正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観=完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=固定観念=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=戦う人は悪い人=軍民分割統治=団結させない個人主義の洗脳を解き、誇りある歴史を取り戻そう!

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甲申事変の失敗後の金玉均たち開化党のその後

日本への亡命を選んだ者は、金玉均、朴泳孝、徐載弼ら9名。

しかし徐載弼は井上外務卿に対して
「日本はわれわれを裏切った。これでも武士道の国か」
と痛罵して朴泳孝らと共にアメリカに亡命した。

日本に踏みとどまった者は金玉均ら4名に過ぎない。

この事件に参画した開化党同士は忠臣蔵より4名少ない43名と言われる。
亡命の道を選ばず、朝鮮に踏みとどまった者は、それぞれ虐殺された。
朝鮮では「逆賊は三族まで滅ぼす」という掟があり、
それぞれの遺族たちは殺されたり、自殺したり、
囚人としての末路をたどったりと、開化党は文字どおり全滅した。

福沢諭吉のもとに身を寄せ、安全のために、
金玉均が岩田周作、朴泳孝が山崎水春というように日本名を名乗った。

身柄の引き渡しを朝鮮政府は要求してきたが、日本政府は拒否した。
日本での生活費用として日本政府は金玉均に「月給」50円を支給した。

高宗は何人もの刺客を放って、日本へ逃れた金玉均たちを追わせた。
袁世凱も、刺客を日本へ侵入させて、金玉均に二万両の懸賞金をかけた。
この懸賞金は、すぐに三万両に値上げされた。

しかし、金玉均たちは日本人同志たちに助けられて、
日本国内を転々と移動したので兇刃を免れていた。

そしてある時、金玉均は、清国の李経方から清国を訪ねるように、
招請状が送られてきた。
金玉均は李経方が清の駐日公使であった時から、
東京において親交を結んでいた。李経方は李鴻章の娘を妻としていた。

金玉均は清へ渡り、李経方の義父の李鴻章と会談すれば、
新しい局面を開くことができると思って、大いに喜んだ。
李鴻章こそ直隷総督北洋大臣として、
朝鮮や、日本を担当していた清の実力者だった。
北洋は清の末期に、皇帝に直接隷属していたために、
直隷と呼ばれた河北のことであり、
河北、山東、奉天の三省にわたる地域を指した。

金玉均は高宗31年(1894年)3月に、日本汽船の西京丸で上海に到着した。
金玉均はアメリカ租界にあった日本人が経営する旅館に投宿した。

ところが、この旅館の居室で、高宗が送った刺客の洪鐘宇によって襲われた。
洪鐘宇は東京から、金玉均にともなってきていた。
洪鐘宇が浴びせた拳銃団が致命傷となった。金玉均は43歳で没した。

これは高宗と李鴻章が、仕組んだものだった。
金玉均の遺体は清の軍艦威靖によって朝鮮に届けられた。

このころの中国の軍艦には、経遠、致遠のように
「遠」がついた艦名や、揚威といったように「威」が用いられた。
「遠」や「威」は中華帝国の「威」によって、「遠くまで」圧する、
と言う意味である。

金玉均の遺体が到着すると、
遺体を文字どおりに八つ裂きにする六支の極刑が、加えられた。
遺体まで侮辱するのは、中国文化の極だった特長の一つである。

そして金玉均の遺体は、「謀反大逆不道罪人」として、首をはじめとして、
バラバラにされた肉塊が、漢城を振りだしにして、
朝鮮八道を巡回して持ちまわられ、街路に曝された。
惨事をきわめたと言わねばならない。
儒教では死んでも、体を傷つけてはならないのだ。

中国が、日本の首相が靖国神社に参詣することを許さないのは、
中国文化は死者まで辱めねばならないからだ。
敵の死体を八つ裂きにして曝すことが、権力者の権威を示すことになる。

金玉均の妻の兪氏は、奴婢の身分に落とされて、売られた。
奴婢は生命の保障も無く、いっさいの人権を奪われた奴隷であった。
(『日本人が知ってはならない歴史』若狭和朋著によれば、
父は死刑、母は自殺、弟は獄死という悲惨な結末で一家は全滅している)

甲申政変の時に、清国軍が介入したために形勢が逆転し、
開化独立党の人々の家族は、全員が殺伐されるか、奴婢として売られた。

甲斐軍冶は、夜にまぎれて鳩首台に近づき、遺髪を持ち帰った。
遺髪は東京・本郷の駒込真浄寺に埋められ、
別に東京青山の外人墓地にも墓がある。

金玉均が虐殺され、残虐非道の仕打ちを受けたことが日本にも伝えられると、
人々は激昂し「閔妃撃つべし」の勢に拍車をかけることになった。

5月20日には、浅草本願寺で金玉均の英魂を鎮める盛大な葬儀が行われた。
(韓国併合後、金玉均の遺族に金1万円が下賜せられた。)
2010/02/09 06:00|年表リンク用資料
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