正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観=完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=固定観念=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=戦う人は悪い人=軍民分割統治=団結させない個人主義の洗脳を解き、誇りある歴史を取り戻そう!

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【不法(ふほう)】
『大辞林 第三版』
1、行為などが法に違反すること(さま)。
2、人の道にはずれること。道理に合わないこと。また、そのさま。無法。
『デジタル大辞泉』
1、法に違反していること。また、そのさま。違法。
2、道理・道義に背くこと。また、そのさま。無法。理不尽(りふじん)。
http://bit.ly/20nSTzf
https://kotobank.jp/word/%E4%B8%8D%E6%B3%95-620218

「不法」という言葉の意味の確認。

正統史観年表の あちこちの記事中に使用したことがある「不法」という
言葉についてですが、「不法」というのは必ずしも
「行為などが法令に違反していること」だけの意味ではありません。
それぞれの文章の前後を読んでいただければ分かると思いますが、
たとえば、このページの話であれば、一番、言いたいこと、話の主旨は、
1937年8月13日、何の理由もなく、いきなり上海共同租界の日本人居留区を
武力攻撃してきた蒋介石に対して米英は武器・資金支援し、
日本に対しては経済制裁してくるというのは、
日本から見れば道理に合わない理不尽なことであるという
主旨の説明であることは、だれが読んでも、あきらかだと思います。

しかしながら、『大辞林 第三版』や『デジタル大辞泉』の1の意味で、
「何の条約に違反しているというんだ?」という質問があるので、
このページで1に重点を置いて説明してみましたが、
それに対して誰かが「いや、アメリカの援蒋と対日経済制裁は不法じゃない」
と言ってみたところで、その「誰か」や「どこかの国」が不法じゃないと
言ったから不法ではなくなるというわけではありませんし、
当時のアメリカの行為がアメリカや外国から見て合法であったとしても、
そして、もっと言えば日本から見ても
アメリカの行為が合法であったとか、合法ではなかったとかに関係なく、
日本にとっては自衛であったことに変わりはありません。

自国の権利が侵害され、理不尽な脅しに屈する考え方もあるのでしょうが、
自国の権利を守り、自国民を守るのは国家の義務であり、
自国が生きる権利を主張し、抵抗する考え方もあるのであって、
どちらも絶対的に間違っているとはいえないのです。
「日本は悪くはなかった」というのが私の主張です。

【違法(いほう)】
『大辞林 第三版』
法に違反すること。
具体的な規定だけでなく,法の理念に違反することをもいう。
http://bit.ly/1X2MqeP
https://kotobank.jp/word/%E9%81%95%E6%B3%95-435718

ちなみに上記のように「違法」という言葉についても、
法の理念に違反することも含まれるので、
不法行為を支援する行為は「法の理念に違反する違法行為」ともいえます。

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『米の援蒋と対日制裁は不法か?』

まず、大東亜戦争に至る流れを書きます。

1931満洲事変―――1933塘沽停戦協定で終結

1937支那事変(中国大陸)―――――――――――1945終結
―――1939第二次欧州大戦(欧州)―――――――1945終結
――――――1941日米直接戦争(太平洋)――――1945終結

↓↓↓

1937支那事変+1941日米戦争=大東亜戦争

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欧米人・欧米軍と同様に、
日本人・日本軍も条約で合法的にチャイナに居たのですが、
蒋介石軍が日本軍・日本人に不法武力テロ攻撃してきたから
日本軍は応戦・反撃していました。
(1937.7.7盧溝橋事件や1937.8.13~第二次上海事変)
日本からの和平提案を蒋介石が拒否し続けていたから戦闘が長引きました。
長引いた理由は英米が蒋介石に資金・武器支援していたからです。
日本は、英米が蒋介石に武器を輸送する援蒋ルートを遮断するため、
仏印と条約を結んで仏印に日本軍が合法的に進駐して
援蒋ルートを遮断すると、
英米が、被害側である日本に対して石油禁輸してきたので、
日本は蘭印の石油を武力で確保する決断をし、
その前にハワイのアメリカ艦隊が来るのを遅らせるため、
先手を打って真珠湾攻撃しました→日米戦争。
1937.7.7盧溝橋事件もしくは1937.8.13~第二次上海事変から始まる支那事変
と1941.12.8~日米戦争までを総称して大東亜戦争といいます。

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もう少し詳しくは
↓↓↓
大東亜戦争は日本が武力攻撃を受けて始まった戦争です。
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-692.html

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◆まず、満洲事変は1933年5月31日の
『塘沽(タンクー)停戦協定』で終結していましたので、
4年後の1937年になって満洲事変を理由に
盧溝橋事件や第二次上海事変など、
まったく別の場所で武力攻撃を仕掛けてくることは不法です。

◆第二次上海事変で、1937年8月12日、蒋介石軍が
1932年の上海休戦協定(1932第一次上海事変の戦後処理条約)
の協定線を超えて侵入して来たことも不法です。

◆上海共同租界は、国会にあたる参事会
(14人中:イギリス5人、アメリカ2人、日本2人、中国5人)と、
行政機関の工部局が施政権を持っていましたが、
蒋介石軍は参事会や工部局の許可なく
上海共同租界内に侵入したことも不法です。

◆1937年8月12日、蒋介石軍3万人が上海共同租界内の日本人町を包囲し、
13日の午前9時30分ごろ宣戦布告なしに武力攻撃して来たことも不法です。
あきらかに大規模で本格的な侵略戦争行為でした。
ハーグ陸戦条約の宣戦布告義務違反と、
侵略戦争を禁止した不戦条約にも違反していました。
(英米仏などの要望で自衛戦争は除外されていた)

◆1937年8月12日に蒋介石軍が「1932年の上海休戦協定」に違反して
協定線内に侵入し、上海共同租界の日本人居留区域を包囲した際、
日本領事が「1932年の上海休戦協定」の締約国である米英仏伊などで組織する
協定共同委員会を招集し、蒋介石軍の撤退を要求する共同抗議、
および何らかの制裁措置を講ずるよう提案を行ないましたが
英米仏伊は、まったく取り上げようとしませんでした。

『1932年・上海休戦協定・第3附属書』には
―――――
・・・(共同)委員会は其の決定に従ひ其の最良と認むる方法に依り
本協定第一条、第二条及第三条の実行を看守すへく
且前記三条の何れかの規定の実行の懈怠に関し注意を喚起するの権限を有す
―――――
と書かれており、本協定締結の同席国として協定に署名した英米仏伊の
共同委員会は、第二条の協定線を超えて侵入して来た蒋介石軍に対して、
注意を喚起する立場にあり、それを知ったにもかかわらず、
蒋介石軍に注意を喚起するどころか、
イギリス人警官などは蒋介石軍に日本軍陣地までの着弾距離を教えたり、
蒋介石軍に電話で戦況を伝えたり、貯蔵されている物資を蒋介石軍に
提供するという、上海共同租界の治安維持義務に反する行為をしました。

◆上海共同租界内の日本人町は日本の専管租界ではなく、
単に日本人が多く住んでいた日本人町であり、
日本人以外の欧米人や中国人も多く住んでいました。
上海共同租界の参事会や工部局によって英米仏伊日軍による警備分担地区
が決定され、日本軍は上海共同租界内の日本人町=虹口(ホンキュー)地区
を含む地域の警備を担当していました。

蒋介石軍が上海共同租界内に侵入してきたうえ、
虹口地区を武力攻撃しているのに、
日本軍以外の米英伊軍は蒋介石軍を追っ払おうとはしませんでした。

蒋介石軍の爆撃機が上海共同租界内を無差別爆撃して日本人だけでなく、
欧米人や中国人を含む3000人もの民間人が犠牲になっているにも関わらず、
米英伊軍は蒋介石軍と戦おうとはせず、
日本軍だけが蒋介石軍と戦い、日本軍の戦闘機も出撃して戦いました。

英米伊軍は上海共同租界内の治安を維持する立場にありながら、
その任務を怠り、自国民にも多くの犠牲者を出し、
多くの建物にも甚大な被害を出してしまったことは、
英米伊の自国民に対する背信行為でもあり、
上海共同租界内に住んでいた多くの民間人に対する背信行為です。

それどころか租界に侵入して来て武力攻撃して来た蒋介石軍の側を
英米は資金・武器支援するなど、もってのほかであり、
上海共同租界内の治安維持義務に反するとともに、
自国民を守る義務にも違反しています。

本来なら米英仏伊軍は日本軍とともに蒋介石を逮捕し、
謝罪と賠償は当然の事、再発防止に向けた協定線の位置の見直しや
蒋介石軍の規模縮小や配置、責任者らの処罰とともに、
上海租界の警備についても締約国内で話し合いを持つべきでした。

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以下『居留民の上海』藤田拓之著 P184~185より引用。
藤田拓之(ひろゆき)同志社大学講師【専攻:イギリス帝国史、上海史】
http://wk.tk/7aqGpw
※1~4行目『NCH,18 August 1937,p.277.』
※5~6行目『上海共同租界誌』上原蕃 著 P162~172
※7~16行目『回想録』上原蕃 著 P817~818
※上原蕃(しげる)氏は上海共同租界 工部局警察 総監補だった人物。
―――――引用はじめ―――――――
(前略)1937年8月に始まった第二次上海事変では、戦闘が始まると早々に、
当時の警視総監代理ボーンが戦闘地域となっていた虹口や楊樹補地区からの
工部局警察の撤退を指示した。その結果、土着派を中心とした
日本人居留民の大半が居住していたこの地域は無警察状態に陥った。
当時日本隊の指揮を執っていた上原は、直ちに日本隊警官を虹口署に招集し、
工部局警察の命令系統から外れた形で、独自に同地域の警察活動を開始した。
(中略)工部局の行動は「反日色彩が濃厚」となり、
「その機能を日本軍作戦妨害と支那支援に集中」しているとみていた。
その事例として、24階建てブロードウェイ・マンションに展望台を設置し、
イギリス人警官が中国軍のために日本軍陣地までの着弾距離を計測したり、
中国軍に電話で戦況を伝えていることや、貯蔵されていた物資を
中国軍に提供しているといったことが挙げられている。(中略)
しかし戦闘の激化にともない、工部局の「利敵行為」が明白なものとなると、
前回事変と異なり、上原は日本隊を日本軍の指揮下におくことは
拒否したものの、「日本軍のために総ゆる努力を傾倒し」、
積極的にその軍事行動に協力したのである。(後略)
―――――引用おわり―――――――

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そこで、

【1】不法な上海攻撃を行なった蒋介石に対して
アメリカが資金・武器支援した行為が「不法」だといえるのか?
つまり不法行為への支援も不法なのか?

【2】蒋介石軍からの武力攻撃に対して自衛で戦っている日本に対して、
アメリカが石油禁輸などの経済制裁を強化した行為は「不法」といえるのか?

の2つについてですが、

どの国も、国内法においては、
あきらかな違法行為者に対して支援をすることは違法行為になりますが、

問題は、国際社会において、どうなのか? ですが、

1928年・不戦条約というものは当初、
「戦争せずに話し合いで解決する」
という主旨の条約になるはずでしたが、
英米仏などの要望で自衛戦争を除外しましたので、
「戦争せずに話し合いで解決するが自衛戦争は除外する」
ということになり、それは、つまり、
「侵略戦争をしない条約」ということになります。
しかしながら「侵略戦争」や「自衛戦争」の定義は示されませんでしたので、
不戦条約なるものは無いに等しいような条約でした。
自国にとって自衛であるという認識があれば自衛戦争であり、
その自国の自衛戦争は不戦条約に沿った合法的な自衛であって、
対して相手は不法な武力攻撃を仕掛けて来た不戦条約違反の国となります。

それと同様、
蒋介石軍が、あきらかに不法な侵略戦争を仕掛けてきたのだから、
その蒋介石に資金・武器支援するアメリカの行為も、
当時の日本から見て主観的に、
「蒋介石の不法行為を支援するアメリカの行為は
蒋介石軍と一体となった後方支援の不法行為であるし、
合法的に自衛している日本を経済制裁して
合法行為の阻害をする行為も不法行為である。」
と、みなして問題ありません。

日本から見れば当時のアメリカこそ「テロ支援国家」だったし、
今の自衛隊でさえ「国の存立危機事態」なら集団であれ何であれ
武力行使をやるのであり、当時、中国大陸で蒋介石軍に武力攻撃を受けて
自衛戦争が続いていて、蒋介石には強力な資金・武器支援が行なわれ、
日本に対しては資源エネルギーの禁輸がなされ、
まさに当時、日本は国家として存立危機事態だったのであります。

中国には条約で欧米10ヵ国の軍隊も駐留していたのに、
なぜ同じ条約で駐留していた日本軍だけが攻撃されなければならないのか?
なぜ不法な上海テロ攻撃をしてきた蒋介石軍が非難されず、
逆に英米は蒋介石に資金・武器を支援し、日本を批判して石油禁輸し、
アメリカ一国で国連のつもりなのか何なのか、わけがわかりませんが、
日本だけ中国から出て行けとか、
なぜ、そんなことを言われなきゃいけないのか?

アメリカの言う通り撤退すれば良かったと言う人がいますが、
そんなに簡単に撤退できません。撤退する大義名文がありません。
日本は開国後、朝鮮半島、満州、中国と関わってきて、
いままで多くの戦死者を出しながら得てきた日本権益。
莫大な税金を投入してきたし、
すでに多くの日本の民間会社も進出していました。
すべて条約による合法的なものです。
必死に治安維持をしてきました。

蒋介石軍に武力攻撃されたから撤退するとか、
アメリカが撤退しろと言うから撤退するなどという、
わけのわからない、理由なき撤退などできないと
思って当然ではないでしょうか。

引いたら三国干渉のように、相手は出て来るんです。
「撤退していたら、以後、すべて順調にいったはずだ」という、
実際に検証できない歴史のifで安易に先人をバカにすべきではありません。

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アメリカ→→資金・武器支援→→蒋介石→→武力攻撃→→日本

日本→→技術支援したことがある→→ドイツ→→武力攻撃→→ポーランド

日本が同盟国のドイツに技術支援したことがあることについて
批判する論があるが、日本はソ連南下の脅威があるから
反対側のドイツと同盟を組むことによってソ連を牽制する意味合いがあるし、
アメリカが持っていたレーダー技術を日本は持っていなかったので、
ドイツが持っているレーダー技術を得たいという思惑もあって
自衛のため努力していたのであって、
ドイツにポーランドを攻撃させるために技術支援したのではない。

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「1928年8月27日・不戦条約(ケロッグ・ブリアン条約)」について。

最初、フランスとアメリカの協議から始まり、
多国間協議に広がったことから、アメリカの国務長官フランク・ケロッグと、
フランスの外務大臣アリスティード・ブリアン両名の名にちなんで
ケロッグ・ブリアン条約とも言われています。

国際紛争を解決する手段として、締約国相互での戦争を放棄し、
紛争は平和的手段により解決することを規定した条約でしたが、
米英仏などの要望により自衛戦争は除外されていただけでなく、
「侵略」の定義が行なわれていませんでした。
国際法は相互主義を基本としますので、
【侵略か自衛か】・【どこまでが自国にとっての重要な地域であるのか】
は当事国が決めてよく、
当時、世界の学者からは事実上の空文と評されていました。

米国国務長官ケロッグは、
「自国が行なう戦争が、自衛戦争であるか侵攻戦争であるかは、
各国自身が認定すべきものであって、
他国や国際機関が決定できるものではない」と主張していました。

国際法学者の信夫淳平氏は不戦条約による戦争の違法化を否定していました。
↓↓↓
『戦時国際法講義 第1巻 (1941年)P702~703』信夫淳平著(国際法学者)。
―――――引用はじめ―――――――
自衛の果たして自衛なるやは、個人間の正当防衛が裁判所に依りて
判定せらるるのとは異なり、戦を遂行する国自身が判定するのであるから、
自衛戦を適法と認むる不戦条約の下にありては、殆ど全ての戦は適法の戦
として公認せらるるのである。不戦条約は不戦どころか、
大概の戦の遂行を適法のものとして裏書きするものである。
―――――引用おわり―――――――

また、経済制裁が戦争に含まれるのかは不分明でしたが、
1928年12月7日、アメリカのケロッグ国務長官は、
アメリカ議会上院の不戦条約批准の是非をめぐる討議で、
経済封鎖は戦争行為そのものだと断言していましたので、
アメリカのケロッグ国務長官の認識でいえば、
アメリカによる対日経済制裁は戦争行為そのものであり、
日米戦争はアメリカから日本に戦争を仕掛けたといえます。

※参考:『なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか』
加瀬英明/ヘンリー・Sストークス著

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『1928年12月7日(金)第70回 国会外交委員会審議』
パリ不戦条約(ケロッグ・ブリアン条約)批准の是非を問う米国議会において
同条約の共同草案者である米国務長官フランク・B・ケロッグの答弁議事録。

■ケロッグ長官
私は、ある国家にとって回避することの出来ない問題である「自衛」もしくは
「侵略者」という語について、これを論議し定義する事は、
地上の何人といえども恐らく出来ないであろうと思うのであります。
そこで私は次の結論に達したのであります。
即ち唯一安全な方法は、どの国も自国が受けた攻撃は不当なりや否や、
自国が自衛の権利を有するや否やを、
自国の主張において自ら判断する事であって、
ただこれについては、
その国家は世界の与論に答えなければならないという事です。

■質問
国家が攻撃されるのではなく、経済封鎖を受けるとしたら?

■ケロッグ長官
戦争をせず封鎖などということはありません。

■上院議員
そういうことは戦争行為です。

■ケロッグ長官
断然戦争行為です。

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【パリ不戦条約の付帯事項】
―――――引用はじめ―――――――
自衛権は、関係国の主権のもとにある領土の防衛だけに限られてはいない。
そして本条約のもとにおいては、自衛権がどんな行為を含むかについては、
各国みずから判断する特権を有する。
―――――引用おわり―――――――
つまり戦争当事国が「この戦争は、侵略戦争ではなく、自衛戦争だ」
と判断すれば、その戦争は侵略ではないということ。

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【東京裁判資料刊行会編『東京裁判却下未提出弁護側資料』第1巻】
P240
【米国政府覚書】
オーストラリア、ベルギー、カナダ、チェコスロバキア、フランス、ドイツ、
イギリス、インド、愛蘭土自由国、伊太利、日本、ニュージーランド、
ポーランド及び南アフリカ諸政府宛 米国政府覚書
1928年(昭和3年)6月23日
(抜粋)
1928年4月20日、仏蘭西共和国が米国を始め諸他の関係国政府に対し
別個の条約草案を回覧せる事、及び1928年4月28日アメリカ国際法協会に
於ての演説中米国国務長官が米国政府提案の条約に対し、
米国政府が為したる解釈を充分説明し、フランスが別個の条約草案
及びそれに先立ち米国政府と取りかはした外交文書に
強調せる六大重点に次の如くに言及している、即ち、

1.自衛
反戦条約米国草案に、自衛権を制約又は侵害するものは一切含んでいない。
自衛権は各独立国に固有のものであり、各条約に包含さるるものである。
各国は条約文には関係なく攻撃侵略よりその領土を防衛する自由を常に有し
その国のみが自衛戦を必要とするか否かを
決定する能力を持つているのである。
若しもその主張が正当な場合は全世界が
その行動を非難するどころか称賛するであろう。
但し、此の不可譲権を条約により明文にしようとすれば
「侵略」を定義しようとする時遭遇すると同様の困難に突き当たる。
之は同一の問題を向ふ側から取扱はうとするのである。
如何なる条約文も自衛の本質的権利に何者をも付加し得ざるを以て
条約が自衛の法的観念を規定することは平和を促進する所以ではない。
がむしやらな者にとつては条約の定義に一致せしむべく
事件を作成するのは極めて容易であるからである。
(中略)
英国、独逸、伊太利及日本各政府は、1928年4月13日付我政府覚書に対し
只今回答し来り、英国自治領及印度政府亦、我政府が英国政府よりの
5月19日付覚書の提言に従ひ、1928年5月22日
之等諸政府に宛てたる招待に対し、回答を寄せ来つた。
此等諸政府は上に引用せる解釈に対し何等の異議を表明せず。
又世界平和促進に対する米国提案の基本原則に少しも不賛成を唱へていない。
米国政府は1928年4月13日提案せる条約草案につき何等特別の修正を
提議せる回答を受領せず、且我政府としては、その提案にかかわはる、
戦争放棄のための多辺的条約の案文中に、何れの国家の正当なる利益を
防衛する必要上、修正を要するが如き箇所は
全然ないことを信じるものである。
我政府は、自衛権は独立国に固有のものであり、
各条約に暗黙に認められて居ると信ずる。
従つて宗主権に必然的に付属する自衛に対し、
何等かの具体的言及は不要であり且つ望ましからぬものである。

P243
【不戦条約に関する日本政府の解釈】
戦争放棄条約締結経過概要
自衛権ノ範囲
精査委員会ニ於ケル総理説明(昭和三)
第一、自衛権ノ範囲
自衛権ノ範囲ハ国際法上明確ナラス自国領土ノ防衛ニ付テハ議論ナキモ
国境外ノ行動ヲモ含、ムヤ否ヤニ付テハ疑問ノ余地アリ政府ハ我邦ノ支那殊ニ
満蒙ニ有スル重大ナル権益ニ鑑ミ之カ防衛ノ為執ルコトアルヘキ行動ヲ予想シ
我自衛権ニ関シ特殊ノ宣明ヲナスノ可否得失ニ付慎重考量シタル結果
自衛権ハ国境外ノ行動ニモ及フモノナリトノ広義ノ解釈ヲ採リ右ノ如き宣明ヲ
ナササルヲ以テ時宜ニ適スト認メタリ
(後略)

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【東京裁判研究会編『パル判決書』上巻】

P323
自衛の問題に関して、ケロッグ氏は次のように言明した。
自衛権は、関係国の主権のもとにある領土の防衛だけに限られてはいない。
そして本条約のもとにおいては、自衛権がどんな行為を含むかについては、
各国みずから判断する特権を有する。

P328
ホールの見解。
自存権は、ある場合においては、
友好国、または中立国に対する暴力行為を、正当化することがある。
(略)
国家は外国にある自国民を保護する権利を有する。

P329
リビエは、この自衛権または自存権を次のように説明している。
(略)
政府は、自国の安全のため、
他の一国の権利を侵害する権利を与えられているし、
且つある状況のもとにおいては侵害する義務を負うことさえある。

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不戦条約 http://bit.ly/1SVuw9d
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-287.html
不戦条約 http://bit.ly/1WiRTfH
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-728.html
1928年8月27日・不戦条約(ケロッグ・ブリアン条約) http://bit.ly/1PNUS8C
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-715.html

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★もっと超簡単に!大東亜戦争にいたる流れの説明 http://bit.ly/1WzbZ2U
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-553.html

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『米の援蒋と対日制裁は不法か?』
http://bit.ly/1ONT3vC
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-694.html
2016/01/14 06:00|年表リンク用資料
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