正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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讀賣新聞 平成26年4月17日 朝刊 7面

インパール 優しい日本兵

インド人の古老語る「逃げ道教えてくれた」

70年前に3万人以上が犠牲になったとされる
旧日本軍のインパール作戦について、
「日本兵はインドのために戦ってくれた」と記憶にとどめる
インド人古老に話を聞くことができた。
(インド北東部ロットパチン 田原徳容、写真も)

インパール南西の村ロトパチンにある丘「レッド・ヒル」。
英国軍との戦いで日本兵数百人が戦死し、
大量の血が流れたとして、そう呼ばれる。

麓に住む農家のタオレム・ゴラムホン・シンさん(83)は
1944年4月、草むらに潜んでいた日本兵と出くわした。

靴を履いておらず、
「指の形の靴。地下足袋だった。今も目に浮かぶ」。

旧日本軍は5月のある夜、レッド・ヒルに陣取る英軍を急襲。
シンさんが家の前で立ちすくんでいると、
駆け寄った日本兵が手ぶりで逃げ道を教えてくれた。
「自分が死ぬかもしれないのに、なぜやさしいのか」
逃げながら、そう思ったという。

戦闘は旧日本軍の惨敗に終わり、
シンさんは父親らと日本兵の遺体を火葬した。

戦後、レッド・ヒルの麓には慰霊碑が建設された。
シンさんは建設に協力し、訪れる日本人を案内した。
「日本兵が眠るこの丘を見守り続けます」と言う。

ロトパチンの南にある町モイラン。
主婦のアコイマチャ・クマムさん(85)は、
日本兵に英軍の空爆情報を教えてもらい、難を逃れたという。
日本兵は空爆の犠牲となったと聞いた。
「私の自宅は日本兵に使われていたが、
衣類や食器は(荒らされず)側溝に保管されていた。
日本が復興できたのは、
戦争中でも常識を忘れなかった日本人ならではだと思う」

日本兵の遺留品収集を行なっている
アランバン・アンガンバ・シンさん(40)は、
「旧日本軍の動きがなければ、
英からのインド独立の機運は高まらなかっただろう。
日本兵の優しさを受け止め、記憶をつなぎたい」と話した。

【インパール作戦】
1944年3~7月、ビルマ(現ミャンマー)を
占領した日本軍が、連合軍拠点だった
インド・インパールの攻略を目指した作戦。
武器・食料が不足し、補給もなく、英国軍に大敗した。
兵士の間ではマラリアや赤痢が流行した。



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インパール作戦
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-643.html

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インパール 優しい日本兵 http://bit.ly/2lsMCVD
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-755.html

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