●正統史観年表 戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳 |
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国際親善を損なうマスコミ報道
■1.ブラジルの日系紙を怒らせた日本の報道陣■ 本年5月30日から、6月13日まで、 天皇皇后両陛下は、ブラジル・アルゼンチンを御訪問された。 日本のマスコミはほとんど報道しなかったが、 その間には現地の人々との多くの感動的な場面があった。 これは後に紹介するとして、 問題なのは、この時の日本のマスコミの取材態度である。 ある日系人記者は、こう書いている。 政府専用機で相乗り50人の報道陣が、 後部タラップからまるで嵐のように降りてきて、 我々の規制された枠中の位置とは関係なく、 声高の日本語を交しながらタラップの下に陣どる。 我々取材陣は殆ど追いやられる始末。 ネクタイをつけての礼をつくした現地取材陣は、 外務省の発行した許可証も、 現地の大使館、総領事館の規制の前には殆ど効力なし。 ヤクザが飛び込んでくるような勢いには参りました。 なんであんな大ぜいで取材合戦をするのだろう。 専用機取材だから交通費もいらないということであろう。 我々は現地民間機で追いかけるか、早く中止して次の時点で待ち受ける。 ところが、その場でもケチラカサレル。 いやな思いにかられても我慢しての取材だった。 ここまでして、日本のマスコミは御訪問をどう報道したか。 NHKの衛星放送のニュースをみると、 両陛下のブラジル訪問など、ほんの10数秒の扱いでしかない。 べレンではアマゾン河を周遊されたことだけで、 日系人との感激の引見といったことは全く触れられていない。 NHKは民放と比べてニュース時間が豊富なのに この程度の扱いなのだから民放の長さも想像できる。 やはり、日本のマスコミにとって、 ブラジル日系人の存在というものは、この程度なのが現実なのだ。 (日系「サンパウロ新聞) ブラジルの日系報道陣は、 日本のマスコミの心ない態度に、侮辱されたと感じたのである。 さて日本のマスコミがこんな騒ぎまで起こして、 なおかつ報道しなかった御訪問の実態を御紹介しよう。 ■2.まごころのメッセージ■ サンパウロ市イブラブエラ体育館で開かれた日系人歓迎式典では、 天皇陛下は次のような挨拶をされている。 1908年、日本から最初の移住者が笠戸丸でサントス港に到着して以来、 移住者の長年にわたる並々ならぬ努力により、 現在、日系の人々がブラジルの社会で信頼され 高い評価を得ていることを喜ばしく思っております。 また、新しい世代がたくましく成長し、サンパウロを始め、 各地で様々な分野において活躍するに至っていることも、 うれしく、心強いことに思います。 このような今日の日系社会の発展をもたらした各世代の人々の、 それぞれの時代における努力に対し、深く敬意を表します。 同時に、日本人移住者を迎え入れ、 その活躍を可能ならしめたブラジル国民の寛容さを、 私共はこれからも長く心にとどめていきたいものと思います。 一昨年、日本が戦後50年を迎えた折には、復興の苦難の日々、 はるかなブラジルに住む日系人からよせられた支援に対し、 深く思いを致したことでした。 皆さんには、今後ともどうか体を大切にし、 元気でブラジルの発展に貢献されるよう、 また日本とブラジルの友好のため 引き続き尽くしていかれるよう希望しています。 ブラジルには、「ジャポネーズ・ガランチード(日系人なら大丈夫)」 という言葉があるそうだ。 日系人だというだけでビジネスでも信頼される、 という大変な信用を日系人社会は築き上げてきた。 後述するマリオ・コーバス・サンパウロ州知事は、 「日系ブラジル市民は日本が与えてださった最大の贈り物です」 とまで述べている。 そうした日系移民の努力と活躍に敬意を表し、 それを受入れたブラジル国民の寛容さに触れられる。 (米国で日系移民が激しい排斥にあった事に 思いをいたされたのかもしれない)。 さらに敗戦後の日系人からの復興支援に感謝し、 今後もブラジル発展のために活躍を希望される。 短いながらも、日系人とブラジル国民に対する まごころのあふれるメッセージである。 ■3.日系人の思い■ 式典の参列者で七歳の時に岩手県からブラジルに 渡ったという小向あえさん(72)は、 「昨日は興奮して眠れませんでした。 両陛下はブラジルの日系人に心をかけてくれていると聞き、 大変ありがたいことです」と涙を浮かべた。 また会社を休んで式典に出席したという 日系2世のイノウエ・ショウイチさん(56)は、 「私は自分をブラジル人だと思って暮らしてきたが、 四年前、日本に墓参りして日本人の血が流れていると実感した。 両陛下を歓迎することが亡くなった父への供養になると思う」と語った。 また天皇陛下は、養鷄農場を経営する田邊稔さん(61)を御引見された。 19年前の御訪問時に田邊さんの父親が経営する農場を 御視察される予定になっていたのだが、日程変更でキャンセルとなった。 今回、陛下が「あの方はどうしているいるか」と御下問があり、 日本総領事館が調査した所、本人は故人となっていたが、 息子が家業を継いでいると判り、稔さんをお招したものである。 「そこまで陛下がお気をお遣いになられている事に、 ただ驚くばかりです」と稔さんは恐縮した、との事。 ■4.幸福な島国■ こうした陛下と日系人との交流を目の当たりにして、 サンパウロ州のマリオ・コーバス州知事は、 その日の午餐会で次のような挨拶をされた。 両陛下は、ブラジル人が長年にわたって敬愛している崇高な存在です。 と申しますのも、両陛下は2000年に及ぶ伝統の継承者であらせられ、 すでに二度にわたってわが国を訪問されており、 そのたびに、飾り気のない親しみあふれる お人柄の模範を示していただいており、 それはすべての者を魅了してやみません。 しかも、これらの特徴は皇室全体に共通のものであると思われます。 私たちは、州政府を担って1年目の1昨年、 公式御訪問の名誉にあずかった 紀宮清子内親王殿下においてもそれを目の当りにしたからです。 それらすべてのことは、私たちをして、土壌が肥沃で、国民が勤勉で、 人格が高潔な皇族の皆様が国民の象徴となっている幸福な島国が 存在することに思いを馳せざるを得ません。 ■5.国際親善を損なうマスコミ報道■ 両陛下と日系人を含めたブラジル国民とのまごころのこもった交流を、 日本のマスコミがきちんと報道していれば、その経験を日本国民も共有し、 両国のお互の理解と友好を格段に深めたに違いない。 このせっかくのチャンスに、 日本のマスコミはかえって現地の反感を買ったのである。 「陛下の御訪問は日本国が ある国に対して行う最上の敬意の表し方とされる」 と号外まで出して報道したブラジルの現地紙があった そうだが、これが国際常識であり、国際親善の基本である。 皇室に敬意を払わない日本のマスコミは、 自国の「最上の敬意」を台無しにしてしまったのである。 過密なスケジュールを、皇后陛下は体調を崩されながらも、 なんとかこなされたのである。 政府は皇室外交を切り札として利用しながら、 国内向けにはマスコミはほとんどその真実を伝えない。 政府とマスコミの不見識をこぼされもせず、 両陛下はおつとめを果たされ続けている。 この12月23日、今上陛下ははや64歳のご誕生日を迎えられる。 ――――――― 国際派日本人養成講座 Japan On the Globe (16) 平成9年12月20日より http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h9/jog016.htm |
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