正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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1871年9月13日(明治4年7月29日)、日清修好条規

日本で廃藩置県が実施された明治4(1871)年、
足利義満以来途切れた支那大陸と国交が回復した。

このときに結ばれた日清修好通商条規は、
日本と清国が欧米諸国から押し付けられた不平等条約の
治外法権や領事裁判権をお互いに押し付け合った、
という意味では対等な条約だった。

当時の支那は法律があるようでないようなものだから、
向こうの官憲に捕まったらどういう処罰をされるかわかったものでは
なかったのでこれは仕方がないものだった。

日本が清国に国交回復を打診したのが明治3(1870)年8月で、
翌年の7月にはすぐに締結された。

明治初期においては日本と支那(清国)との関係は
さほど悪くなかったのだが、問題は朝鮮にあった。

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【第4条、第8条】
外交使節の交換および双方に領事を駐在させる。

【第8条、第9条、第13条】
制限的な領事裁判権をお互いに認める。

【通商章程33箇条、海関税則】
通商関係については欧米列強に準ずる待遇(最恵国待遇・協定関税率)を
お互いに認め合う。

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以下、
『きままに歴史資料集』の「日清戦争下の日本と朝鮮(14)補足資料」より
http://bit.ly/12oVYRB

「日清修好通商条約締結一件/修好条規通商章程締結間題 第一巻」
分割1 B06151018600 P47 ()は筆者 [別紙一]

○ 長崎府在留支那人へ布令書

当府開港以来、条約未済の国民共、結盟国人に付属し、窃に渡来有之趣、
就中支那人の義は旧来唐館の商業廃絶してより其管轄を逃れて
猶唐館新地の内に居住し、又は外国人居留地に入込、開店営業致居、
且又極貧の者に至ては往々不良の行をなし、害を他人に及し候者も又不少。
是等は都て其支配する所無之故、事ある時に臨んで不都合甚しく、
去り迚是を逐て其本国え差帰すも聊か不仁類するべく、
且、万国の民互に客土に来住営生す当今の常事、且当十一月中、
支那の道台応■時より我政府へ送りし書翰にも、
両国の商民各其本地を離れて両国の内に居住する者は都て
地方官の仕置を以て罪を科すべき事、各自国の民に異なる事なしと有之。
因て我政府も此意に同じ、以来支那人の此地に在る者、
其本分を守り生計を営む者は扶助して其商業を遂げしめ、
若又行い奸悪なるは是を罰して将来を戒しむる等の事
一々我子民と均しかるべし。是に因て支那人の長崎府に滞留する者は
縦令外国人に付属するもせざるも総て、
来る巳年(明治2年)正月十五日を限り悉く外国局に来りて、
無洩其姓名生国及年齢を報明し、本局の籍票を申請、
其正当なる事を証すべし。
万一其期限を越えて籍票所持不致者は
我国典を犯せる者と視成して罰のがるべからざる者なり。
明治元年辰年十二月
外国管事役所

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中国人がひそかに渡来したり、管轄を逃れて居住したり店を開いたり、
また極貧の者で不良の行いをして害を他人に及す者も少なくない、とある。
明治26年4月刊の「長崎小史」には、
天保年間に幕府が長崎で一度に中国人180人を捕えて75人を禁固刑にし、
後に本国に追放する事件があったことが記録されている。
しかしこの明治元年の日本政府としては、
「だからと言ってこれを追放して本国に帰すのも
いささか不人情なことであり、
また世界中の人間が行き来しているが今の現状である」と述べ、
また、支那の上海道台から日本政府に送ってきた書簡にも、
「両国の人間が国を離れて両国の内に居住する者は全て、
その国の地方官の取締まりによって処置するべきである」とあることからも、
日本政府としてもそのように取り計らい、真面目に生計を営むものは扶助して
その商業を維持させ、また犯罪の者は罰して戒めるのは日本国民同様に扱う、
という内容の布告である。
この取り決めは後の日清条約に生かされたようである。

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※()は筆者

「第一冊 第一編 至 六編/6 第三編 修好条規及通商章程ノ締結」P6

明治4年(1871年)7月29日

大日本国と大清国は、古来友誼敦厚なるを以て、
今般一同旧交を修め、益邦交を固くせんと欲し、
大日本国 欽差全権大臣従二位大蔵卿伊達(宗城)
大清国 欽差全権大臣弁理通商事務太子太保協弁大学士兵部
尚書直隷総督部堂一等肅毅伯李(鴻章)
各奉じたる上諭の旨に遵い、公同会議し修好条規を定め、
以て双方信守し久遠替らざることを期す。其議定せし各条左の如し。

第一条
此後
大日本国と大清国は、弥和誼を敦くし、天地と共に窮まり無るべし。
又両国に属したる邦土も各礼を以て相待ち、
聊侵越することなく、永久安全を得せしむべし。

第二条

両国、好みを通せし上は、必ず相関切す。
若し他国より不公及び軽藐すること有る時、其知らせを為さば、
何れも互に相助け、或は中に入り、程克く取扱い、交誼を敦くすべし。

第三条
両国の政事禁令各異なれば、其政事は己国自主の権に任すべし。
彼此に於て、何れも代謀干預して禁じたることを
取り行わんと請い願うことを得ず。
其禁令は互に相助け、各其商民に諭し、土人を誘惑し聊か違犯有るを許さず。

第四条
両国、秉権大臣を差出し、其眷属随員を召具して京師に在留し、
或は長く居留し、或は時々往来し、内地各所を通行することを得べし。
其入費は何れも自分より払うべし。
其地面家宅を賃借して大臣等の公館と為し、並に行李の往来
及び飛脚の仕立書状を送る等のことは何れも不都合なき様世話いたすべし。

第五条
両国の官位何れも定品有りといえども、職を授ること各同からず。
因て彼此の職掌相当する者は、応接及び文通とも均く対待の礼を用ゆ。
職卑き者と上官と相見るには客礼を行い、
公務を弁ずるに付ては職掌相当の官へ照会して其上官へ転申し、
直達することを得ず。又、双方礼式の出会には各官位の名帖を用ゆ。
凡、両国より差出したる官員初て任所に到着せば、
印章ある書付を出し見せ、仮冐なき様の防ぎをなすべし。

第六条
此後両国往復する公文、大清は漢文を用い、
大日本は日本文を用い、漢訳文を副うべし。
或は只漢文のみを用い其便に従う。

第七条
両国、好みを通ぜし上は、海岸の各港に於て彼此共に場所を指定して
商民の往来貿易を許すべし。
猶別に通商章程を立て、両国の商民に永遠遵守せしむべし。

第八条
両国の開港場には彼此何れも理事官を差置き、自国章民の取締をなすべし。
凡、家財、産業、公事、訴訟に干係せし事件は、都て其裁判に帰し、
何れも自国の律例を按じて糺弁すべし。
両国商民相互の訴訟には何れも願書体を用ゆ。
理事官は先ず理解を加え、成る丈け訴訟に及ばざる様にすべし。
其儀能わざる時は、地方官に掛合い、双方出会し、公平に裁断すべし。
尤、盗賊、欠落等の事件は両国地方官より召捕り
吟味取上げ方致す而已にして、官より償うことはなさゞるべし。

第九条
両国の開港場に、若し未だ理事官を置ざる時は、
其人民貿易何れも地方官より取締り世話すべし。
若し罪科を犯さば本人を捕えて吟味を遂げ、
其事情を最寄開港場の理事官へ掛合い、律を照して裁断すべし。

第十条
両国の官吏商人は諸開港場に於て何れも其地の民人を雇い、
雑役手代等に用ること勝手に為べし。
尤、其雇主より時々取締を為し、事に寄せ人を欺くことなからしめ、
別して其私言を偏聴して事を生ぜしむべからず。
若し犯罪の者有らば、其地方官より召捕り糺弁するに任せ、
雇主より庇うことを得ず。

第十一条
両国の商民、諸開港場にて彼此往来するに付ては互に友愛すべし。
刀剣類を携帯することを得ず。違う者は罰を行い、刀剣は官に取上ぐべし。
又何れも其本文を守り、永住暫居の差別無く
必ず自国理事官の支配に従うべし。
衣冠を替え改め、其他の人別に入り、
官途に就き、紛わしき儀有ることを許さず。

第十二条
此国の人民、此国の法度を犯せんこと有て、彼国の役所、商船、
会社等の内に隠し忍び、或は彼国各処に遁げ潜み居る者を、
此国の官より査明して掛合越さば、
彼国の官にて早速召捕りらえ見遁すことを得ず。
囚人を引送る時の途中、衣食を与え凌虐すべからず。

第十三条
両国の人民、若し開港場に於て兇徒を語合い盗賊悪事をなし、
或は内地に潜み入り、火を付け、人を殺し、劫奪を為す者有らば、
各港にては地方官より厳く捕え直に其次第を理事官に知らすべし。
若し兇器を用て手向いせば、何れに於ても格殺して論なかるべし。
併し之を殺せし事情は、理事官と出会して、一同に査験すべし。
若し其事内地に発りて理事官自ら赴き査験すること届きかぬる時は、
其地方官より実在の情由を理事官に照会して査照せしむべし。
尤、縛して取るたる罪人は、各港にては地方官と理事官と会合して吟味し、
内地にては地方官一手にて吟味し、
其事情を理事官に照会して査照せしむべし。
若し此国の人民、彼国に在て一揆徒党を企て、十人以上の数に及び、
並に彼国人民を誘結通謀し、害を地方に作すの事有らば、
彼国の官より早速査拏し、各港にては理事官に掛合い会審し、
内地にては地方官より理事官に照会せしめ、
何れも事を犯せし地方に於て法を正すべし。

第十四条
両国の兵船、開港場に往来することは自国の商民を保護するためなれば、
都て未開港場及び内地の河湖支港へ乗入ることを許さず。
違う者は引留て罰を行うべし。
尤、風に遇い難を避るために乗入りたる者は此例に在らず。

第十五条
此後両国、若し別国と兵を用ゆる事有るに付、
防禦いたすべき各港に於て布告をなさば、暫く貿易並に船隻の出入を差止め、
誤て傷損を受けざらしむべし。
又平時に於て大日本人は大清の開港場及び最寄海上にて、
何れも不和の国と互に争闘搶刧することを許さず。

第十六条
両国の理事官は、何れも貿易を為すことを得ず。
亦条約なき国の理事官を兼勤することを許さず。
若し事務の計い方、衆人の心に叶わざる実拠有らば、
彼此何れも書面を以て秉権大臣に掛合い、査明して引取らしむべし。
一人事を破るに因て両国の友誼を損傷するに至らしめず。

第十七条
両国の船印は各定式あり。
万一彼国に船、此国の船印を仮冐して私に不法の事を為さば、
其船並に荷物とも取上ぐべし。
若し其船印、官員より渡したる者ならば其筋に申立、官を罷めしむべし。
又両国の書籍は彼此誦習わんと願わば、互に売買することを許す。

第十八条
両国議定せし条規は、何れも預め防範を為し、
偶嫌隙を生ずるを免れしめ、以て講信修好の道を尽す所なり。
是に因て両国欽差全権大臣、証拠のため先ず花押を調印をなし置き、
両国御筆の批准相済に互に取替わせし後ち、
版刻して各処に通行し、彼民に普く遵守せしを永く以て好を為すべし。

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実はこれ、清国側草案に基づく条約である。
当初、日清双方で草案を提出してどちらを基礎とするかで議論となり、
で、李鴻章は決して譲らず、
日本草案では談判決裂するしかないということにまでなり、
終に日本側が譲歩して清国草案を受け入れたのであった。
まさに第二条こそ、李鴻章が日本を外援となさんとした目論見を
よく現したものと言えよう。
案の定、この第二条を横浜の仏字新聞紙がすっぱ抜いて記事とし、
在日の米・独・蘭などの各国公使領事も、
「この条文では日清は攻守同盟となり危険である。
清国が外国と戦争となった場合に日本が清国を助けることになれば、
日本も敵国と見做されよう」と忠告したりなどした。
よって日本政府は翌年には第二条などの改正を申し込んだが、
李鴻章が憤怒して拒んだという、いわくつきの条約である。
よって後にはこの第二条は、
日清両国の交誼の厚いことを表現したものに過ぎない、
という説明で対処した。
明治27年の日清開戦により失効。
2010/02/20 06:00|年表リンク用資料
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