正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観=完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=固定観念=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=戦う人は悪い人=軍民分割統治=団結させない個人主義の洗脳を解き、誇りある歴史を取り戻そう!

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満州の終戦時の状況

満州開拓団27万人は交通連絡線・生産・補給などの、
いわゆる兵站(後方支援)の面において関東軍と密接な関係があり、
可能な限り開拓団が居てくれたほうが良いのだが、

ソ連軍が侵攻してくる危険性が高まり、
居留民を内地へ移動させることが検討された。

しかし数十年にもおよぶ莫大なインフラ投資や多くの民間企業の進出、
多数の兵士の犠牲を出しながら守ってきた満州権益を簡単には手放せず、
土地・建物そのほか様々な権利の問題もあった。
数ヵ月前から少しずつ民間人や軍を撤退させていくとすれば、
日本の負け・撤退を意味すると受け取られることは必至で、
関東軍の士気の低下、親日China人の裏切り、ソ連軍侵攻の誘発、
警察官等に従わないChina人の出現などの不安のほか、

★相手が弱いとみるや、つけこむ者たち http://bit.ly/2ma0KCY
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-756.html
「相手が逃げる」と思えば、手のひらを返して、めちゃくちゃになる。
たとえば4月から徐々に退避していれば良かったという人もいるが、
その時点から8月と同じような状況になっていくので、
ギリギリまで「大丈夫だ!」と堂々としていることで、
治安維持や、ソ連軍侵攻の早期誘発を防ぐことができる。

大量の民間人移送に要する食料確保や船舶の用意などが困難であるうえ、
避難先の朝鮮半島や日本本土さえも米ソ軍の上陸で
戦場になることが予想された。

開拓団は状況悪化の情報不足と、
無敵と謳われた関東軍に対する過度の信頼もあり、
ソ連軍侵攻時、引き揚げ命令が出ても一部の開拓団は
関東軍の後退守勢を理解せず、待避を良しとしなかった。

8月9日、ソ連軍侵攻開始直後、
関東軍は直ちに大本営に報告し、命令を待った。
命令が下されたのは翌日10日で、
10日9時40分に総参謀長統裁のもとに官民軍の関係者を集め、
具体的な居留民待避の検討を開始。

同日18時に民・官・軍の順序で新京駅から列車を出すことを決定し、
正午に官民の実行を要求した。

しかし官民とも14時になっても避難が進まず、
軍は少しの時間も無駄にできない状況を鑑みて、
結局は民・官・軍を順序とする避難の構想を破棄し、
集まった順番で列車編成を組まざるを得なかった。

第1列車が新京を出発したのは予定より大きく遅れた11日1時40分であり、
その後、総司令部は2時間毎の運行を予定し、対立鉄道司令部に対して
食料補給などの避難措置に必要な対策を指示した。

現場では混乱が続き、故障・渋滞・遅滞・事故が続発したために
避難措置は非常に困難を極めた。
結果として最初に避難したのは、軍家族、満鉄関係者などとなり、
暗黙として国境付近の居留民は置き去りにされた。

★「民官軍」を同時に集めて退避を決定したが、
避難の開始が早かったのが、軍の家族や満鉄関係者だったということ。

これらに加えて辺境における居留民については、
第1線の部隊が保護に努めていたが、
ソ連軍との戦闘が激しかったために救出の余力がなく、
ほとんどの辺境の居留民は後退できなかった。

特に国境付近の居留民の多くは、
「根こそぎ動員」によって戦闘力を失っており、
死に物狂いでの逃避行のなかで戦ったが、
侵攻してきたソ連軍や、暴徒と化した満州民、匪賊などによる
暴行・略奪・虐殺などが相次ぎ、
ソ連軍の包囲を受けて集団自決した事例や、
各地に僅かに生き残っていた
国境警察隊員・鉄路警護隊員の玉砕が多く発生した。

また第1線から逃れることができた居留民も
飢餓・疾患・疲労で多くの人々が途上で生き別れ・脱落することとなり、
収容所に送られ、孤児や満州人の妻となる人々も出た。

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「終戦時、満州の関東軍は逃げた」について

まず、日本はポツダム宣言を受諾し、
日本軍は降伏して武装解除しなければなりませんでした。
本来、もう戦ってはいけないわけで、
たとえ素手で戦っても罪に問われかねません。

批判する人は軍命令に逆らおうが従おうが批判するのでは?

武装解除の命令が出ていますし、
もう武器・弾薬・燃料などの補給は来ないのです。

日本政府が正式に降伏しているのですから、
ソ連軍やChina軍は、無抵抗の日本兵を手当たり次第に殺害したり、
ましてや日本の民間人を虐殺してはいけません。
民間人殺害は、戦争中であっても犯罪ですし、
戦後であろうが平時であろうが、
いつでも民間人を好き勝手に殺害してはいけません。

だれが日本の民間人を殺害したのでしょう?
降伏した日本兵65万人をシベリア抑留し、
厳寒の環境下で満足な食事や休養も与えられず、
苛烈な奴隷的強制労働で約半数の抑留者を死亡させたのは、
いったい誰でしょう?

ソ連軍は日ソ中立不可侵条約に反して満州や千島列島
などに攻め込んで来たのであり、もってのほかでした。

ポツダム宣言では、武装解除した日本兵は
家庭に帰ることが約束されていました。

つまり第一義的に悪いのはソ連軍やChina軍のほうです。
相手の不法行為を、こちらの無能で片付けるなんて、
文明を持った人間の思考ではありません。

また、すべての日本軍が抵抗しなかったのではありません。
根本博・駐蒙軍司令官は武装解除を拒否して日本軍守備隊に戦闘を命じ、
ソ連軍の攻撃を食い止めながら居留邦人4万人を乗せた列車と線路を
守り抜いたことを取り上げないのは、おかしいと思います。
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-154.html

そもそも最初から日本は攻撃されて抵抗していたのです。
攻撃されて抵抗していた日本側が悪いと批判され、
ついに最後、抵抗しないことになったら、
それはそれで批判されるのは、おかしいではありませんか。

反日の人たちは「Chinaから日本軍が撤退して
日本民間人だけ残ることに応じれば良かったのに・・・」
と言いますが、実際に そうすると それも批判ですか?
結局、自国軍がいようがいまいが批判するのでしょう。

合法であれ不法であれ、
命令に従順であろうが反しようが、
抵抗しようがしまいが、
反日の人たちは、とにかく日本を批判したいだけの人たち
としか言いようがありません。

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前線部隊の状況

既存陣地(永久陣地及び強固な野戦陣地)に配備された警備隊は、
ほぼ全てが現地の固守を命じられていた。
これは後方に第二、第三の予備陣地が構築されておらず、
また増援が見込めない為である。
そのため後退できない日本軍の警備隊は、
圧倒的な物量作戦で波状攻撃をかけるソ連軍に対して
各地で悲愴な陣地防御戦を行い、
そのほとんどが担当地域で壊滅することになった。
ここで注目すべき点は、戦闘力が寡弱な中隊・小隊であるにも拘らず、
事前に防御すべき守備線を捨てる部隊がなく
帝國陸軍発足以来の敢闘精神を発揮し、
大挙満州国に侵入してきたソ連軍をみても、
その戦闘開始以前において
個人的に離隊した兵士が一人として見当たらないことである。

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参考:
防衛庁防衛研修所戦史室「戦史叢書 関東軍<2> 関特演・終戦時の対ソ戦」
朝雲新聞社 昭和49年6月28日発行

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在留邦人の状況

日本軍の一切の武力行動禁止が命じられ、ソ連軍が満州各地に進駐してくると
地域の在留邦人は悲劇的な事態に追い込まれていく。
ソ連軍首脳部は日本軍と日本人に対する非人道的な行為を戒めていたが、
ソ連軍の現地部隊はそれを無視しており、
正当な理由のない発砲・掠奪・強姦・車輛奪取などが堂々と行われていた。
また推定50万人の避難民が発生し、飢餓と寒さで衰弱していった。
関東軍は当時、武装解除が行われており、
具体的な対応手段は完全に封殺され失われていた。
このような中で、ソ連軍から支配地を引き継いだ八路軍による圧政から
通化事件のような虐殺事件が起きた。
ソ連軍は開拓団で退避した人々の群れを見ると、機銃掃射を浴びせた。
それでも逃げる在留邦人を、今度は中国人農民が匪賊となって襲撃し、
虐殺して死者の衣服まで奪い取って行った。
8月14日に起きた葛根廟事件では、数千人の避難民が退避している際に
ソ連軍から一斉射撃を浴びた後、戦車で轢き殺された。
その後生存者も死者も中国の暴民によって衣服をはがされ、強姦された。
また吉林省扶余県の開拓団の事例では、
親しかった中国人が暴徒襲撃の情報を教えてくれたので、
竹槍などで武装して戦ったが、中国人暴徒の数は2000人にも及び、
婦女子以下自決して272名が死んだという。
そのほか、敦化事件、牡丹江事件、麻山事件などが起こった。

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参考:『「反日思想」歴史の真実』拳骨拓史

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相手が弱いとみるや、つけこむ者たち http://bit.ly/2ma0KCY
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自虐史観について http://bit.ly/2li0XWl
http://ch.nicovideo.jp/sekiya_yuuki/blomaga/ar1193922
『集団的自衛権について』・『保守とは』・『自虐史観について』・『共産主義も新自由主義も侵略の手段』
http://bit.ly/2majAd7
http://wk.tk/nuERzd
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-690.html

終戦~日本人 引き揚げの悲劇
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論点 http://bit.ly/1QqRAtP
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せきやのニコ生放送用テキスト http://bit.ly/25fk6XA
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そもそも大東亜戦争は日本が武力攻撃を受けて応戦・反撃していた戦争です。
せきやの『ニコ生版 正統史観年表「大東亜戦争にいたる大まかな流れ」』 http://bit.ly/1RgA3Db
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-737.html

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満州の終戦時の状況 http://bit.ly/2jKisKZ
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2015/09/10 09:00|年表リンク用資料
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