正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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元慰安婦が証言
「朝鮮戦争当時、日本軍に無惨に踏みにじられて悔しい思いをさせられた」

【朝鮮戦争は1950年6月25日~1953年7月27日。つまり大東亜戦争後】

保守速報 2013年09月22日14:05 http://bit.ly/1SnNSEF
http://hosyusokuhou.jp/archives/32353541.html

「私たちは日本軍の奴隷だった」秋夕(チュソク)連休が始まった18日。
雨が降るフランス、パリのシャイヨー宮前で韓国ハルモニの声が鳴り響いた。
韓国語を理解できないヨーロッパ人と観光客の
注目を少しの間でもつかむため、老駆を導いてフランスまで
渡ってきたハルモニの執念は広場を越えて全世界に広まった。

去る1992年1月8日、駐韓日本大使館前で始まった慰安婦被害ハルモニらの
水曜集会がフランスでも開かれた。
20年以上続いてきた水曜集会は日本を含む米国、台湾、インドネシアなどで
行われたことはあるがフランスで開かれたのは今回が初めてだ。

慰安婦被害ハルモニらを代表して証言者になった
キム・ボクトン、ハルモニ(88)は
「★朝鮮戦争当時日本軍に無惨に踏みにじられて悔しい思いをさせられた。
日本が誤りを悔いて慰安婦被害者の問題を解決できるように助けて」
と話した。

集会には韓国挺身隊問題対策協議会(挺隊協)関係者とフランス女性団体、
海外同胞など100人余りが参加した。
ソーシャルネットワークサービス(SNS)でもハルモニらを
応援して参加を促す文が広がった。
ツイッターID@SPA*****、@acc*****など市民らは
「歴史的なフランス、パリ水曜集会が開かれた。
一日も早く日本の謝罪を受けられるよう願う」と応援文を掲載した。

集会に先立ちハルモニら会ったフランス女性団体代表らは
「共同宣言と共にフランス上下院決議採択のため議員と政府の
協力を引き出す」という立場を伝えた。
挺隊協関係者は「フランス女性および人権団体を通じて
国連とヨーロッパ連帯会議などに被害状況をもっと多く知らせられるよう協
力を要請して問題解決に向けた共同対応に、一層積極的に乗り出す予定。
今回の集会が慰安婦問題など戦時性暴行被害者の
人権回復を達成するための基礎になることを期待する」と話した。
(後略)

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慰安婦、自ら「父に売られた」証言も…韓国紙報道に疑問・矛盾の数々

zakzak 2013.10.28
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20131028/frn1310281147003-n1.htm

日本統治時代の「慰安婦」問題をこじらせている理由の1つに
韓国メディアの極端な報道姿勢があることは以前から指摘されてきた。
特に最近、具体的な証拠をもって検証するという姿勢は消えうせ、
これまで以上に一方的な思い込みや元慰安婦・反日団体の主張を
垂れ流して問題の拡大再生産を続ける。
韓国メディアが伝えた“証言”や“情報”を詳細に見ると、
おかしなことに気づく。(ソウル 加藤達也)

■「日本右翼が死を待つ人々」

朝鮮日報(電子版)は8月17日、
「日本の右翼が一日も早く死ぬのを待っている人々がいる。
旧日本軍の従軍慰安婦の被害者だったおばあさんたちだ」
と始まる記事を掲載した。 

記事によると、元慰安婦の女性らは、日本側が
「組織的かつ暴力的な慰安婦動員の証拠を出さない中」での、
「日本の過去の蛮行を詳細に明らかにした証言者だ」と主張する。

そして「日帝(日本帝国)統治からの解放から63年の長い歳月を経て、
推定10万人あまりいた元慰安婦の数は(8月13日)
現在、57人に減った」としている。

問題は「10万人」という数字だ。

最近では「20万人が性奴隷となった」などと喧伝(けんでん)され、
一人歩きする数字の典型例となっているが、
これにしても出所不明、根拠不明瞭この上ない数字だ。

朝鮮人慰安婦の数をめぐっては、確定した数字はない。
歴史研究者による調査・分析の結果から推定したものが
根拠となることが多い一方で、政治家ら一定の発言力がある人物が
発信した出所不詳の数字が検証されずに伝えられたものまであるのが実態だ。

科学的な根拠から事実関係究明しようとしてきたが、
研究者によって推定には開きがある。

韓国メディアはこうした「過去の事実」については
一切「直視」しようとしていない。

■「朝鮮人慰安婦」8000~8万人?

慰安婦問題を詳細かつ実証的に論じた「慰安婦と戦場の性」などの
著作で知られる歴史学者、秦郁彦氏は
1993年、中国などに展開していた兵員数を約300万人とし、
将兵50人に慰安婦1人という割合、
さらに慰安婦の休日のための予備人員の係数(交代率)から
1・5倍の人数を要したとの推計を前提に、慰安婦の総数を約9万人とした。

秦氏はその後、99年に兵員数を250万人、
将兵150人に慰安婦1人の割合だったとの見方を示し、
慰安婦の総数は約2万人だったとの分析結果を示した。

慰安婦問題解決のため、95年に設置された
「女性のためのアジア平和国民基金」が日本政府の調査を基にまとめた
「政府調査『従軍慰安婦』関係資料集成」では、
過去の記録を基に台湾の台北や台南、高雄など6地域を経由して
最終的に中国に移設されていった慰安所での従業員や
関係者らの割合を示している。

これによると、「朝鮮人」慰安婦の割合は40・1%と推計。
秦氏の総数9万人説を基にすると、朝鮮人慰安婦は約3万6000人。
総数2万人説を基にすると8000人となる。

このほか、慰安婦が日本による「性奴隷制度」の下にあったとの
立場をとる歴史学者の吉見義明氏は、兵員数300万人、
割合を100人に1人、交代率を1・5とする説と、
割合を30人に1人、交代率を2とする説を発表。
これによると、慰安婦の総数は4万5000人から20万人となる。
この場合でも、朝鮮人慰安婦の数は最大20万人の40・1%で
8万200人となり、韓国の反日団体が主張する20万人はおろか、
10万人にも届かない。

論拠を示さずに「10万人」の主張を繰り返すのが、朝鮮日報の報道姿勢だ。

■「空腹の弟たちのため」2度売られ…

朝鮮日報は一方で、元慰安婦の女性たちが暮らしている施設で
インタビューした結果として、女性らの当時の境遇をまとめている。

女性らが訴える境遇は悲惨で、
深い同情を禁じ得ないものだが、中にはこんな証言もある。

平壌出身で91歳になるキム・スンオクさんという女性は
「暮らし向きが苦しく、7歳から他人の家で生活していると、
空腹の弟たちの生活の一助にと父親の勧めで、
妓生(キーセン)として売られた」と述べている。

キムさんはもう一度、家に帰りたいと思う一心で、金を稼ぎ借金を完済。
家に戻ったが、父親は再びキムさんを売り、
中国・黒竜江省の「石門子」という慰安所に行くことになった。

約5年間、慰安婦として働かされた-。キムさんは同紙にこう述べている。

赤貧ゆえに2度にわたって父親に売られたという事実には、
だれもが同情を禁じ得ないだろうが、
きっかけは「父親が娘を売った」という事実である。

朝鮮日報のインタビューでは他にも、
「工場で働けば、お金を稼げると聞いたが、慰安婦の募集だった」
という女性の話や、「家が苦しく学校に行けず、1940年に、
お金も稼げて勉強もさせてもらえるという誘い話に乗って
蔚山(ウルサン)の旅館で働き、42年に朝鮮人1人と日本人1人に
中国の延吉に連れていかれ、3年間、慰安婦として過ごした」
という女性などの話が出てくる。

■地元出身者による女性連れ去り多発

朝鮮日報など韓国メディアは、こうした話をたびたび引用して
日本批判のよりどころにしているのだが、
当時の社会状況などについては検証することはない。

当時の韓国では、朝鮮出身者が女性を連れ去った事件
(1939年8月31日付の東亜日報)や、
朝鮮半島出身者による少女買春事件(33年6月30日付同紙)などが
多発していた一方、日本の治安機関が連れ去られた女性らを
救出したという出来事(39年3月15日付同紙)があった。

こうした事実を提示し、社会状況を重ね合わせて検証するという報道姿勢は、
韓国メディアには望めないのだろうか。

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慰安婦_資料
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2008/08/23 07:00|年表リンク用資料
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