正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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1866年、薩長同盟

1863年(文久3年)、江戸幕府は諸藩を指揮して長州征伐を行ない、
長州藩を降伏させた。

しかし、高杉晋作が幕府に屈服した反政府に反乱を起こし、
木戸孝允らとともに藩の主導権を奪い返し、
長州藩は再び幕府批判の立場に転じた。

一方、薩摩藩でも、大久保利通や西郷隆盛らが藩政の実権を握り、
薩英戦争の経験から攘夷を一時棚上げして軍備の強化に努めた。
そして江戸幕府と対決する姿勢を強めていった。

1866年(慶応2年)、土佐藩出身の坂本龍馬は、
外国に対抗できる強力な統一国家をつくる必要を説き、
それまで反目していた薩摩の西郷隆盛と長州の木戸孝允を
引き合わせて同盟を結び、両藩が提携して倒幕を目指すことを密約させた。

こうして尊王攘夷運動は討幕運動へと変化していった。
2010/02/26 06:00|年表リンク用資料
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