正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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『清室優待条件(協定)』

1911年・辛亥革命は南京の孫文が武力で北京の清を倒したのではなく
話し合いで清滅亡、中華民国建国となりました。

その際、清は中華民国に国を譲渡する代わりに条件を付け、
それを中華民国が呑みました。

つまり溥儀は条件付退位をしました。
この条件が清室優待条件で、溥儀の退位詔書上諭に記載されています。

その内容は中華民国が清皇室の存続を認め、
退位後も「皇帝」という尊称を用い、
紫禁城への居住を認め、清朝の墳墓を保護し、納金し続ける等です。

しかし1924年10月の北京政変で中華民国は
この条件を一方的に破棄して溥儀らを紫禁城から追い出しました。

追い出された溥儀は天津日本租界で保護され、満州国建国で満州に行きます。

つまり中華民国が協定を一方的破棄していなければ
溥儀は平和に北京に住んでるはずなので
満州国の君主に就任できるはずはありませんでした。
無論、蒋介石も優待条件破棄承認でした。

この条件を中華民国が呑む代わりの清滅亡、溥儀退位でしたから、
中華民国が条件を破棄するなら、
本来は中華民国無効、清復活、溥儀帝位再就任なのです。

つまり破棄ということは、
満州どころか支那全体が再び溥儀のものになっても良かったのですが、
満州だけで済ませ、中華民国を否定しないでやったのですから、
中華民国は日本や満州国に感謝してもいいくらいでした。

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1911年(明治44年)10月10日、辛亥革命
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満州善後条約
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満州事変 関連議論
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清室優待条件(協定)
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満州地域における日本人や日本関係施設の被害
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2008/08/21 09:00|年表リンク用資料
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