正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観=完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=固定観念=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=戦う人は悪い人=軍民分割統治=団結させない個人主義の洗脳を解き、誇りある歴史を取り戻そう!

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殊更に「侵略」と「内政干渉」を使い分ける韓国

開国前後の記述に関して非常に残念な事は、
韓国の教科書が日本と西欧の区別を全然していないことです。
どちらも「侵略」を事とする、邪悪な勢力とだけ書かれています。

他方、清国に対しては朝鮮は依然として「事大意識」、
即ち従属国としての「寄らば大樹の陰」的な
意識を強固に持ち続けていました。

そして、今も「事大意識」、「従属意識」は変わっていないと思えます。

どうして、そう思うかというと、
朝鮮の開化政策は全て日本の後押しによって為されたにも拘わらず、
韓国の教科書は日本の貢献を全く無視して評価しないで、
「侵略」だけを強調している点が一つ。

もう一つは、清国については決して「侵略」とは言いいません。
清については、「内政干渉」と指摘するに止まっているからです。

それでは、韓国の教科書を引きつづき見てみましょう。

甲申事変(甲申政変)で日本の後押しした開化政策が挫折すると、
今度は一転して、韓国の教科書では、
以下のように日本の「侵略」を云々し始めます。

「我が国の農民達は、日本の経済的侵略に強い反感を持つようになり、
次第に日本を排斥する機運が広がっていった。
(中略)
清が軍隊を派遣すると、
日本も朝鮮にいる日本人を保護するという口実で軍隊を派遣した。
(中略)
この時、日本が景福宮に侵入し、国王を威嚇する侵略的行為を犯した。
そこで東学農民は、日本の侵略を食い止めるために、再び立ち上がった。
東学農民運動をきっかけに、軍隊を派遣した日本は、
この機会に侵略の足がかりを得ようと武力によって朝鮮政府を脅かして
内政改革を要求し、清日戦争を挑発した。」

日本に対するこうした記述を、清国のそれと比べてみましょう

「壬午軍乱後、朝鮮は清の内政干渉を受けるようになり、
政権についた閔氏勢力は、開化政策に消極的になり、
近代的改革がきちんと進められなくなった。
(中略)
東学農民の勢力が次第に大きくなると、
これを鎮圧する自信をなくした政府は
清に軍隊を派遣してくれるように要請した。」

日本については「侵略」ですが、清国の行為は「内政干渉」です。
この意識を推測すれば、「日本は、よそ者の強盗」、
しかし、「清は、身内のいらないお節介」といったところなのでしよう。

つまり、日本は甘い言葉を弄して言い寄ってくる追いはぎ、
清国は小うるさいが、いざという時には頼りになる父親という感じなのです。
韓国は近代史を今でも、そのように理解していると言えます。
そうでなければ、教科書にまで、
このような言葉の使い分けをするはずがありません。

日清戦争は、その「追い剥ぎ」が、
いよいよ牙を剥きだして本性を現したと言う事なのでしょう。

「日本は、この機会に侵略の足がかりを得ようと武力によって
朝鮮政府を脅かして内政改革を要求し、清日戦争を挑発した」
という話しぶり・くちぶりからは、そのような悪意しか感じられないのです。

―――――――

フランスが清仏戦争に勝利して、ベトナムを植民地にしたように、
本当に日本が朝鮮を「侵略」するつもりであったならば、
日清戦争に勝利した時点で朝鮮を植民地にしています。

だが、日本は、そうしなかった。

何故か?

日本の戦争目的は、清国と朝鮮の宗属関係を断ち切り、
朝鮮に本当の意味での自主独立国になってもらいたかった。

これ以外になかったのです。

それ故に、下関条約の第一条には、

「清国は、朝鮮国の完全無欠なる独立・自主の国である事を確認する。
よって右独立・自主を損う朝鮮国より清国に対する貢献・典礼等は、
将来、全く之を廃すべし」

と、明記されたのです。

これにより、清国への朝貢は全て廃止され、
千数百年にわたり朝鮮を従属国の位置に貶め、
その自主・独立を蝕んできた元凶としての中華秩序は、
はじめて音を立て瓦解するに至りました。

日本は朝鮮の独立のために戦ったのに、
韓国は、その事実を教科書に一言たりとも書きません。

韓国の教科書は、自国の歴史上、画期的な出来事であるはずの
この事実を全く無視し、以下のように書くのです。

「清日戦争の結果、下関条約が結ばれた。
この条約で日本は清の遼東半島と台湾を手に入れた。
日本の勢力が急激に大きくなり、
ロシアは日本の勢力の拡大に反対するフランスとドイツを引き入れ、
三国が共同して遼東半島を清に返還するように圧力を加えた。
これを三国干渉という。
日本は結局これに屈服し、遼東半島を清に返還した。

日本が三国の圧力に屈服すると朝鮮では、
明成皇后(閔妃)を中心に日本の勢力を食い止めるために
ロシアに接近する動きが表れた。
これに日本は、彼らの勢力を挽回するために
軍隊を先頭にして宮中に侵入し、明成皇后を殺害する野蛮な行為を犯した。
これを乙未事変という(1895年)」

日本は朝鮮の独立のために戦いました。
しかし、その事実を教科書に一言も書きません。
これは何と言う事でしょう。

そして当時の朝鮮もまた、朝鮮の「自主独立」のために戦った日本の努力を
嘲笑うかのように、あろうことか今度はロシアに接近し、
その勢力を国内に、自ら引き入れていくのでした。
その元凶こそ閔妃です。

これでは何のために、日本は清国と戦争をして、
多くの若者の血を流したのか解らないことになってしまう。

韓国の教科書が、”野蛮”と非難するのは、ここで敢えて云々はしませんが、
日本人が閔妃殺害の居にでたのは決して理由のないことではないのです。

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日清戦争勃発
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清国軍の暴状
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1894年(明治27年)11月21~22日、いわゆる「旅順虐殺事件」
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日清戦争の意義を理解しない韓国
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三国干渉の2年後、西洋列強によるあからさまな清国の利権争奪が始まった。
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2010/02/03 06:00|年表リンク用資料
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