正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観=完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=固定観念=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=戦う人は悪い人=軍民分割統治=団結させない個人主義の洗脳を解き、誇りある歴史を取り戻そう!

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「坂の上の雲」を掴もうとした男、二宮忠八 (1)

二宮忠八

1891年(明治24年)4月29日、丸亀の歩兵連隊に在営中の二宮忠八が
作った模型飛行機が、世界で初めて飛行に成功しました。
この模型飛行機は、紙で作られてはいますが、
プロペラ式のゴム動力で10メートルほどの距離を飛んだといいます。

二宮忠八は1866年(慶應2年)に愛媛県宇和島の出身で、
少年時代は「凧張り忠八」と呼ばれたほど凧揚げに熱中していました。

余談ですが、二宮が生れた後の2年後に誕生する同じ愛媛県出身の
秋山真之は少年時代は「秋山の凧」と呼ばれています。

といっても、凧に描く絵が上手だったということですが。
二宮は丸亀の歩兵第十二連隊に看護卒として入営します。
陸軍勤務中の1889年(明治22年)、演習中に空とぶ鳥を見て、
飛行機の研究を志し、以来、昆虫や鳥の飛行を熱心に研究し、
1890年にゴム動力で飛ぶプロペラ式模型飛行機を、
1893年には大きさ約2メートルの玉虫型模型飛行機を制作します。

二宮はこの発明の実用化を陸軍上司に2回申請しますが、
危険であるということで却下されます。
そうこうしている内に、
1903年アメリカのライト兄弟の有人飛行成功の報に接して、
その研究を中止します。
退役後は製薬業に進出し、また京都の飛行神社の神主を務めています。

話は変わりますが、日露戦争の旅順攻略で日本軍は、
旅順要塞を前に多大な戦死者を出します。
以前に紹介しましたが、
参謀次長を務めた長岡外史はこの状況を打破するために、
気球を飛ばし旅順要塞を偵察することを思いつきますが、
けっきょくは失敗に終わっています。

もし、二宮忠八の飛行機を陸軍が採用し真剣に実案していたら、
長岡外史の思いつきも成功していたかもしれません。
しかし、二宮忠八の実用案を却下した人物こそが、
この長岡外史だったというのは歴史の皮肉を感じさせます。


「坂の上の雲」を掴もうとした男、二宮忠八 (2)

日本最初の飛行機の発明家二宮忠八に依って、
その創案となる飛行機の雛形が初めて実験された記念の日が、
1891年(明治24年)4月29日でした。

当時二宮忠八は丸亀の衛戍病院に陸軍三等調剤手として
任官中でありましたが、かねての念願止み難く、
公務の余暇に造り出したのが、飛行機の模型でありました。
もちろんその時分では、
日本はおろか西洋諸国にも飛行機など思いも寄らぬ時代の事で、
ただフランスではアデール一人がしきりに飛行機の発明に
工夫を凝らしていた時分でありました。

二宮忠八は空を飛ぶ鳥を見て、
人間だって工夫次第では自由に空を飛翔出来る機械を造り出せるはずだと、
先づカラス型の凧を造って、
その縦の骨に竹トンボ二個を十字に組合わせたプロペラをつけ、
ゴム線を結びつけて縒をかけたというのは、
現在の玩具の飛行機と大差はありませんでした。

彼は4月29日の夜、密かに丸亀練兵場に、
この模型を持出して実験して見ると、果せるかな、
五間(約10メートル)ばかり空中に舞上がったので非常に喜び、
先づ念願の第一歩が叶ったと勇み立ち、
それから引続き人間が乗って飛べるような、
玉虫型飛行機の工夫製作に着手しました。

翌々年の1893年(明治26年)10月1日には、
写真にあるような複葉式に尾翼、滑走用の車輪
及び搭乗者の座席まで設けた立派な飛行機が出来上がりました。

すなわち今日で言うグライダーであって、動力の装置はありませんでした。
しかしせっかく模型が出来上がりながら、
時あたかも日清の国交は危機を孕んで、軍務は転勤または転勤、
まもなく開戦となって飛行機の研究も一時中止せねばなりませんでした。

明治28年8月、京城外の陣中にあった彼は、

「自分の発明した飛行機を偵察や通信に用いたら」

と思いいたり、遂に同月19日、それまでの研究や設計図を添えて、
時の混成旅団長大島義昌将軍に採用方を願い出ます。

書類は更に長岡外史将軍(当時歩兵少佐)より

「せっかくの発明であるが、未完成のものを採用はできぬ。
殊に今は軍事多忙であるから次の機会にせよ」

との理由で突き返されてしまいました。

後世にいたって、日本の飛行界の発達に、献身的努力を払った長岡も、
飛行機発明の世界的先覚たる二宮忠八の飛行機を一蹴した事は、
余りにも皮肉と言えるでしょう。

彼のグライダー発明は、世界的飛行機発明の
先覚リリエンタールの特許(1893年)より実に2年前の事であって、
それより彼の発明工夫が継続されていたら、
或はどんな結果になっていたのかと思いますと、
今更のことではありますが、とても惜しまれて仕方がありません。


『明治という国家』 より引用
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2010/02/06 06:00|年表リンク用資料
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