京攻略戦闘に際し、支那軍民が爆撃、銃砲火等により
多数死傷したることは有りしならむも、検事側の主張する如き計画的
又は集団的に虐殺を行いたる事実断じて無しと信ず。

日本軍幹部が之を命じ、又は之を黙認したりというごときは、
はなはだしく事実を誣ゆるものなり。
(後略)

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『極東国際軍事裁判 速記録 第320号』昭和22年(1947年)11月24日(月)P11

・・・・・

●ノーラン検察官

さて、あなたの宣誓口供書の第9ページのしまいにおいて、
あなたはこういうふうな残虐行為の報告を聴いて各部隊に命じて
厳重なる調査処罰をなさしめたと言っております。
これらの各部隊は、あなたが命令しましたところの調査の結果を、
また、あなたに報告してきましたか。

●松井証人

先刻から申すように、各部隊は直接私に報告をする関係にはありません。
報告を受ければ両軍の司令官から受けるのであります。

●ノーラン検察官

そういうことは私は重々承知しております。
あなたが命令しましたところの調査、これらの結果として、
あなたの部下の2人の軍司令官から、どういう報告が来ましたか。

●松井証人

それは私が翌年2月、上海を離任するまでは何等の報告を受けておりません。

●ノーラン検察官

あなたのところに報告せよというふうに、
あなたから要請したことはありますか。

●松井証人

ありました。

●ノーラン検察官

その答えに何と言って来ましたか。

●松井証人

調査中、せっかく調査をしておりますから、
調査の上で報告するということでありました。

●ノーラン検察官

そうして結局あなたは1938年、すなわち昭和13年2月になって
中国を離れるときになるまで報告を全然受けなかったというのですね。

●松井証人

そうです。

●ノーラン検察官

あなたの部下の部隊の南京における行動に関して、
日本の参謀本部は、あなたと何か直接連絡をしましたか。

●松井証人
部隊の行動について?

●ノーラン検察官

部隊の将兵の態度、振舞に関して。

●松井証人

何も私にあてて参謀本部から、そういう交渉があったことは
私は承知しておりません。

●ノーラン検察官

それでは東京のいかなる機関からでもよろしいが、
また中国のいかなる出先に対してでもよろしいが、
そういうことに関してなされた連絡報告というものがあったかどうか
ということを御存知ですか。

●松井証人

何等存じません。
ただ昭和13年1月下旬と思いますが、
参謀本部から本間少将が参りましたときに、
暴行を日本兵が行なったということについて
東京で心配しておるということを聴きましたことはあります。

●ノーラン検察官

しかしあなたが今言ってらっしゃるのは、
1月下旬のことでありますが、
私のあなたにお聴きしておるのは1月上旬、12月下旬のことなのであります。
そのころ、あなたに東京の政府官憲ないしは軍官憲方面から
日本の将兵の中国における行動に関して
何か照合報告があったかということを御存知ありませんか。

〔モニター:中国におけるあなたの隷下にある軍隊の振舞・行動に関して
抗議を申し込まれたということがありましたか〕

●松井証人

何も聴きません。

●ノーラン検察官

それでは上海派遣軍の司令官の朝香宮に対して何か通告がなされましたか。

●松井証人

どこからですか。

●ノーラン検察官

日本から。

●松井証人

それも聴きません。

●ノーラン検察官

それでは日本のみに限らず、どこからでも彼に対して持ち込まれた苦情報告が
あったということを聴きませんでしたか。

●松井証人

聴きません。

●ノーラン検察官

さて、12月17日の入城式の後、あなたはその部下の将校を全部集めました。
あなたがこの集合を命じた将校というのはだれでありましたか、
どういう種類の将校でありましたか。

●松井証人

それは17日ではありません。
18日です。
18日に当時、南京におった日本の全軍を集めて慰霊祭をやりました。
その慰霊祭に集った各軍、各師団の将校を、
なるべく多く集める意味で集合を命じましたから、
大体、連隊長以上の各隊長は皆集って来たと思います。

●ノーラン検察官

どうして、これらの将校を集合せしめたのですか。

●松井証人

それは、その前日、17日に私が参謀長から憲兵隊の報告といって
暴行事件を聴きましたから、それに対して直接、
私が各部隊長に訓示を与える目的で召集したのであります。

●ノーラン検察官

南京において暴行事件が続けられました期間は
大体どのくらいでありましたか、知っておりましたか。

●松井証人

どうもそれはよくわかりませんが、
入城直後だったろうと思います。

●ノーラン検察官

あなたは法廷記録3922ページにありますところのマギー証人の証言、
次に法廷記録2644ページにあります
ベーツ証人の証言をお聞きになったでしょう。
彼らの言を借りますと、
南京における暴行事件は、南京陥落後6週間にわたって行なわれたということ
を言っておりますが、そのことについて、あなたは知っておりましたか。

●松井証人

よくそのことを聞きましたけれども、それは私は信じません。

●ノーラン検察官

あなたの宣誓口供書は10ページで、あなたは次のように言っております。
「南京陥落当時における暴行・奪掠等も
支那軍民の冒せるものもまた少なからざりしなり」

そういうことが、どうしてわかりますか。

●松井証人

それは中山参謀、日高参事官あたりを南京に派遣して調査させて、
その報告によって、そういうことを承知したので、あります。

●ノーラン検察官

その調査の報告を受けたのは、いつでしたか。

●松井証人

私はよく記憶しませんが、1月の半ばくらいだろうと思います。

●ノーラン検察官

彼らは、その報告書の中で日本軍によってなされたところの犯罪についても
述べておりましたか。

●松井証人

述べました。

●ノーラン検察官

それでは、どういうことが報告されておったか言ってください。

●松井証人

報告書ではありません。
口頭でもって私が報告を受けたのですから、
その内容をよく記憶しておりません。

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『極東国際軍事裁判 速記録 第320号』昭和22年(1947年)11月24日(月)P12~13

●ノーラン検察官

それではその件について、
あなたが覚えておるところを言ってください。

●松井証人

事件の起った後に行って調査したのでありますから、
現行犯を調べたのでなし、何も確実な調査報告を受けることは
できなかったのであります。

●ノーラン検察官

それでは彼らに対して、もう一度現場にもどって、
そうしてさらに調査し、もっとよい報告を持って来いと命令しましたか。

●松井証人

そういうことは軍の参謀や外務省の人たちが調査しても、
もうあとのことで、なかなか調査はできないので、
やはり軍司令官をして各部隊について調査させるよりほか
方法はなかったのであります。
従ってその報告を急にまとめるということは容易でなかったのであります。

〔モニター:ちょっとお待ちください。
日本語速記者今のところ読み返してください〕

〔日本語速記者朗読〕

〔英語速記者朗読〕

●ノーラン検察官

それであなたが日本に向かって中国を去られるころになっても、
まだその報告を受け取っていなかったということですね。

●松井証人

さようです。

●ノーラン検察官

あなたは12月18日に南京の首都飯店において、あなたと会話をしたことが
あるという岡田の証言を先日お聴きになったでしょう。
これは法廷記録3274ページにあります。
そしてその時あなたは彼に対して、非常に遺憾であると言った。
いつの間にかあなたはその街に大変な災禍をもたらしてしまった。
うっかりして大変な禍を街にもたらしてしまったということで、
非常に遺憾であるということを彼に言ったと彼は証言しました。
そういうふうな意味の言葉を岡田に対してあなたは言いましたか。

●松井証人

申しました。
私は常に、証人が証言いたしましたように、
南京を占領するのも平和的にこれを占領したいという希望でありまして、
南京を兵乱のちまたにしたくなかったのであります。
それが思うようにいかなかったことは、
はなはだ遺憾であったと私は言ったのであります。

●ノーラン検察官

その街に対して大変な災禍をもたらしたということを言ったときに、
そういう意味であなたは言ったのですね。

●松井証人

さようです。

●ノーラン検察官

あなたの宣誓口供書の中で言及しておりますところの12月19日に
あなたが行ったというその視察の途次において、
あなたは難民地区にも入ってみましたか。

●松井証人

難民地区には入りませんでした。

●ノーラン検察官

それでは岡田証人の証言したように、あなたはそれらの難民地区において、
事実あなたが直接、避難民と話し合ったことがあるわけではないのですね。

●松井証人

難民地区ではありませんが、
何とかいう山の上のお寺に多少難民がおりました。
そこでその難民と話したことはあります。

●代理裁判長

15分間休憩いたします。

午後2時45分休憩
―――→・←―――
午後3時開廷

●法廷執行官

これより審理を続行いたします。

〔松井証人証人台に登る〕

●代理裁判長

ノーラン代将

●ノーラン検察官

さて、休廷前あなたの指揮しておった軍隊が、
南京において非常な悪影響を及ぼしたということについて、
あなたは非常に残念だったということについて話を進めておりました。
さて、記録の3893ページでもって、
中山証人が次のように証言したということが出ております。
すなわち、あなたが参謀長の塚田将軍に対して、
全参謀将校に対して命令を出すことを命令したと言っております。
そしてその命令は次のように書いてあったと言っております。
南京は中国の首都であるから南京の攻略は国際的な事件である。
中国をして日本の皇軍あるところの軍隊の戦果によって、
中国に強い印象を与えるために、中国を喫驚せしめるために、
さらに注意深くこの点に対して研究しなければならない。
ただいまのような意味の命令をあなたは出しましたか。

●松井証人

出しました。

●ノーラン検察官

さて日高証人の件に帰りますが、
彼は上海に駐在しておりました日本の領事館の
館員であったのではありませんか。
私の了解は正しいのですか。

〔モニター:領事官憲であった〕

●松井証人

大使館の参事官です。

●ノーラン検察官

上海においてですね。

●松井証人

事件前は大使館は南京にあったのです。

●ノーラン検察官

しかし事変の後は大使館は上海に位置していたのですね。

●松井証人

さようです。

●ノーラン検察官

彼がすなわち南京における外人居留民からの
苦情の報告を受けたところの官憲でしたね。

●松井証人

さようです。

●ノーラン検察官

あなたが調査するように要請したところの役人というのは、
すなわち彼のことですか?

●松井証人

そうです。

●ノーラン検察官

あなたが調査を命じたのは、1938年(昭和13年)
1月のことでしたか。

●松井証人

さようです。

●ノーラン検察官

そして彼があなたに復命したのは、口頭で報告したのであるというふうに
あなたは証言しましたか。

●松井証人

さようです。

●ノーラン検察官

そして彼はそのときにたえずひっきりなしに、
南京の外人居留民からいろいろの苦情の報告を
受けていたということをあなたに言いましたか。

●松井証人

さようなことは聞きませんでしたが、
おもに日高参事官にしてもらったことは、
南京において諸外国の人、公使館、
並びに諸外国人に与えた損害の賠償などをしてもらったのであります。

●ノーラン検察官

その中には中国人も含まれておりますか。

●松井証人

中国人も含まれております。

●ノーラン検察官

そして彼の調査は彼の手もとにありましたところの外人から持ちこまれた
苦情の報告書を基礎として、報告を行うということになっていたのが
事実ではありませんか。

〔モニター:調査を行うということが事実ではありませんでしたか〕

●松井証人

どういう方法で調査したかは、よく私に報告いたしませんでしたけれども、
多分やはり難民地区の外国人の報告を根拠として調査したと思います。

●ノーラン検察官

あなたはそういうふうな外国人から来ましたところの
苦情の報告書というものが存在していたということは
知っていたのではありませんか。

●松井証人

その当時、特にそういう報告が、裁判所で承知いたしましたように、
多数あったということは聞きませんでした。

●ノーラン検察官

それでは、なぜあなたは、そういうふうな報告を基礎として
彼が調査をしたのであろうなどということをここで言うのですか。

●松井証人

それはここでそういう報告を多数領事が
せられたということを聞きましたから、
多分それによって報告しただろうと、私は今想像しております。

●ノーラン検察官

あなたの宣誓口供書第10ページの中ほどで、
あなたは次のように言っております。
南京市内各地を巡視したるところ、
「当時わずかに約20名の遺棄せる支那兵の戦死、死体を見たるのみ」と。
女、子供を含むところの中国の地方民、非戦闘員の死体をいくつあなたは見ましたか。

●松井証人

さようなものは一つも見ませんでした。

●ノーラン検察官

私があなたにただいまのような質問をするわけは、
とりもなおさず、法廷速記録3461ページに出ております法廷証257の
尋問調書の中で、あなたは次のような質問を受けておるからであります。

 質問、あなたは南京に12月7日に入っておると言っておりますが、
 そのときにあなたは、非戦闘員の女、子供の死体とか、
 そういう種類のものの死体、そういうものを見たことがありますか。

ところが、これに対するあなたの答えは、

 答、死体はもうそのころには取り除かれていた。
 そして私の見たのは西の門の附近で
 2、3の中国兵の死体を見ただけであった。

ただいまの答えによって、あなたが南京に到着したころには
すでにもはや殺された中国人の、民間人の女、子供の死体は
すでに取り除かれていたということを意味したというふうに
了解していいですか。

●松井証人

それははたしてそういう女、子供を南京戦で殺した事実があるのか、
ないのか、私は存じません。

●ノーラン検察官

それではなぜあなたの尋問調書の中で、
それらのものは入城までには全部片づけられておりましたと言ったのですか。

●松井証人

そういうことは、当時、申しましたかどうか知りませんが、
あったらば、むろん片づけられてあったろうと、
私は当時、思ったのであります。

●ノーラン検察官

あなたの宣誓口供書の第10ページのおしまいのほうで、
あなたは次のように言っております。

「余は南京陥落後、昭和13年2月まで上海に在任せるが、
その間、昭和12年12月下旬、南京において、
ただ若干の不法事件ありたりとの噂を聞知したるのみにて、
何らかかる事実につき公的報告を受けたることなし」

と言っております。
その噂というのはどこから出たものですか。

●松井証人

それは当時、支那人はもちろん諸外国人にも、
そういういろいろなデマがたくさん飛んでおったらしいのであります。
そういうものを聞いてきた者の話を私が報告されたのであります。

●ノーラン検察官

また新聞報道からも知ったのではありませんか。

●松井証人

そのころ支那の新聞に多少そういうことが出ておりましたかもしれませんが、
まだそのころは新聞なんかには、
そういうことはあまり出ていなかったろうと記憶します。

●ノーラン検察官

それでは外字新聞で見ましたか。

●松井証人

外字新聞にも多少あったかもしれませんが、
私はずいぶん注意して外字新聞、支那新聞も
当時よく見ましたけれども、
あまりそういう記事は、当時はありませんでした。

●ノーラン検察官

しかし、あなたは、南被告が本法廷記録20015ページにおいて、
南京の暴行事件は全世界の新聞に報道されたということを証言したことを、
お聴きになったでしょう。
ただいま申したような報告の何かを読んだことがありますか。

●松井証人

そういうものを読んだことはありませんが、
もしそういうことが諸外国に報道されたといたしましても、
それはもう少しあとのことではありませんか。
私の上海におるころには、そういうものは見ませんでした。

●ノーラン検察官

あなたは1938年、すなわち昭和13年1月に上海において、
ハーレット・アベンド氏と会見しておりますか。

●松井証人

会いました。二度会いました。

●ノーラン検察官

そしてあなたは彼を迎えにやったではありませんか。

●松井証人

いろいろデマがあるということを聞きましたので、
そういうことをアベンド氏あたりが聞いておるか。
また私の承知しておる話から、事実をなるべく正しくアベンド氏あたりに
知らせたいと思って、特に招んだのであります。

●ノーラン検察官

それでは、換言すれば、そのころ広まっていた噂を緘黙するという目的で
招んだのですか。

●松井証人

緘黙ということは少し語弊がありますが、
事実を報道してもらいたいという私の心持でありました。

●ノーラン検察官

私がただいま緘黙するとか、あるいは噂を一掃するとかいう言葉を
使いました理由は、法廷証257号に載っておりますところの
法廷記録3463ページにおいて、
あなた自身がこういう言葉を使っておるからであります。
そこで、尋問調書の中であなたは次のように聴かれております。

 南京攻略のあと一番最初、アベンド記者に会ったのは、いつですか。

その答えは、

 自分は支那で彼に会いました。
 自分は南京に入城してから一箇月後に
 初めてアベンド氏に会ったと思います

それはアベンド氏が会見を申し込んで会見したのですか。

 答、いいえ、それは風評を聞いており、
 またアベント氏の前で、事実を述べ、風評を打評したいと思いましたので、
 当方から会見を求めました。

これが実際当時行なわれたことですか。

●松井証人

その通りです。

●ノーラン検察官

それではこのアベンド氏の会話の件について、
あなたの証言をしておるその際に、
あなたの念頭に置いておる噂というのは、一体どの噂のことですか。

●松井証人

先刻、検事のお話のように、日本の兵隊が多数の暴行をしたというような
噂に対して、私の信じておる真実をアベンド氏に話して、
当時たくさんの外国の通信員も上海におりましたけれども、
私はアベンド氏あたりが最も信頼すべき人だと思ったので、
特にアベンド氏あたりにそのことを話したのであります。

●ノーラン検察官

こういうような残虐行為が行なわれたなどということを、
だれが言っていたのですか。

●松井証人

だれが言っておったか、私は具体的に申すことはできませんが、
おもに支那人でありましょう。
またその支那人から伝え聞いた外国の人も、
いろいろおもしろ半分に伝えておったことは事実であります。

●ノーラン検察官

それではおもしろ半分ということは除きまして、
実際その話をあなたの耳に入れたのはだれですか。

●松井証人

だれだったか、よくは人を記憶しませんが、私の幕僚です。

●ノーラン検察官

すると、それはあなたの参謀長であったかもわかりませんね。

●松井証人

さようです。

●ノーラン検察官

そこで、あなたはこの事件の真相に関して誤解のないように、
事件の事実についてアベンド氏に話そうとしていたのですね。

●松井証人

さようです。

●ノーラン検察官

しかし当時は、あなたの先ほど命じたと言われたところの調査に関する
報告をまだ受け取ってはいなかったのではありませんか。

●松井証人

受け取ってはおりませんけれども、断片の報告は受けておりました。

●ノーラン検察官

断片的な報告というのは、だれから来たものですか。

●松井証人

それは憲兵隊の報告です。

●ノーラン検察官

憲兵隊から、あなたは一回以上報告を受けておりましたか。

●松井証人

私は直接受けませんけれども、
幕僚が毎日のように受けておりました。

●ノーラン検察官

南京の陥落以後、毎日というのですか。

●松井証人

そうです。

●ノーラン検察官

そうしてこれらの報告というのは、
軍司令官としてのあなたに向けてなされた報告ではありませんか。

●松井証人

その憲兵隊自身も、私の直接部下でありません。
派遣軍司令官の部下でありますから、
直接私にした報告ではないのであります。

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『極東国際軍事裁判 速記録 第320号』昭和22年(1947年)11月24日(月)P14~15

●ノーラン検察官

それでは憲兵隊からこれらの報告を受けました際に、各軍の軍司令官は、
その報告についてどういう処置をとりましたか。

●松井証人

それは事実の判明したものは、軍法会議にかけて裁判をいたしました。
処分しました。

●ノーラン検察官

さて断片的な報告という件に帰りますが、
憲兵隊からの断片的な報告が参謀将校のところに来た、
幕僚のところに来たと言っておりますが、
その幕僚というのは、あなたの司令部にいた幕僚のことですか。

●松井証人

さようです。

●ノーラン検察官

そうしてこれらの報告は、
もちろんあなたのところに報告されたものですね。

●松井証人

元来、軍紀、風紀の維持は師団長が最も重要な責任者であり、
軍司令官はまたその上にこれを監督して、
みずからもっておる軍法会議によって、それぞれ処分をするのであります。
私はその上の・・・・
私の方面軍司令部は、そういう法律機関ももっておりませず、
憲兵隊のような検察に寄る人間ももっておりませんから、
直接、私に報告したということはないのでありますが、
事実を私の参考のために通報したというふうに、
むしろ解釈した方が正しいと思います。

●ノーラン検察官

しかし、あなたの司令部にいましたところのあなたの幕僚は、
憲兵隊から絶えず報告を受けていたのではありませんか。

●松井証人

それは私がやかましく言いましたから、
憲兵隊に行って聴いたのであります。
報告を受けたというよりも、むしろ幕僚が進んで行って
いろいろ事実を調査したというふうに考えた方が正しいと思います。

●ノーラン検察官

そうして調査が済んだ後、彼ら幕僚は、
報告をもってあなたの司令部に帰って来たわけですね。

●松井証人

その当時、まだ戦争中でありまして、軍隊は絶えず移動しておる。
その中に起ったことを具体的に的確に事実を拾い上げるということは、
容易じゃないのであります。
だから自然、私が受けた報告は、断片的な抽象的なものが多いのであります。

●ノーラン検察官

しかしまだ南京には皆そのまま部隊がいたわけであります。
私が聴こうとするのは、南京においてどういうことが行なわれたかという
ことに関して、あなたの幕僚の将校がどういうことを調べ、
そうしてそれをあなたのもとに報告したかということであります。
南京の街は動かないものです。
 そうして南京が陥落した以後も、南京は依然
としてそこにあったのであります。私が聴こうとしているのは、
あなたの幕僚が憲兵隊からどういう報告を受けて、
そうしてそれをあなたのもとにもち帰ったかということ。

〔モニター:南京に何が起りつつあるかということについて〕

●松井証人

いずれも、もう過ぎ去った過去の事実を、
人づてに聞いて調査した報告でありますし、
それを確かめるための方の軍隊は、始終移動しております。
一部は射撃に行くものもあるし、
一部は北支の方へ帰った軍隊もあるし、
また杭州、浙江省の方へ転戦したものもあるし、
非常に混雑しておる中でありますから、具体的な事実を、
はっきり私が報告を受けることはできませんでした。

●ノーラン検察官

それでは昭和13年の1月に、いかにしてあなたがアーベンド氏に対して、
その当時の情勢の真相を伝えることができたのかということであります。

●松井証人

それは主として憲兵隊から聴いたことを根拠として、
私はアーベンド氏に話したのであります。

●ノーラン検察官

ちょっと前に、あなたは軍紀、風紀はあなたの部下の司令官の責任である
というようなことを言いましたね。

●松井証人

師団長の責任です。

●ノーラン検察官

あなたは中支方面軍の司令官であったのではありませんか。

●松井証人

方面軍の司令官でありました。

●ノーラン検察官

そういたしますと、あなたは、それではその中支方面軍司令官の
職というものは、あなたの麾下の部隊の軍紀、風紀の維持に対するところの
権限をも含んでいなかったということを言わんとしているのですか。

●松井証人

私は方面軍司令官として部下の各軍の作戦指揮権を
与えてもらっておりますけれども、その各軍の内部の軍隊の
軍紀、風紀を直接監督する責任はもっておりませんでした。

●ノーラン検察官

しかしあなたの麾下の部隊において、軍紀、風紀が維持されるように
監督するという権限はあったのですね。

●松井証人

権限というよりも、
むしろ義務というた方が正しいと思います。

●ノーラン検察官

それがとりもなおさず、南京入城後、
あなたの部下の将校を招集せしめて、
そうして軍紀、風紀の問題について、
彼らに訓示した理由なのですね。

●松井証人

しかし、あなたはまさかあなたの当時占めておりましたところの
司令官という職務そのものの中に、軍紀、風紀を維持するところの
権限が含まれてはいなかったと言おうとしているのではありますまいね。

●松井証人

私は方面軍司令官として、部下を率いて南京を攻略するに際して起った
すべての事件に対して、責任を回避するものではありませんけれども、
しかし各軍隊の将兵の軍紀、風紀の直接責任者は、
私ではないということを申したにすぎません。

●ノーラン検察官

というのは、あなたの指揮する軍隊の中に、
軍司令官もあったからというのですね。
そうしてあなたはこれらの軍司令官を通じて軍紀、風紀に関するところの
諸施策を行なったのですね。懲罰を行なったわけですね。

●松井証人

私自身に、これを懲罰もしくは裁判する権利はないのであります。
それは軍司令官、師団長にあるのであります。

●ノーラン検察官

しかしあなたは、軍あるいは師団において軍法会議を開催することを
命令することは、できたのですね。

●松井証人

命令すべき法規上の権利はありません。

●ノーラン検察官

それでは、あなたが南京において行なわれた暴行に対して、
厳罰をもって報ゆるということを欲した。
このために非常に努力をしたということを、
どういうふうに説明しますか。
そうしてさらに中支方面軍の司令官として罪を犯した者に―――――
有罪な者には厳罰を与えるということを実現するために、
あらゆる努力をした。
こういうことをどういうふうに説明しますか。

●松井証人

全般の指揮官として、部下の軍司令官、師団長にそれを希望するよりほかに、
権限はありません。

●ノーラン検察官

しかし軍を指揮するところの将官が、部下にその希望を表明する場合には、
命令の形式をもって行なうものと私は考えますが・・・・

●松井証人

その話は法規上かなり困難な問題であります。

●ノーラン検察官

それでは、あなたの部下として働いているものに対して、
あなたが何か言いつけようとした場合には、
あなたはどういうふうにやりますか。

〔モニター:部下に何かをしてほしい場合に、どうしますか〕

●松井証人

私が受けておる権限は、両軍を作戦指導するという権限である。
その以上には何もないのであります。
従って軍紀風紀の問題に関しては、
法規上いかに私の責任を糾すべきかは、
これはかなりむずかしい問題でありまして、
私はここにそれを今明言することはできません。

●ノーラン検察官

しかし、もし東京におけるあなたの軍の上司が、
中国における日本の将兵の振舞態度について
満足できなかったといたしましたならば、
だれをその責任者として東京では考えるでしょうか。
みなすでしょうか。

●松井証人

法規上の問題については、ただいま申した通り、
むずかしい問題でありますから、
当時、東京の参謀本部がどういうふうにそれを考えておったかは、
私は存じませんが、この問題について、私は上海在任中も、
また帰って東京へ来た後においても、
わが参謀総長、陸軍大臣から、
何らこれについて問責されたことはありません。

●ノーラン検察官

それでは、なぜ本間少将が東京からわざわざ中国に、
昭和13年の2月の初旬に出向いていったのか、
その理由を言ってください。

●松井証人

それはもちろん、いやしくも日本軍が南京を占領する際に、
さような暴行を行なったということについては、
非常な心配を中央部がもったことは当然であり、
私もその心配をともにして、部下の軍司令官、師団長をして、
その善後の処置に全力を尽くさしむるように働かしむることも、
当然であると思っておったのであります。

●ノーラン検察官

それでは換言しますれば、
あなたは彼に対して軍紀風紀を維持しなければいかぬというふうに
言ったのですね。

●松井証人

彼とは・・・・・・

●ノーラン検察官

彼らというのは、あなたの部下として、
あなたのもとに働いていた者、そうしてその人たちに対して、
あなたが命令指示を与えた者。

●松井証人

さようです。

●ノーラン検察官

本間将軍は、あなたの司令部にやってきましたか。

●松井証人

参りました。

●ノーラン検察官

そうして彼はあなたに対して東京において受理されていたところの
いろいろな報道であるとか、うわさであるとかいうことについて、
あなたに話をしましたね。

●松井証人

私には直接は詳しいことは話しませんでした。

●ノーラン検察官

しかし、あなたの部下の諸部隊の南京におけるところの振舞態度について、
一般的な話をしましたね。

●松井証人

さようです。

●ノーラン検察官

ただいまの件について、本間将軍に情報を与えたのは、
一体だれですか。

●松井証人

情報を与えたというのは、何のことを意味するのですか。

●ノーラン検察官

しかし、私があなたの言ったところを正しく理解していると
いたしますれば、あなたは日本の軍の上層部が、
南京におけるあなたの部下の将兵の行動振舞について懸念をもっていた、
不安をもっていた、憂慮していたから、
本間将軍を支那に送ったのであるというふうに了解しております。

●松井証人

さようです。

●ノーラン検察官

それでは懸念するような、すなわち上述のような事柄に対して、
懸念、不安をもつ原因となるような情報を、
彼は一体どこから聞きこんできたのですか。

●松井証人

それはこの法廷で私が初めて承知しましたところによれば、
外務省当局から陸軍に通報したことによって、
承知したことと思います。

●ノーラン検察官

あなた自身が東京の司令部に対して、
報告を送ったことはないというのは確かですか。

●松井証人

暴行についてですか。

●ノーラン検察官

そうです。

●松井証人

ありません。

●ノーラン検察官

実際問題として、あなたの耳に入りましたこれらの諸事件に
関するところの報告は、一度もあなたは東京の上層部に
報告したことはないのですね。

●松井証人

私が東京へ帰った後、話として参謀本部の人たちに
話したことはあるかもしれませんが、
公式な報告というものは出したことはありません。

●ノーラン検察官

それでは非公式の報告を送ったことはありますか。

●松井証人

私の記憶するところでは、軍司令官として非公式にも報告するものを
出したことはありません。

●ノーラン検察官

と申しますと、あなたはある事件が起ったということを知っていながら、
その件に関して東京に報告を出さなかったということになりますね。

●松井証人

もし軍紀風紀のことに関する報告をなすべき必要があると
いたしましたならば、その責任者は方面軍司令官ではなかったと
信じております。

●ノーラン検察官

それではその責任はどこにあったのですか。

●松井証人

私はこれを師団長の責任と申したいと思います。

●ノーラン検察官

それでは軍司令官のほうはどうなりますか。
軍司令官はこの問題の中にはいってこないのですか。

●松井証人

そこがやはり法規上困難な問題でありますが、解釈によれば、
師団長が当然の責任者であり、軍司令官を経て
中央部に報告さるべきものと思います。

●ノーラン検察官

それでは、この件について、もう一つだけ最後の質問をいたします。
と申しますと、師団長は彼の報告を東京の中央部に対して、
まず最初に自分の属するところの司令官を経、
またその軍司令官より派遣軍総司令官を経て送るということになりますね。

●松井証人

そうすべきか、方面軍司令官を経ないで、軍司令官から直接報告すべきか、
その辺は法規上、私ははっきり申し上げることはできません。

●ノーラン検察官

しかしいずれにいたしましても、
実際問題としてどういうふうな方法でそれが送られたといたしましても、
それは実際問題として、中支方面軍の司令官を通じて
送られたものではありませんか。

●松井証人

それが法規上正しいかどうかは、はっきり私に言えませんが、
事実においては、私はそういう報告を出したことはありません。

●代理裁判長

明朝9時半まで休廷いたします。

午後4時1分休廷

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不鮮明な旧字体で判別困難な字については、
下記『my日本』メンバーの方々に御協力をいただきました。
敬意と感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。

GEDDYさん
http://sns.mynippon.jp/?m=pc&a=page_f_home&target_c_member_id=42454
飯匙倩蓬瀛さん
http://sns.mynippon.jp/?m=pc&a=page_f_home&target_c_member_id=663
にこごりさん
http://sns.mynippon.jp/?m=pc&a=page_f_home&target_c_member_id=10128
インスペクターさん
http://sns.mynippon.jp/?m=pc&a=page_f_home&target_c_member_id=57918

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東京裁判 速記録 第321号から所謂「南京大虐殺」関係部分を抜粋
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-611.html
いわゆる「南京大虐殺」関連_2_東京裁判関係
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-248.html
いわゆる南京大虐殺・URL図書室
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-518.html

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極東国際軍事裁判 速記録 第320号 P1
極東国際軍事裁判 速記録 第320号 P1
2008/09/24 09:09|年表リンク用資料
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