●正統史観年表 戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳 |
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江華島事件(雲楊号事件)のいきさつ
1872年9月、大院君は、 対馬藩と交替する為に来朝した花房義質が、軍艦春日に乗ってきたことから、 日本を西欧勢同様、衛正斥邪の対象として、 前述のように食糧の供給を停止した。 1873年10月、大院君は 「高宗が成人に達した」ことを理由とした上訴により失権し、 高宗の王妃・閔妃が政治的実権を握った。 そのため朝鮮外交の政策が変化し、釜山官憲の高官も交代した。 1875年、 釜山に於いて東莱政府と森山理事官との間で、 初めての政府間交渉が持たれた。 しかし、 またもや紛糾して流産となってしまった。 宴饗の儀における日本大使の大礼服着用と、 同大使が宴饗大庁門を通過することについて、 東莱政府が承認しない為である。 清国大使には、これを認めているので、明らかな対日差別である。 森山理事官にとっては、 一旦、この差別を日本が受け入れて譲歩するならば、 この挽回には長い時日と莫大な労力が必要と判断した為であろう。 目下、明治政府が取り組んでいる欧米との条約改正に、 祖国が如何に苦労しているのか、十二分に分かっていたからである。 かかる因循姑息な李朝外交に翻弄された日本政府は、遂に痺れを切らして、 小艦を釜山に派遣の上、東莱府館員を艦上に接待して、 発砲演習を見せつけることにより、局面打開を図った。 一方、近い将来朝鮮国との和親条約を締結する際、 重要案件となる朝鮮国の開港場所を予め研究しておく目的で、 明治政府は雲楊号と第二丁卯に朝鮮半島東海岸を測量させた。 その後、雲楊号は一旦長崎へ戻り、 「朝鮮半島西海岸を清国・牛窓まで単艦測量せよ」 との命令を受けて、同港を出港した。 十分な海図を持ちあわせず仁川沖を巡航していた雲楊号は、 飲料水の残量を「胸算」して、 これの補給を思い立ち江華島付近に碇泊した。 翌日の1875年9月20日、 雲楊号の井上良香艦長は、自らボートに乗り込んで江華水道に入り、 陸地に水を求めたところ、 突如、同守備隊から発砲を受けた為、急ぎ帰艦して応戦した。 これが世に言う江華島事件である。 1876年2月27日、両全権大使は「日朝修好条約」に調印 この軍事紛争を契機に、 黒田清隆特派全権大使が軍艦6隻を率いて、 江華島に出向いて、朝鮮国の申憲全権大使と事件終結を協議した。 時に1876年2月27日、両全権大使は「日朝修好条約」に調印。 この条約では、朝鮮は中国の柵封関係を脱した「自主独立の国である」 と規定している。 武力を背景に、条約締結を強要したと非難されるが、 釜山に於ける正規のルートが機能麻痺に陥っていること。 大院君麾下の朝鮮軍民が1866年にはフランス艦隊を、 また1871年にはアメリカ艦隊を、それぞれ撃退した故事を考慮すれば、 黒田清隆特派全権大使に6艘を持たせた配慮は当然の措置と言える。 この日本への開国を契機として、 1882年アメリカ、清と、 1883年イギリス・ドイツ、 1884年ロシアと修好通商条約を結び、開国した。 (清とは「朝清商民水陸貿易章程」) ――――――― 「植民地朝鮮」の研究 杉本幹夫著 展転社 |
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