正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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「大東亜戦争」の呼称と発端の日付は当時の閣議決定で定められている。
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「大東亜戦争」の呼称と発端の日付は、当時の閣議決定で定められています
ので、当時の日本の認識は、はっきりしています。

1937年(昭和12年)9月2日の近衛内閣の閣議で
―――――――
『事変呼称ニ関スル件 今回ノ事変ハ之ヲ支那事変ト呼称ス 理由』
今回ノ事変ハ北支蘆溝橋附近ニ於ケル日支兵衝突ニ端ヲ発シタルモノナルモ
今ヤ支那全体ニ及ブ事変ト化シタルヲ以テ其ノ呼称モ名実相伴フ如クシ
国民ノ意思ヲ統一スルノ必要アルニ依ル
―――――――
とされ、「支那事変」の呼称と「支那事変は蘆溝橋事件が発端である」
ことが閣議決定され、

1941年(昭和16年)12月12日の東條内閣の閣議で
―――――――
今次ノ對米英戰爭及今後情勢ノ推移ニ伴ヒ生起スルコトアルヘキ戰爭ハ
支那事變ヲモ含メ大東亞戰爭ト呼稱ス
―――――――
と閣議決定されているので「大東亜戦争」が正式な名称であり、

1942年(昭和17年)2月17日には「支那事変」の呼称を「大東亜戦争」に
改める法律第9号の閣議決定が行われていますので、
法的には大東亜戦争の発端は蘆溝橋事件(1937.7.7)となります。

しかしながら戦争の原因を考察すれば、中国側は盧溝橋事件以前も
日本側に対して散発的にテロ事件を起こしてきた経緯を考えれば、
盧溝橋事件も単なる地方軍閥(宋哲元29軍)との軍事衝突事件で、
一連のテロ事件の一種と考えて差し支えありません。
しかも蘆溝橋事件は1937年7月11日20:00の
『松井-秦徳純・停戦協定』で終了していますので、
停戦済の軍事衝突事件は蒋介石・中央政府軍が上海を侵略し、
無差別空爆する理由にはなりませんし法的根拠はありません。

たとえ盧溝橋事変が発端だと解釈するにしても、
蘆溝橋事件も第二次上海事変も、どちらにしても中国軍からの攻撃であり、
それに対して日本軍は応戦・反撃していただけです。

支那事変・大東亜戦争の実質の発端は「1937.8.13~第二次上海事変」です。
蒋介石軍本隊3万人が上海共同租界内に不法侵入し、日本人町を武力攻撃
してきて、蒋介石軍の無差別爆撃で日本人だけでなく欧米人・中国人を含む
約3000人の民間人が犠牲になった第二次上海事変は蒋介石の宣戦布告もなく、
上海共同租界の周辺には7万人の中国軍も取り囲んでおり、これは、
あきらかに大がかりで不法な戦争行為であり、この第二次上海事変こそが、
だれの目にも明白な大東亜戦争の発端といえます。
2008/07/22 07:00|年表リンク用資料
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