正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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「相手側にも良い人がいる」という主張について

よく聞く主張で、
「相手側にも良い人はいるんだから・・・」
というのがありますが、

相手側が、組織・集団・国家などの単位で、
こちら側の集団に対して、こちら側が不利益を被る行動をしてきたとして、

それに対して、こちら側が相手側に
抗議の声を挙げたり、抵抗する行動を起こしたとしても、

それは相手側が組織・集団・国家などの単位で行なった行為に対して
抗議の声を挙げたり、抵抗する行動を起こしたのであって、

相手側の集団の中の特定の個人の性格が悪いという抗議ではないわけです。

相手側の集団の中に、たとえ個人的に良い性格の人が複数いたとしても、
相手の集団の個人個人の性格について問題にしているのではなく、
相手側が集団として行なった行為に対して抗議しているのですから、
相手側の集団の中に良い性格の人がいるから
抗議しないということにはなりません。

たとえば尖閣諸島に中国軍が攻めてきたとして、
「中国兵のなかにも良い人はいるだろうから防衛しない」
ということにはなりません。

欠陥マンションが傾いてきても、
「施工業者のなかにも良い人はいるだろうから抗議しない」
ということにはならないのです。
施工業者の社員のなかに良い性格の人がいるかどうかを
問題にしているのではなく、
施工業者が会社として行なった仕事の内容について抗議するわけです。

特に日本国内に住む外国人が本国政府の指示のもと、
集団で反日的な政治活動をしているならば問題です。
その集団のなかに良い性格の人がいるかどうかが
問題になるのではありません。

その外国人の集団が、
多くの日本人にとって不利益を被るような活動をするならば、
日本も政府として対応すべきだし、
国民が集団で抗議の声を挙げても問題はないと思います。

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「相手側にも良い人がいる」という主張について http://wk.tk/1aOroh
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-709.html

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2015/03/25 06:00|年表リンク用資料
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