正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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以下はアメリカ軍が1944年8月、ビルマでの日本軍掃討作戦で捕虜にした
朝鮮人慰安婦20名に対する聞き取り調査であり米軍の公式資料である。

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第二次大戦中に米軍が独自に行ったビルマ(ミャンマー)での、
朝鮮人慰安婦20名と慰安所経営者2名の尋問調書。
Report No. 49:Japanese Prisoners of War Interrogation on Prostitution
報告第49号:売春に対する日本人捕虜の戦時尋問
UNITED STATES OFFICE OF WAR INFORMATION

PREFACE
序文

このレポートはビルマ、ミーチーナ陥落後1944年8月10日前後の、
掃討作戦により捕らえられた、20人の韓国人「慰安婦」と、
2人の日本民間人の取調べから得られた情報である。

このレポートは日本人がどのようにして韓国人「慰安婦」を募集したか、
彼女らの生活、仕事の状況、彼女らの日本軍人に対する関係と反応、
そして彼らの軍事情勢に対する理解度を明らかにする。

「慰安婦」とは、売春婦にすぎない。
もしくは「野営追随プロ」、軍人の利益の為日本陸軍に付属する。
「慰安婦」と言う言葉は日本人特有のものである。

他のレポートでは「慰安婦」とは日本陸軍が戦う為に不可欠なものであり、
どこでも見受けられると記されている。

このレポートではしかし、日本人に募集され、ビルマにて彼らの陸軍に
付属していた韓国人「慰安婦」のみを扱うものである。

日本人は1942年、
ビルマに703名のこれらの女性を送ったと報告している。

RECRUITING;
募集:

1942年5月上旬、東南アジアの新しく勝ち得た属領で、
「慰安奉仕」をさせる韓国人女性を募集する目的により、
日本人代理業者は韓国に到着した。

この「奉仕」の本質は特定されず、病院の負傷患者の訪問、
包帯を巻いたり、軍人を明るくする事に関連する物と考えられた。

この代理業者が動機として利用したものは大金、家族の借金の返済、
簡単な仕事、新天地シンガポールで新しい人生を送れるなどである。
この虚偽の説明に基づいて、
多くの女性が海外勤務に志願し、何百円かの前金を受けた。

これらの大部分の女性は無知で、教養が無かった。
しかし、わずかながらだが以前から売春と関連があった者も居る。
彼女らはサインした契約書により、
家族の借金返済の為受けとった前金の金額により、
6ヶ月から1年間、軍規と「舎監」に束縛された。

おおよそ、800名の女性がこのように集められ、
彼女らは1942年、8月20日前後
ラングーンに彼女らの舎監と降り立った。
彼女らは8人から22人のグループで到着した。
ここから彼女らはビルマの各地、
大抵は近くに日本陸軍基地があるまあまあ大きな町へに分散していった。

最終的に4つのグループがミーチーナにたどり着いた。
彼らはキョウエイ、キンスイ、バクシンロ、モモヤマであった。
キョウエイの一家は「マルヤマクラブ」と呼ばれていた。
が、彼女らがミーチーナに到着した後、
ミーチーナ駐屯地の司令官であるマルヤマ大佐と同じ名前の為変更された。

PERSONALITY;
性格:

取調べでは、平均的韓国人「慰安婦」は約25歳、
無教養、大人気なく、利己的であることを見せる。

彼女は白人の基準からも、日本人の基準からも可愛くはない。
彼女は自己中心的な傾向があり、自分の事を話すのが好きである。
彼女の知らない人の前での態度は静かで、控えめだが、
彼女は「男を手玉に取る方法を知っている。」

彼女は自分の「専門職」が好きでない事を申し立て、
その事や、家族の事に付いて話したがらない。

ミーチーナとレドゥーでの米国軍人から捕虜として受けた扱いにより、
彼女は彼らの方が日本軍人よりも感情的だと感じている。
彼女は中国とインドの部隊を恐れている。

LIVING AND WORKING CONDITIONS;
住居と仕事の状況:

ミーチーナで彼女らは大抵大きな2階建ての建物を宿舎として与えられ、
各女性に個別の部屋が割り当てられ、
各々の女性は生活し、睡眠をとり、業務に勤めた。
ミーチーナでは彼女らの食事は、日本陸軍からの配給が無い為、
舎監によって、準備されそして購入していた。

彼女らはビルマの他の所と比べて高級地近くに住んでいた。
この事は彼らのビルマ2年目では特にそうである。
彼らは贅沢に暮らした、それは彼女らの食事や物質は大量には配給されず、
彼女らが望む品物を買えるだけの十分なお金を持っていたからである。
彼女らは服、靴、タバコ、そして化粧品を買え、実家から慰問袋を
受け取った多くの軍人から、多くのプレゼントを貰っていた。

ビルマに留まっている間は将兵と共に、スポーツイベントに参加したり、
ピクニックに出席したり、娯楽、社交ディナー等で彼女ら自身楽しんだ。
彼女らは蓄音機も持ち、町の中では買い物に行くことも許された。

PRIOR SYSTEM;
優先システム:

彼女らの業務状態は陸軍規定の元にあり、
過密地域では規則は厳格に実施された。

陸軍は過密地域では金額、優先順位、
各種の部隊が過密して働いてる地域での計画が必要だと考えた。
取調べによると、平均的なシステムは以下の通り。

1.兵士……10AM~5PM………1.50円……20~30分
2.NGO………5PM~9PM………3.00円……30~40分
3.将校……9PM~12PM………5.00円……30~40分

これらは中央ビルマでの平均金額である。
将校は12円で一晩留まる事が許された。
ミーチーナではマルヤマ大佐が平均金額のほぼ半分まで金額を削減させた。

SCHEDULES :
日程:

兵士はしばしば建物内の混雑に不満を漏らした。
陸軍は長居をする事に対し非常に厳しかった為、
多くの状況で彼らは奉仕を受けずまま去らなければならなかった。
この問題を解決する為に陸軍は特定の曜日を特定の部隊に割り当てた。

大抵1日に付き、部隊から2人が兵士らを識別する為、建物に駐在した。
秩序維持を為に、憲兵も見回りを勤めた。
下記に記したものがナイミョウに滞在していた間、
第18師団の各種部隊がキョウエイで使用した日程である。

Sunday ----- 18th Div. Hdqs. Staff
Monday ----- Cavalry
Thuesday ----- Engineers
Wednesday ----- Day off and weekly physical exam.
Thursday ----- Medios
Friday ----- Mountain artillery
Saturday ----- Transport

日曜……18師団、司令部、所属
月曜……機甲部隊
火曜……工兵
水曜……休日、毎週の健康診断
木曜……衛生兵
金曜……山岳砲兵部隊
土曜……輸送部隊

将校は週7日来る事が許されていた。
彼女らはこの日程でも過密極まりなく、
その為、全ての客に構っていられないと文句を言い、
それ故多くの兵隊に悪感情をもたらした。

兵士は建物を訪れ、支払いをし、左側に順番、右側に名前の書かれた
約5センチ四方のボール紙のチケットを受け取る。
「彼の順番が来た時」に各々の兵士の身分、階級が明らかにされる。
彼女らは客を拒否する特権を与えられており、
個人が酷く酔っていた時等、頻繁に行使された。

PAY AND LIVING CONDITIONS;
給料と居住状況:

「舎監」は彼女達が契約した時に被った債務金額次第で
彼女らの総収入の50~60%を受け取る。
これによると、月平均で女性は1500円を総収益をあげ、
彼女は750円を「マスター」に返済する事になる。
多くの「マスター」は食事や品物に高値を付け、
彼女らの生活を困難なものにした。

1943年後半、陸軍は債務を返済した女性へ帰省を命令し、
何人かの女性は寄って、韓国へと帰国した。

この取調べでは彼女らの健康状態も良い事を示している。
彼女らはあらゆる種類の避妊用具を十分に支給され、
しばしば、兵士自身も陸軍から支給された物を持って来る事があった。
彼女らは衛生の問題において客と自分の世話が出来る様、
良く訓練されていた。

かかりつけの日本軍医が週に1回訪れ、
病気が見付かった女性は皆治療を受け、
隔離され、最終的には病院へ送られた。
この同じ手順が陸軍内部でも遂行された。
が、興味深い事には兵士は彼が拘束された(病気による隔離)期間の間、
給料を失う事は無かった。

REACTIONS TO JAPANESE SOLDIERS;
日本人兵士への反応:

取調べにより、彼女らと将兵との間柄に置いては、二つの名前に帰結した。
それらは、ミーチーナ駐屯地の司令官である、
あのマルヤマ大佐と援軍を率いて来たミズカミ少将である。
二人は対照的で、前者は堅物で利己的で冷淡で、部下への配慮も無い。
後者は善良、親切な男で、立派な軍人であり、
彼の元で働く部下へも最大の配慮をする。

大佐は彼女らの常連であり、少将が訪れた事は聞かれた事が無い。
ミーチーナの陥落とともに、マルヤマ大佐は逃亡したと思われ、
一方、ミズカミ少将は、
部下を撤退させることができなかった故に自決した。

SOLDIERS REACTIONS;
兵士の反応:

普通の日本軍人は慰安ハウスで見られる事は、
ばつの悪い事のようで、ある女性の言う所によると、
「満員で列に並んで自分の順番を待つのにも恥ずかしがりがち」
しかしながら、極めて多くの結婚の申し込みがあり、
ある場合に置いては実際に結婚した。

全ての女性が彼女らの所へ来た将兵のうち、
翌日前線へ向かう兵士と、酔った物が最悪であると同意した。

しかし同様に、酷く酔った日本人兵士であっても、
彼女らと機密や軍事問題を話題にする者が居ない事にも同意した。

しかし、女性の方から軍事問題の会話を始めても、
将校又は下士官兵は話さず、
むしろ「そのような女性らしくない話題について話す事を説教された。
酔っ払ったマルヤマ大佐でさえ
決してそのような問題について話す事は無かった。」

兵士はよく実家からの雑誌や、手紙や、新聞を受け取ることを
いかに楽しみにしているか表現したと言う。
彼らはまた、缶詰、雑誌、石鹸、ハンカチ、歯ブラシ、
小さな人形、口紅や服であふれた慰安袋を受け取った事にも言及した。

口紅と服は女性の物であり、彼女達は何故実家の人達が
そのような物を送るのか理解出来ないが、
送り主は彼女自身か、現地の女かしか受け入れられなかったと憶測する。

MILITARY SITUATION
軍事情勢

アメリカ軍の爆撃で慰安婦の中には死亡したものもいる。(大略)

RETREAT AND CAPTURE
撤退と捕獲

慰安婦達が撤退する日本軍と別れ、アメリカ軍の捕虜になった経緯

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【テキサス親父】慰安婦は売春婦!証拠はコレだ!と親父ブチギレの巻!
http://www.youtube.com/watch?v=ggQaYD37Jm4

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慰安婦_資料
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2008/09/12 09:00|年表リンク用資料
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