●正統史観年表 戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳 |
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朝鮮が結んだ初の国際条約=日朝修好条約(江華島条約1876年)の意義
清と朝鮮との宗属関係を否定し、東アジアの華夷秩序を否定した事にある。 欧米列強からの独立を得るために、明治政府は外交問題を二の次にして、 国内の近代化に力を注いだわけだが、朝鮮問題だけは別であった。 朝鮮が近代国家になってくれることは、日本の念願だったとも言っていい。 白人諸国、ことにロシアの進出に対して、 ひとり日本だけが頑張っていても、それには限界がある。 やはり、近くに独立国家がある方が、ずっと安心である。 そこで、明治政府は朝鮮に近代化を促すための働きかけを 熱心におこない続けた。 それが初めて実を結んだのは、 征韓論争に敗れた西郷が下野してから三年後の 1876年(明治9年)に締結された日朝修好条約であった。 日本が江華島事件を「口実にして通商条約の締結を強要した」というが、 そのやり口がペリーの砲艦外交と同じだった事は、素直に認めよう。 これに対しては、日本側にも批判があり、 特に「征韓論争」に敗れて下野した西郷隆盛などは 「天理に於いて恥ずべき所為」と憤った。 (西郷という人は「征韓論者」と誤解されているが、 これを見ても解るように、死を賭して単身で韓国に乗り込み、 日本と韓国は協力して西欧の侵略に対処せねばならないと、 大院君を説得するつもりだった。) だが、日本が「強要」したと否とに拘わらず、日朝修好条約は、 先ず第一条に「朝鮮は自主独立の国であり、日本と平等な権利を有する」 と規定し、それを謳った点で、まさに画期的なものであった。 それは、清と朝鮮との宗属関係を否定する事によって、 東アジアの華夷秩序による国際関係に深刻な打撃を与えた事も事実である。 というのも、この条約が結ばれた当時の国際社会では、 朝鮮は「清の属国」と、捉えられており、 西洋諸国は、朝鮮を独立した交渉相手と見倣していなかったからである。 これは朝鮮の独立にとって、画期的な「前進」だったと言える。 ちなみに、ウィーンの国立図書館で昔の大地球儀を見る機会を 得たことがあるが、いずれも朝鮮半島をシナと記していた。 韓国の教科書は、「強要」「強要」と悲鳴を上げる前に、 条約のプラス面についても正当に評価するべきだ。 ――――――― ・渡辺昇一の昭和史 ・日本人が知ってはならない歴史 若狭和朋著 朱鳥社 ・韓国・中国「歴史教科書」を徹底批判する 勝岡寛治 著 |
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