正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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2016年7月25日2:52:07 せきや生放送後の
ドス竜さんからのスカイプメールに答えます。

>もちろん僕も最初は自衛だと思いますが、
>中国本土深く進軍するうちに
>自衛という大義は失われていたように思いますよ。

上海共同租界で民間人3000人を殺害し、建物などにも多くの被害を与え、
逃げていく蒋介石軍を追撃することに大義がないわけがありません。
日本から蒋介石に何度も和平を打信していたのに
蒋介石が拒否し続けたのです。
長引かせれば悪人に大義が出てくる
という考え方のほうが悪としか言いようがありません。

>それを証明する後ろ盾である国連も脱退するわけですから。
>何があっても国連は脱退すべきではなかったし、
>白でも国連で黒となれば、
>それは証明できなかった日本の落ち度だと思います。
>少なくとも、リットン報告書にある柳条湖事件における日本軍の活動は、
>日本人の目から見ても自衛とは認められないですよ。
>リットン報告書にある、日本の満州国での特殊権益を認めた上で、
>日中両国で新条約を締結せよという提言がなされたにも関わらず、
>それを蹴った日本政府と軍首脳部の愚策だと思いますよ。

それは1931年(昭和6年)9月18日の柳条湖事件から始まった
満州事変のことですよね?
「国連は日本軍は撤退せよ。国連が管理する(国際的な軍隊で守る)」
と言いますが、
それは南満州鉄道を自軍で守るという日本の権利を奪うということです。
なぜ自衛したことが悪いのでしょう?
しかも「国連」と言いますが、実質、アメリカなんですよ。

反日リットン報告書でさえ、よく分からない事件だと言ってるんです。
日本軍犯行説の確たる証拠などありません。

満州権益は国際法上、日本が所有しているのですから
その権益を保護する現地政権を認めるのは当然のことです。

>日本はあまりにも、国連という国際協調を軽視しすぎたことが、
>日本が負け戦たる世界大戦へ進むのを
>止めれなかった最大の原因と思ってます。

満洲事変は1933年5月31日の塘沽(タンクー)停戦協定で終結していたので、
4年後の1937年になって満洲事変を理由に盧溝橋事件や第二次上海事変など、
まったく別の場所で武力攻撃を仕掛けてくることは不法です。

>ですので、日本人自身も「ここまでは自衛」「ここからは自衛じゃない」
>ときちんと線引きできることこそが、
>今後も戦争を起こさないことに繋がるのでは?と考えてます。

上海共同租界を武力攻撃して逃げる蒋介石軍を
上海→南京→武漢
と追撃し、
次に重慶へと逃げた蒋介石を重慶爆撃しました。
蒋介石が和平を拒否し続けたんです。
蒋介石が和平を拒否し続けた理由は米英が蒋介石を支援していたからです。
その支援ルートを合法的に遮断したら石油禁輸され、
日本は蘭印の石油を武力で確保する決断をし、
そのまえに、ハワイのアメリカ艦隊が来るのを遅らせるために
先手を打って真珠湾攻撃したのです。

本来なら米英仏伊軍は日本軍とともに蒋介石を逮捕し、
謝罪と賠償は当然の事、再発防止に向けた協定線の位置の見直しや
蒋介石軍の規模縮小や配置、責任者らの処罰とともに、
上海租界の警備についても締約国内で話し合いを持つべきでした。
2016/03/25 06:00|年表リンク用資料
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