●正統史観年表 戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳 |
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1882年7月23日、壬午政変(じんごせいへん)
※攘夷(じょうい)=外国人排斥思想 日朝修好条規が結ばれたのち、朝鮮では排外主義の大院君派が後退し、 国王の妃である閔妃とその一派が中心となって近代化に動き出した。 それまで鎖国攘夷政策の朝鮮が日朝修好条規を機に朝鮮政府内でも開国派が 影響力を持つようになり、日本にとっても喜ぶべき状況が生まれた。 ところが1882年(明治15)に入って、状況が一転する。 軍制改革で廃された古い軍隊の兵が暴動を起こし、これを大院君が扇動して、 閔妃は命からがら逃げるという事態が出現した。 また、日本人教師を含む多くの日本人が殺され、 日本公使館も襲撃され、館員7人が殺害された。 朝鮮軍の兵士が暴動を起こしたのに乗じて、 李朝内における攘夷派の大院君がクーデターを起こしたのだ。 これを壬午政変という。 日本公使は命からがら朝鮮を脱出した。 一国の外交官を殺害し、大使が命がけで脱出しなければならないという ことになれば、これは今も昔も戦争に発展しかねない大問題である。 だが、この当時の日本はあくまでも話し合いでの解決を目指し、 結局、日本と朝鮮の間で賠償条約(済物浦[さいもっぽ]条約)が 結ばれたため一応一件落着した。 その内容は、賠償金50万円、公使館警備に日本の兵隊を若干置くこと、 謝罪使を日本に寄こすことなどだが、 日本は10年割賦の賠償金支払いで最初の二年間だけ受け取ると、 残りの40万円は「改革を進める資金にしなさい」といって朝鮮政府に返還し、 そのうえ汽船や大砲も贈った。 それに引き換え清国の動きはあざとい。 暴動を口実に、清国は袁世凱の軍を派遣し、反乱は清国軍に鎮圧され、 首謀者の大院君は逮捕され、清国の軍艦で天津(支那)へ連行された。 事実上、朝鮮政府は、清の支配下に置かれることになったのだ。 この政変ののち、3000人の軍隊を朝鮮にとどめたままだった。 その清国の下で、閔妃一派は近代化路線を捨てる。 日本式の改革をすべて取りやめ、清国と同じような制度に変えるとともに、 清国が宗主国で挑戦は属国であるという関係を再認識し、 新しい軍隊も司令官は清国の下に置かれるかたちになった。 さらに清国は、日本が朝鮮へ進出することを邪魔するため、 朝鮮に欧米各国と通商条約を結ばせてもいる。 そもそも大院君は、開国派を打倒し、 朝鮮の政策を清国寄りに戻そうとクーデターを起こしたのに、 それを逮捕するというのだから、 清国が朝鮮のことをどのように思っていたのかがわかる。 それから二年後の1884年(明治17年)、 今度は金玉均らがクーデター(甲申政変)を起こす。 ━━━━━━━━━━ ●靖国神社 合祀分 ・堀本禮造 陸軍工兵少尉 ・水島義 日本公使館雇員 ・鈴木金太郎 31歳。日本公使館雇員 ・飯塚玉吉 27歳。日本公使館雇員 ・廣戸昌克 33歳。一等巡査 ・本田親友 22歳。三等巡査 ・宮 鋼太郎 18歳。外務省二等巡査 ・川上堅鞘 27歳。外務省二等巡査 ・池田為義 28歳。外務省二等巡査 ・遠矢庄八朗 外務省二等巡査 ・近藤道堅 22歳。私費語学生(2カ所の重傷を負い自決。合祀事由:戦死) ・黒澤盛信 28歳。私費語学生(合祀事由:戦死。扶助料千五百圓を賜う) ・池田平之進 21歳。陸軍語学生徒(合祀事由:戦死) ・岡内格 23歳。陸軍語学生徒(合祀事由:戦死) ・藤代市十郎 1等卒 ・目黒多利吉 1等卒 ・飯島碩太郎 歩兵曹長 |
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