正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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1874年、牡丹社事件の台湾出兵

1871年(明治4年)、宮古島(琉球)の住民が台湾南部に漂着したが
当地の「牡丹(ボータン)社」を名乗るパイワン族原住民に、
66人中54名が台湾の住民に虐殺された(残り12人は逃げ帰った)。

これに対して、日本(明治政府になったばかり)は清国に抗議した。

しかし、清国は、
「台湾は化外の地(皇帝の教化が及ばない地)であるから責任が持てない」
と清国の領土ではないと主張し、事件はそのまま3年間放置されたが、
1874年(明治7年)、日本は台湾に出兵し、占領した。

大久保利通は北京に乗り込み交渉した。
清が賠償金を支払うことになったので日本は撤兵した。

当時の清国は正式に「義戦」と認め、
日本軍の撤兵に際しては清国海軍は礼砲まで撃って見送った。

その後、1895年(明治28年)の下関条約により清国は台湾を日本に割譲する。
2010/02/18 06:00|年表リンク用資料
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