正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観=完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=固定観念=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=戦う人は悪い人=軍民分割統治=団結させない個人主義の洗脳を解き、誇りある歴史を取り戻そう!

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『りやんこ島』

竹島問題の発端は戦前ではなく、1952年1月18日の南鮮大統領李承晩の
国際法を無視した勝手な宣言とそれを履行した南鮮軍の侵略から始まる。
これを正当化するために日本が竹島を編入する前から
「朝鮮が支配していた」と強弁しているが、
発端の行動にも正当化するための資料にも正当性がない。
南鮮はこの正当性のないわがままに基づいて第一大邦丸事件など、
多くの日本人漁船員を虐殺した。

■編入経緯

南鮮は明治38年の日本による竹島編入を「侵奪」という言葉を使い
「朝鮮併合(侵略)の第一歩だ」と主張
(大韓民国外務部外交問題叢書第11号 獨島問題概論)している。

しかし日本が竹島編入を閣議決定したのは日露戦争中の明治38年1月28日。
日清戦争後朝鮮はロシアの傀儡となっていたものの
確かに日本は日露戦争中でも竹島編入頃にはポーツマス条約を待たずに
朝鮮をロシアから引っぺがすことに成功(第一次日韓協約)していたのだが、
時代は国の存亡をかけた戦いの真っ只中であり、
そうでなくとも明治から大東亜聖戦までの日本は
総じて白人のアジア侵略に唯一独力で抵抗していた存在。

白人みたく遠くから植民地がほしくて
出向いて侵略してたなんて余裕な存在ではないのだが、
こと竹島に関しては当時、朝鮮等は関係ない。

そもそも明治36年頃から竹島周辺で海驢の乱獲が激化し、
翌年漁民の一人である中井養三郎が
「りやんこ島領土編入並貸下願」を農商務大臣等三閣僚に提出。
政府はこれを受けて島根県と協議の末、
38年「竹島」と命名して編入閣議決定。
「他国ニ於イテ之ヲ占領シタリト認ムヘキ形跡ナク」
島根県所属隠岐島司の所管となり、
竹島での海驢漁が許可制となり、島根県が実地調査開始。

つまり朝鮮の領土を奪ったのではなく、
編入した領土を戦後南鮮が「自分の領土だった」と言い張ってるだけ
なので侵略という概念もなければ、
朝鮮併合の方針に傾いたのは併合の1~2年前で閣議決定はわずか1年前。
以前から併合を唱える人もいたが、
「朝鮮人なんか皇民にしたら皇民の質が下がる」と反対の色が濃かった。

朝鮮掌握はロシアの属国になったことが原因だが、
併合に関しては竹島編入後のハーグ密使事件起こしたり
元韓国統監殺害したのが原因なので、いずれにしろ明治38年に
「朝鮮併合を目論んでその一発目として竹島編入」というのは
ファンタジーストーリーである。

■勅令第41号

南鮮政府の主張には矛盾があり、駐日韓国大使館のホームページにある
「獨島に対する基本的立場(2008年掲示)」では日本の竹島編入4~5年前の
「勅令41号」に出てくる「石島」が現在の独島だと主張しているが、
その53年前すでに自ら
「独島を鬱陵島の行政区画に編入する明示された公的記録は無い」
と明言している。それが先ほども出てきた
「大韓民国外務部外交問題叢書第11号 獨島問題概論」これは1955年発刊。
なんか支共の「共産党機関紙である人民日報が1950年代に
尖閣諸島は日本領と明記してたのに今になって自国領宣言」
みたいな話で特亜の十八番ネタなのか知らないが別に面白くない。

この石島は観音島と見るのが妥当で、
少なくとも竹島ではない根拠の一つとして
1906年、つまり編入後に朝鮮発行「皇城新聞」の5月には
「本郡(鬱島郡)所属だった独島が日本領になった」と記載してあって
7月には「本郡所属の島は鬱陵島と竹島(現在の竹嶼)と石島」と、
独島と石島が同じものなら何で名前も鬱陵島からの距離も変わったのかとか
根拠を連ねるとかなりの長文になる。

これに関しての詳細を書けば、
島根県の竹島視察団が実地調査してて天候悪化、
一行は鬱陵島に避難して鬱島郡守を表敬訪問
「竹島が日本領に編入されたんでよろしく」
鬱島郡守は上司に「本郡所属だった独島が日本領になった」と報告、
その上司が議政府賛政大臣に報告すると大臣はその上司に
「該島の形便と日本人の行動をさらに調査し、報告せよ」と指示。
これが5月の記事。
統監府が内部省に鬱島郡の設置顛末を問い合わせ、内部からの回答が
「本郡所属の島は鬱陵島と竹島と石島」これが7月の記事で
つまり朝鮮の竹島領有説は誤りだったと認める回答で、
5月記事はつい最近の「KBSによる海自ヘリ竹島上空無断侵入」
と同じ誤報ということになる。

そもそも「該島の形便を調査し、報告せよ」なんて
中央政府が竹島について把握してなかった証拠。
話戻るかもしれないが「日本は朝鮮併合を狙ってその一発目が竹島」
とするためには竹島が朝鮮領だったことが証明されなければ始まらない話。
その証拠根拠が何一つないということ。
即ち竹島編入と朝鮮併合は何も関係がないということだ。

■本題

前述したのはあくまで「編入前は朝鮮のものだった」
「朝鮮併合を目論んで竹島編入」というこじつけ、屁理屈を対手とした話。
ポツダム宣言受諾とSF条約で朝鮮は日本から独立。

南鮮はこの「朝鮮」に竹島を含ませようとアメリカに要求するが、
米国務次官補(ラスク)から南鮮大使への回答
「朝鮮がかつて領土主張や支配した形跡なし」の理由で拒否された。
これが1951年8月なのでこの数ヵ月後に怒った李承晩が勝手に領海線を引き、
多くの日本人漁船員を虐殺した。

どう転んでも竹島は日本領ということにしかならない。

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竹島が日本の領土である根拠
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2008/09/01 09:00|年表リンク用資料
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