●正統史観年表 戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳 |
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すばらしい日本
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他サイトの内容を100%支持している わけではありません。完全に意見が 一致する人など存在していません。 ならば、なぜリンク紹介しているの かというと、大東亜戦争後、日本国 内が、あまりにも、いわゆる左巻き の論調に偏ってしまっているので、 全体的に見ると少数ながら存在して いる保守側の意見を、いろいろな 角度から知ってほしいからです。 ブログ記事の右下の日付について
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簡単に作れそうだったのでブログで この正統史観年表を作成しました。 ブログなので各記事の一番右下に 日付が表示されてしまいますので、 適当な日付を指定しながら記事を 作成していきました。つまり各記事 の一番右下の日付はブログを書いた 日付ではなく、適当な日付です。 まぎらわしくて申し訳ありません。 |
『勝率低いから自衛しない?』
大東亜戦争で日本が反省すべきだという主張は、自衛戦争ではなく 侵略戦争であるという前提になっているのではないでしょうか。 「自衛戦争を起こした反省をしろ!」 「日本を守った反省をしろ!」 というのは、おかしなことです。 武力攻撃されてるのに「勝率が低いから自衛しない」はありえません。 自衛しなくても何もなく平和ならアジアは白人の植民地になっていません。 アジア諸国が遠い欧州からやってきた白人の植民地になってるのに 「勝率が低いから戦わない」で国が守れるなんてお花畑もいい所です。 「うまくやれば戦争もせずに独立できていた」 「どじ踏んだから失敗した」という妄想、 どんなに頑張っても負ける時はありますが批判される筋合いはありません。 批判されるのは戦いもせず服従することです。 戦争には理由があるのです。 戦争は目的ではなく手段です。 戦争をするしない、してしまったという「戦争という手段」のみを叩き、 その前にある課題・問題・理由を考えない、 解決する代案を提示しない人は平和を語る資格がありません。 問題があるから、その解決手段の一つに戦争があるのです。 問題なくして解決手段は起こりません。 「戦争」自体は国内法でも国際法上でも犯罪ではありません。 法律に反して初めて犯罪なのに、 禁止する法律がないどころか「戦時国際法」があります。 戦争がダメなら 「戦争するならこういう方法で」が存在するわけがありません。 パリ条約でさえ自衛戦争を否定していないのですから 戦争は批判の対象にはなりません。 敵が攻め入ってきたから守るために命を掛けて戦って、 勝てばお咎めなしで、負ければ法律で裁かれるというのは意味不明です。 批判や裁きを受けるのは攻め入ってきた外側であって内側ではありません。 戦争が起こる理由が、戦いが始まって勝敗が決まってから 「負けた方に決まる」というのでは防ぐ方法はありません。 批判してる人は結果論で、 戦争したら「相手の言う通り撤退すれば戦争防げたのに」と言い、 相手の言う通り撤退すれば「あのとき弱腰で撤退せず戦ってれば 相手はこんな増長せず抵抗できない状態にはならなかったのに」と言って、 結果「日本は馬鹿だなぁ」と言いたいだけの無責任な人です。 上海共同租界の日本軍駐留等の権利は 英米と同じ法律で行なっている完全合法行為です。 これに対して無差別爆撃をした蒋介石の行動は何の法的根拠もありません。 無論これへの自衛が違法なわけがなく、 よってこの蒋介石のテロを支援したり、 自衛した日本を制裁するのは違法であり不当となります。 英米支ともども順法でなかったから、あの戦争は起こったのです。 支那事変は蒋介石の侵略攻撃なので抗戦しなければ負けます。 合法権利も不当に奪われます。 対して英米がテロ支那を支援する自衛的理由はありません。 日本を制裁することも何の自衛でもありません。 援蒋と不当制裁がなければ英米と戦っていませんし、 援蒋だけでも不当ですが日本は我慢して合法遮断に徹しました。 援蒋及び不当制裁されているので延ばせば延ばす程、 日本は不利な状況になり、戦わなければ資源が底を突き、 史実の初期戦勝も無理になるのです。 不当経済制裁されていたから、その国が持つ資源(植民地)を奪取、 つまり開戦したのです。 奪わなければ時間、日にちと共に 資源武器弾薬燃料が底をついて戦えなくなります。 8月に全面禁輸されて4ヶ月も我慢して平和的解決に尽力して、 もう限界でした。 批判するなら対案を示すべきです。 戦争遂行のために敵地から物資を頂戴することは禁止されておらず、 敵・白人列強の持ち物である東アジアを奪取したのですが、 日本はそこを植民地にはせず、大東亜宣言で独立を承認しました。 〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓 「とにかく抵抗しなければ幸せになれる」わけではありません。 「戦争をして人命を失うくらいなら、他国の奴隷となって命を大切にしよう」 という考えは、実際には逆に、 戦争をして失う人命を遥かに超える人命を失う場合もあります。 中国の例だけ取り出して説明すると、中国によって侵略されて 支配された東トルキスタンやチベットの惨状を見れば良く分かります。 1949年に中国によって侵略された東トルキスタン (中国は「新疆ウイグル自治区」と改称)では、 楼蘭などで中国に46回も核兵器を使用(大気圏核実験)されたため、 19万人が急死し、129万人が健康被害者となりました。 人類の歴史における核兵器使用には、アメリカによる日本への2回のほか、 中国による東トルキスタンへの46回も含めるべきです。 1951年から始まった中国によるチベット侵略の結果、 犠牲になったチベット人は120万人にものぼります。 死んだ120万人の大半のチベット人は 武器を手にとって戦って死んだのではなく、 中国人たちに虐殺されたり処刑されたりして死んだのです。 さらに、中国は、チベット人をこの世から抹殺しようとし、 チベット人男性に断種治療を行い、 女性にも不妊や堕胎のための治療(手術)を行ったり、 漢民族の子孫にするため乱暴したりしました。 また、「戦争しなければ死者は少ない」とは限りません。 イギリスに植民地にされたアイルランドの人口は、 1841年の820万人が1911年には444万人と約半分になりました。 1939年9月に始まったドイツとポーランドの戦争で ポーランド人が失った命は人口の0.4%にあたる約13万人でした。 ところが、1941年、ドイツとソ連の戦争が始まり、 ポーランドで独ソ両軍が死闘を繰り広げたら、 ポーランドは人口の20%が死ぬという悲劇に見舞われたのです。 つまり、ポーランドでは、 戦争で抵抗をして死んだのは人口の0.4%でしたが、 戦争などの抵抗も出来ない状況において死んだのは 人口の20%となりました。 生きているよりも辛い仕打ちを受ける事もあるので、 「死ななければいい、生きてさえいればいい」とは限りません。 攻撃された場合、抵抗しない選択肢もあるでしょうが、 抵抗する選択肢もあります。 どちらが正しいとか、間違っているとか決まっているわけではありませんが、 当時の責任者が、どちらを選択したとしても、それなりの理由があるわけで、 それは当時の責任者の判断で決められるしかありませんし、 抵抗しなければ、どうなっていたのか、 別の抵抗の手法だったら、どうなっていたのかは、 実際にやってみることはできませんので、 「歴史のif」を根拠にして当時の先人を痛烈に批判するのは 適当ではないのではないでしょか。 〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓 大東亜戦争にいたるまでの説明図 http://bit.ly/1P1UDZX http://bit.ly/1RMhlYK http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-706.html http://blog-imgs-90.fc2.com/s/e/i/seitousikan/20151214081352ded.jpg 正統史観年表で一番拡散したいこと http://bit.ly/21WysLO http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-705.html 「コミンテルンの工作が~」について。 http://wk.tk/v4uTRc http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-704.html ★もっと超簡単に!大東亜戦争にいたる流れの説明 http://bit.ly/1WzbZ2U http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-553.html |
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