正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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満州事変3記事 http://bit.ly/1RbJeIk
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-724.html

◆満州事変の大まかな説明 http://bit.ly/1pWhKxy
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-723.html

◆1931年~1933年・満州事変 http://bit.ly/1pElzHU
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-725.html

◆満州事変についての大東亜戦争後の証言 http://bit.ly/1QMKjZG
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-710.html

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『1931年~1933年・満州事変
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-334.html
日本の満州権益は1904年2月8日~1905年9月5日の日露戦争の戦後処理条約
『ポーツマス条約(1905年9月5日)』や『満州善後条約(1905年12月22日)
によって得られた正当なものでした。
1931年9月18日、奉天(現瀋陽)郊外の柳条湖付近で、
敵兵が南満州鉄道の線路を爆破(柳条湖事件)。
現場に駆けつけた日本の鉄道守備隊(関東軍)に
対しても敵兵は攻撃を仕掛けて逃げました。
日本の鉄道守備隊は軌条に沿って追いかけ、
敵兵は張学良の本拠地である北大営に逃げ込みました。
その北大営からも日本の鉄道守備隊に銃撃してきたので、
関東軍が本格的に報復軍事行動を起こして満州事変が勃発しました。
攻撃されて反撃するのは国際慣習法上の自衛行為です。
このように柳条湖事件は「犯人は支那軍」というのが本来の通説であり、
日本(関東軍)犯行説が出たのは大東亜戦争後です。
関東軍指導者が殆ど逝去された後に、
本当かどうか検証のしようがない「証言」のみが出て、
なぜか通説になってしまっている状態です。
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-710.html
物的証拠も状況的証拠も確たるものはなく、
主犯とされる石原莞爾も一貫して否定しています。
1931年9月15日、奉天総領事の林久治郎が「推察」として
「関東軍が近く軍事行動を起こす」旨の機密電報を幣原外相に
送ったことにより、それを抑えるためとして建川美次少将が満州・奉天に
派遣されますが、「推察」の根拠が検証されなければ
証拠にも論拠にもならず、派遣されたこと自体は何の根拠にもなりません。
鉄道爆破・守備兵襲撃などされたら応戦膺懲するのは当然の事であり、
鉄道破壊犯討伐という鉄道守備の行動でした。

それ以前も満州内では張学良による排日政策が行なわれていましたし、
日本人や日本の関係施設などが、さまざまなテロ攻撃を受けていました。
(下記URL記事は見解が統一されていない部分があります)
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-111.html

しかも、その武装盗賊テロ集団に武器や資金の支援をしていたのは
アメリカ(→張学良や中国国民党を支援)や、
ロシア(→共産パルチザンを支援)でした。

5ヵ月後の1932年2月上旬にはテロ集団を満州から追放する事に成功し、
満州の治安は回復。
その後も満州-支那の国境付近で張学良軍や中国国民党軍が
テロ攻撃してくるので、それらを排除する作戦などを行ない、
1933年2月初旬、熱河作戦。
1933年5月3日~25日、関内作戦。

1933年5月31日の『塘沽(タンクー)停戦協定』で満州事変は終結しました。

満洲事変は1933年5月31日の塘沽(タンクー)停戦協定で終結していたので、
4年後の1937年になって満洲事変を理由に盧溝橋事件や第二次上海事変など、
まったく別の場所で武力攻撃を仕掛けてくることは不法です。

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柳条湖事件についての日本側の公式見解

『昭和史の謎を追う 上 P63~64』 秦郁彦著

1935年に印刷された参謀本部編『満州事変史』第1巻上は、
柳条湖事件の発端について次のように記している。

「昭和6年9月18日午後10時過、支那正規兵(兵力3~4百名)は
突如柳条湖(奉天駅東北方約7粁(キロ)半)付近満鉄本線を
爆破するの暴挙を敢てせり。
当時虎石台(こせきだい)駐屯独立守備歩兵第2大隊第3中隊
(隊長・大尉川島正)は、文官屯(ぶんかんとん)(北大営北方約四粁)
付近において夜間演習中偶々(たまたま)北大営方向に当り
暗夜の寂寞を破りて轟然たる爆音の起るを耳にして、
北大営方向に急行(中略)南下せしが、北大営西南側に至るや
俄然支那兵の射撃を受けしを以て独断北大営に向い攻撃を開始……」

北大営には満州の支配者である張学良軍の主力約1万が駐屯していたが、
川島中隊につづいて関東軍の増援部隊が突入したため翌朝までに陥落、
同時に奉天市街も関東軍の手に帰した。
日本軍の出動は、当時奉天に滞在していた関東軍高級参謀板垣征四郎大佐が、
旅順の本庄繁軍司令官に代り独断で発した命令によるものであった。

ところで、「支那正規兵による満鉄線爆破」の細部は、
同じ『満州事変史』第8巻上にも「目撃者」である
川島中隊の河本末守中尉一行の行動をふくめ次のように書かれている。

「陰暦7日の月は高粱(こうりゃん)に没して暗く星光淡く輝くのみ」
と公式戦史には珍しい詩的な情景描写ののち
「一行(河本中尉と下士官兵6人)が午後10時過、
北大営西南方約800メートルの踏切付近に達せし頃、
俄然後方煉瓦焼場方向に当り轟然たる一大音響を聞き、
河本中尉は直ちに全員を率いて之に向い急行せしに、
焼場付近の軌条接続部爆破せられあり
(その後の調査で東側軌条の両端は約24センチずつに破壊切断し
断目板と共に飛散しあり。枕木2本は中央より東側
全く粉砕せられ付近に散乱)」

と書かれ、さらに

「河本中尉は確かめる間もなく暗夜中より射撃を受け応戦せしに、
6~7人の支那正規兵北方に逃走を目撃」

したので

「軌条に沿って追撃に移り前進100メートル……
焼場付近より猛烈な射撃を受く、兵力約3~4百と推定……」

とつづく。
河本隊が交戦中に、川島中隊主力は途中で伝令から報告を受け、
南下して河本隊の戦闘に加入したとされるが、
この時点以降の経過は第1巻の記述につながるので省く。

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満洲事変
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満州地域における日本人や日本関係施設の被害
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清室優待条件(協定)
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関東軍1万人で張学良軍30万人らを満州から追放した。
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『満州事変』についての反応
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東京裁判 弁護側資料 満州関連
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満州事変前~満州事変~支那事変まで
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満州事変を生んだ内外要因 ブロック経済から生き延びるために
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『紫禁城の黄昏』が明らかにした真実
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満州事変 関連議論
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もう一つのアメリカ合衆国 『満州』
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不戦条約と自衛権
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大東亜戦争までの内閣
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義和団の乱
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1900年(明治33年)、ロシアが『義和団の乱』に乗じて満洲を占領。
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日露戦争後の「アメリカの反日政策」と「日本の歩み」年表
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日米開戦前 日本の和平努力
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ハル・ノートに対する日本の回答入電「これは戦争を意味する」
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門戸解放宣言(通牒)
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中国の租界
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1931年~1933年・満州事変 http://bit.ly/1pElzHU
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2016/01/09 06:00|年表リンク用資料
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