正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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いわゆる「南京大虐殺」についての反論ページ

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日本政府は、いわゆる「南京大虐殺」を認めていない。

東京裁判での下記の中国政府の主張が南京大虐殺の定義といっていい。
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東京裁判 第376号(昭和23年2月18日)
(抄)E「検察側最終論告」(1)南京強姦事件 J-61

1937年12月13日、南京が陥落した時、
同市内に在る中国軍隊の凡ての抵抗は停止しました。
同市に入城した日本兵は街路にいた民間人たちを無差別に射撃しました。
一度、日本軍が同市を完全に支配するや、
強姦、殺戮、拷問及び掠奪への耽溺が始まり、それが6週間続きました。
最初の2~3日間に2万人以上の人々が
日本軍により即座に死刑に処せられました。
6週間に南京市内とその周りで殺害された概数は、26万ないし30万で、
全部が裁判なしで残虐に殺害されたのであります。
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↑この中国が主張している南京大虐殺を日本政府が認めたという事実はない↓
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外務省 歴史問題Q&A
問6.『南京大虐殺』に対して、日本政府はどのように考えていますか。

1.日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、
非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは
否定できないと考えています。
しかしながら、被害者の具体的な人数については諸説あり、
政府としてどれが正しい数かを認定することは困難であると考えています。
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↑このように日本政府は、中国政府が言う「南京大虐殺」を認めてはいない。

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日本軍に捕えられた中国敗残兵が無裁判で処断されたから
国際法違反であるという意見への反論。

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軍法会議の対象は自国の軍人軍属。

戦地・占領地で相手国の軍人・民間人を裁くのは
軍律審判(軍律法廷)である。

軍律は占領軍司令官の自由裁量により制定される。

南京戦時に制定された軍律は、
民間人を対象にした中支那方面軍軍律のみで、
相手国の軍人を対象にした軍律は制定されていない。

1907年ハーグ陸戦条約も1929年のジュネーブ条約も、禁止行為を掲げては
いるが、捕えた戦争犯罪者を裁く裁判についての規定は全くなかった。

松井石根・中支那方面軍司令官は、
敵兵を対象とした軍律は制定しておらず、
敗残兵の徹底的な掃討を命じていた。

たとえ軍律が制定されていたとしても、11170人もの大人数を
軍律審判(※軍律法廷)にかける事は能力的に不可能だったと考えられる。

非常に多くの人数が軍律審判の実施を能力的に不可能とした状況は、
「軍事的必要」が認められ、国際慣習法規の妥当性は失われるので、
安全区内における潜伏敗残兵の摘発・処刑は違法行為とはいえない。

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戦争中は仕方がない場合もある。
「戦数(せんすう)=戦時非常事由=交戦条理=クリーグスレーゾン」

▼『日本大百科全書』 「戦数(せんすう)」
クリーグスレーゾン、戦時非常事由または交戦条理といわれることもある。
戦争に際して、交戦国が戦争法規を遵守することによって
重大な利益が危険となるような緊急事態があるときは、
戦争法規の拘束から解放され、
そのような場合の違法行為は違法性を阻却されるという理論。・・・(後略)
http://bit.ly/1Kc8SpC
▼『デジタル大辞泉』 「阻却(そ‐きゃく)」
しりぞけること。さまたげること。
http://bit.ly/1VVexae
▼『デジタル大辞泉』 『違法性阻却(いほうせい‐そきゃく)』
違法と推定される行為について、
特別の事情があるために違法性がないとすること。
http://bit.ly/1RdFMeP

戦数(戦争の必数)
http://bit.ly/1P11qFK

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--【第41項】『軍法会議』と『軍律審判』--
http://oira0001.sitemix.jp/frame41.html
--【第42項】支那敗残兵と『軍律審判』【前編】--
http://oira0001.sitemix.jp/frame42.html
--【第43項】支那敗残兵と『軍律審判』【後編】--
http://oira0001.sitemix.jp/frame43.html
--【オイラの!】 2chネラーなりに一生懸命調べた南京事件【完全否定論】--
http://oira0001.sitemix.jp/

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戦争の敵国が裁判官であった極東国際軍事裁判においてでさえ、
日本軍による拘束兵殺害については犯罪とは認めませんでした。

◆検察による訴因
訴因55は、「此等諸国の数万の俘虜及びー般人」に対して、
「条約及び保証並戦争の法規慣例の遵守を確保し、其の違背を防止する
適当なる手段を執る可き法律上の義務を無視」した事を訴追したものです。
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『第3類 通例の戦争犯罪及び人道に対する罪 訴因 第55』
被告土肥原、畑、星野、板垣、賀屋、木戸、木村、小磯、武藤、永野、岡、
大島、佐藤、重光、嶋田、鈴木、東郷、東条及梅津は、
1941年(昭和16年)12月7日より
1945年(昭和20年)9月2日に至る迄の期間に於て、
夫々の官職に因り、
アメリカ合衆国、全イギリス連邦、フランス共和国、オランダ王国、
フィリッピン国、中華民国、ポルトガル共和国
及びソビエット社会主義共和国連邦の軍隊、
ならびに当時日本の権力下に在りし此等諸国の数万の俘虜及びー般人に関し、
上記条約及び保証並戦争の法規慣例の遵守を確保する責任有するところ、
故意に又不注意に、其の遵守を確保し其の違背を防止する適当なる手段を
執る可き法律上の義務を無視し、以て戦争法規に違反せり。
中華民国の場合に於ては、該違反行為は
1931年(昭和6年)9月18日に始まり、
上記指名の者の外、下記被告も之に責任を有す。
荒木、橋本、平沼、広田、松井、松岡、南

◆裁判官による事実認定
『極東国際軍事裁判「第8章 南京暴虐事件」』
で、捕虜が虐殺され、無裁判で処刑されたと認定し、
そのことを松井石根大将が知っていたと認定しました。
↓↓↓
第8章 通例の戦争犯罪(残虐行為) 南京暴虐事件
・・・
中国兵の大きな幾団かが城外で武器を捨てて降伏した。
かれらが降伏してから72時間のうちに、
揚子江の江岸で、機関銃掃射によって、かれらは集団的に射殺された。
このようにして、右のような捕虜3万人以上が殺された。
こうして虐殺されたところの、これらの捕虜について、
裁判の真似事さえ行われなかった。
・・・
南京の陥落後、後方地区の司令部にあったときに、
南京で行われている残虐行為を聞いたということを武藤も松井も認めている。
これらの残虐行為に対して、諸外国の政府が抗議を申込んでいたのを
聞いたことを松井は認めている。
この事態を改善するような効果的な方策は、なんら講ぜられなかった。
・・・
―――――――――――――――――
このように事実認定において
捕虜の無裁判虐殺と松井石根大将の責任を認めておきながら、
下記判決で死刑という重大な判決文のなかには、
捕虜の無裁判虐殺は出てきていません。
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◆裁判官による判決
『極東国際軍事裁判「第10章 判定 松井石根」』
・・・
かれは自分の軍隊を統制し、南京の不幸な市民を保護する義務を
もっていたとともに、その権限をももっていた。この義務の履行を
怠ったことについて、かれは犯罪的責任があると認めなければならない。
本裁判所は、被告松井を訴因第55について有罪、訴因第1、第27、第29、
第31、第32、第35、第36及び第54について無罪と判定する。
―――――――――――――――――
↓↓↓
判決においては、民間人を保護する義務があったのに
それを怠ったと民間人に限定して認定しています。
拘束兵の殺害については言及がありませんので、
拘束兵の殺害は犯罪ではないと判定されたということになります。

ところが ↓↓↓

「捕虜のことが書かれている訴因第55が有罪になっているのだから、
民間人だけでなく、捕虜の殺害も有罪であるという判決だ」
という人がいますが、

『極東国際軍事裁判所条例 第17条』では
「判決理由を附する」と書かれています。
↓↓↓
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『極東国際軍事裁判所条例 第5章 判決及び刑の宣告(※付属書A-5)』
「第17条 判決及び審査」
判決は公開の法廷において宣告せらるべく、かつ之に判決理由を附するべし。
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『第10章 判定 前文』の松井石根大将に関する認定については、
「その理由を一般的に説明する」と述べていて、「その理由」は
「すでに挙げた叙述の中における個々の記録と認定に基いている」もので、
第8章(事実認定)等の内容を踏まえたものです。
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『第10章 判定 前文』
本裁判所は、これから、個々の被告の件について、判定を下すことにする。
裁判所条例第17条は、判決にはその基礎となっている理由を付すべきことを
要求している。これらの理由は、今朗読を終った事実の叙述と認定の記録
との中に述べられている。その中で、本裁判所は、
係争事項に関して、関係各被告の活動を詳細に検討した。
従って、本裁判所は、これから朗読する判定の中で、これらの判定の基礎と
なっている多数の個々の認定を繰返そうとするものではない。
本裁判所は、各被告に関する認定については、
その理由を一般的に説明することにする。
これらの一般的な理由は、
すでに挙げた叙述の中における個々の記録と認定に基いているものである。
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判定前文で「その理由を一般的に説明する」とした判決理由を、
判定本文で述べたあとに最終的な判決が述べられています。↓↓↓
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第10章 判定 松井石根

被告松井は、訴因第1、第27、第29、第31、第32、
第35、第36、第54及び第55で訴追されている。

松井は日本陸軍の高級将校であり、1933年に大将の階級に進んだ。
かれは陸軍において広い経験をもっており、
そのうちには、関東軍と参謀本部における勤務が含まれていた。
共同謀議を考え出して、それを実行した者と緊密に連絡していた
ことからして、共同謀議者の目的と政策について、
知っていたはずであるとも考えられるが、裁判所に提出された証拠は、
かれが共同謀議者であったという認定を正当化するものではない。

1937年と1938年の中国におけるかれの軍務は、それ自体としては、
侵略戦争の遂行と見倣すことはできない。
訴因第27について有罪と判定することを正当化するためには、
検察側の義務として、松井がその戦争の犯罪的性質を知っていたという
推論を正当化する証拠を提出しなければならなかった。
このことは行われなかった。

1935年に、松井は退役したが、
1937年に、上海派遣軍を指揮するために、現役に復帰した。
ついで、上海派遣軍と第10軍とを含む中支那方面軍司令官に任命された。
これらの軍隊を率いて、かれは1937年12月13日に南京市を攻略した。

南京が落ちる前に、中国軍は撤退し、占領されたのは無抵抗の都市であった。

それに続いて起ったのは、無力の市民に対して、
日本の陸軍が犯した最も恐ろしい残虐行為の長期にわたる連続であった。
日本軍人によって、大量の虐殺、個人に対する
殺害、強姦、掠奪及び放火が行われた。

残虐行為が広く行われたことは、日本人証人によって否定されたが、
いろいろな国籍の、また疑いのない、信憑性のある中立的証人の
反対の証言は、圧倒的に有力である。
この犯罪の修羅の騒ぎは、1937年12月13日に、
この都市が占拠されたときに始まり、1938年2月の初めまでやまなかった。

この6、7週間の期間において、何千という婦人が強姦され、
10万以上の人々が殺害され、無数の財産が盗まれたり、焼かれたりした。

これらの恐ろしい出来事が最高潮にあったときに、すなわち12月17日に、
松井は同市に入城し、5日ないし7日の間滞在した。
自分自身の観察と幕僚の報告とによって、
かれはどのようなことが起っていたかを知っていたはずである。
憲兵隊と領事館員から、
自分の軍隊の非行がある程度あったと聞いたことをかれは認めている。

南京における日本の外交代表者に対して、
これらの残虐行為に関する日々の報告が提出され、
かれらはこれを東京に報告した。

本裁判所は、何が起っていたかを
松井が知っていたという充分な証拠があると認める。

これらの恐ろしい出来事を緩和するために、かれは何もしなかったか、
何かしたにしても、効果のあることは何もしなかった。
同市の占領の前に、かれは自分の軍隊に対して、
行動を厳正にせよという命令を確かに出し、
その後さらに同じ趣旨の命令を出した。
現在わかっているように、またかれが知っていたはずであるように、
これらの命令はなんの効果もなかった。

かれのために、当時かれは病気であったということが申し立てられた。
かれの病気は、かれの指揮下の作戦行動を
指導できないというほどのものでもなく、
またこれらの残虐行為が起っている聞に、
何回も同市を訪問できないというほどのものでもなかった。
これらの出来事に対して責任を有する軍隊を、かれは指揮していた。
これらの出来事をかれは知っていた。

★↓↓↓ここからが最終的な結論→判決↓↓↓★

かれは自分の軍隊を統制し、南京の不幸な市民を保護する義務を
もっていたとともに、その権限をももっていた。
この義務の履行を怠ったことについて、
かれは犯罪的責任があると認めなければならない。

本裁判所は、被告松井を訴因第55について有罪、
訴因第1、第27、第29、第31、第32、第35、第36及び第54について
無罪と判定する。
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極東国際軍事裁判所は松井大将に対して、
民間人を保護する義務があったのに、それを怠ったことについて
犯罪的責任があると認めましたが、
拘束兵殺害に対する犯罪的責任は認定しなかったということになります。

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【まとめ】いわゆる「南京大虐殺」について
http://bit.ly/1PidJgM
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-504.html
いわゆる「南京大虐殺」関連
http://bit.ly/1RdAwI7
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-122.html
いわゆる「南京大虐殺」関連_2_東京裁判関係
http://bit.ly/1Pw0IPU
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-248.html
いわゆる「南京大虐殺」関連_3
http://bit.ly/1NKqrVl
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-249.html
いわゆる「南京大虐殺」 追加資料
http://bit.ly/1NIxI89
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-583.html
★いわゆる南京大虐殺URL図書室
http://bit.ly/1k6AVBY
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-518.html

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いわゆる「南京大虐殺」についての反論ページ http://bit.ly/1PlaBkg
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-693.html
2015/03/29 09:00|年表リンク用資料
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