正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観=完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=固定観念=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=戦う人は悪い人=軍民分割統治=団結させない個人主義の洗脳を解き、誇りある歴史を取り戻そう!

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尖閣諸島が日本の領土である根拠

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大東亜戦争の戦後処理条約である1952年4月28日発効の
サンフランシスコ平和条約(49ヵ国が署名)と
日本とアメリカが1971年6月17日に署名した沖縄返還協定により、
尖閣諸島は日本の領域だと確定されていると主張すればいいだけのことです!

―――――――――――――――――

中国は「サンフランシスコ講和条約を結んでいない」と主張していますが、

大東亜戦争の戦闘後、

「米国が支援する国民党・蒋介石」

「ソ連が支援する毛沢東・共産党」

の内戦となりましたが、
アメリカが蒋介石への支援をやめたため、
ソ連が支援する毛沢東が勝ち、蒋介石は台湾へ逃げました。

1949年10月1日、毛沢東は北京市で中華人民共和国を建国。

大東亜戦争中、日本軍は毛沢東軍とは戦っておらず、
蒋介石軍と戦っていました。

大東亜戦争の戦闘後に建国された中華人民共和国は、
サンフランシスコ講和条約を締結するサンフランシスコ講和会議には、
招請さえされていません。

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尖閣諸島は、1885年以降政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により
再三にわたり現地調査を行ない、単にこれが無人島であるのみならず、
清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重確認の上、
1895年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行ない、
正式に日本の領土に編入することとしたものです。

同諸島は爾来歴史的に一貫して日本の領土たる南西諸島の一部を構成して
おり、1894年7月25日に勃発した日清戦争の戦後処理条約である1895年4月17日
に日清両国が調印した日清講和条約(=下関条約=馬関条約)第2条に基づき
日本が清国から割譲を受けた台湾及び澎湖諸島には含まれていません。

したがって大東亜戦争の戦後処理条約であるサンフランシスコ平和条約
(1951年9月8日に49ヵ国が署名、1952年4月28日発効)においても、
尖閣諸島は、同条約第2条に基づき日本が放棄した領土のうちには含まれず、
第3条に基づき南西諸島の一部としてアメリカ合衆国の施政下に置かれ、
1971年6月17日調印の琉球諸島及び大東諸島に関する
日本国とアメリカ合衆国との間の協定(=沖縄返還協定)により
日本に施政権が返還された(1972年5月15日返還)地域の中に含まれています。

以上の事実は、日本の領土としての尖閣諸島の地位を
何よりも明瞭に示すものです。

なお、中国が尖閣諸島を台湾の一部と考えていなかったことは、
サン・フランシスコ平和条約第3条に基づき米国の施政下に置かれた地域に
同諸島が含まれている事実に対し従来何等異議を唱えなかったことからも
明らかであり、中華人民共和国政府の場合も台湾当局の場合も
1970年後半東シナ海大陸棚の石油開発の動きが表面化するに及び
はじめて尖閣諸島の領有権を問題とするに至ったものです。

また、従来中華人民共和国政府及び台湾当局がいわゆる歴史的、地理的ないし
地質的根拠等として挙げている諸点は
いずれも尖閣諸島に対する中国の領有権の主張を裏付けるに
足る国際法上有効な論拠とはいえません。

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■沖縄返還協定第1条 2

この協定の適用上、「《琉球諸島》及び大東諸島」とは、行政、立法
及び司法上のすべての権力を行使する権利が
日本国との平和条約第3条の規定に基づいてアメリカ合衆国に与えられた
すべての領土及び領水のうち、
そのような権利が1953年12月24日及び1968年4月5日に
日本国とアメリカ合衆国との間に署名された奄美群島に関する協定
並びに南方諸島及びその他の諸島に関する協定に従って
すでに日本国に返還された部分を除いた部分をいう。

■沖縄返還協定で合意された議事録

第1条に関し、同条2に定義する領土は、日本国との平和条約第3条の規定に
基づくアメリカ合衆国の施政の下にある領土であり、
1953年12月25日付けの民政府布告第27号に指定されているとおり、
次の座標の各点を順次に結ぶ直線によって囲まれる区域内にある
すべての島、小島、環礁及び岩礁である。

北緯28度 東経124度40分
北緯24度 東経122度
北緯24度 東経133度
北緯27度 東経131度50分
北緯27度 東経128度18分
北緯28度 東経128度18分
北緯28度 東経124度40分

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日本政府は、どうやって尖閣諸島を守るつもりなのか?
自衛隊が盛んに奪還演習して見せてはいるが、
中国軍に先制侵攻・占拠されてしまえば奪還するのは難しいだろう。
自衛隊や海保を常駐させるのが一番いいはずなのに、
なぜかこれをやろうとしない。
尖閣の岩山をくり抜いて施設を作れば相当強固な前線基地ができるし、
宮古か石垣にもバックアップ部隊を置いたほうがいい。
無人島に上陸されるのと常駐部隊が居る島が攻略されるのとでは
国際的な反応が全く異なるから中国が手出しできる壁は高くなる。
いま中国は尖閣での日本の実効支配を少しずつ溶解させ、国際社会に
紛争地としての認定や施政権を主張できるようにしようとしている。
日本政府はただこれを指をくわえて見ているだけのように見える。

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1958年に中国の地図出版社が出版した『世界地図集』


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中国外交文書に「尖閣諸島」=日本名明記、
「琉球の一部」と認識-初めて発見

時事ドットコム 2012/12/27-14:37
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol&k=2012122700471&m=rss

中国外務省の外交文書
「対日和約における領土部分の問題と主張に関する要綱草案」(1950.5.15)
写真右は表紙、同左は75ページにある「尖閣諸島」の文字


P73


P74


P75


【北京時事】沖縄県・尖閣諸島(中国名・釣魚島)をめぐり
中国政府が1950年、「尖閣諸島」という日本名を明記した上で、
琉球(沖縄)に含まれるとの認識を示す外交文書を作成していたことが
27日分かった。時事通信が文書原文のコピーを入手した。

中国共産党・政府が当時、尖閣諸島を中国の領土と主張せず、
「琉球の一部」と認識していたことを示す中国政府の文書が
発見されたのは初めて。

尖閣諸島を「台湾の一部」と一貫して主張してきたとする
中国政府の立場と矛盾することになる。
日本政府の尖閣国有化で緊張が高まる日中間の対立に
一石を投じるのは確実だ。

この外交文書は「対日和約(対日講和条約)における領土部分の問題と
主張に関する要綱草案」(領土草案、計10ページ)。
中華人民共和国成立の翌年に当たる50年5月15日に作成され、
北京の中国外務省档案館(外交史料館)に収蔵されている。

領土草案の「琉球の返還問題」の項目には、戦前から日本側の文書で
尖閣諸島とほぼ同義に使われてきた「尖頭諸嶼」という日本名が登場。
「琉球は北中南の三つに分かれ、
中部は沖縄諸島、南部は宮古諸島と八重山諸島(尖頭諸嶼)」
と説明し、尖閣諸島を琉球の一部として論じている。

中国が尖閣諸島を呼ぶ際に古くから用いてきたとする「釣魚島」の名称は
一切使われていなかった。

続いて「琉球の境界画定問題」の項目で「尖閣諸島」という言葉を明記し、
「尖閣諸島を台湾に組み込むべきかどうか検討の必要がある」と記している。

これは中国政府が、尖閣は「台湾の一部」という主張をまだ展開せず、
少なくとも50年の段階で琉球の一部と考えていた証拠と言える。

東京大学大学院の松田康博教授(東アジア国際政治)は
「当時の中華人民共和国政府が『尖閣諸島は琉球の一部である』
と当然のように認識していたことを証明している。
『釣魚島』が台湾の一部であるという中華人民共和国の
長年の主張の論理は完全に崩れた」と解説している。

中国政府は当時、第2次世界大戦後の対日講和条約に関する国際会議参加を
検討しており、中国外務省は50年5月、
対日問題での立場・主張を議論する内部討論会を開催した。
領土草案はそのたたき台として提示されたとみられる。

中国政府が初めて尖閣諸島の領有権を公式に主張したのは71年12月。
それ以降、中国政府は尖閣諸島が「古来より台湾の付属島しょ」であり、
日本の敗戦を受けて中国に返還すべき領土に
含まれるとの主張を繰り返している。

領土草案の文書は現在非公開扱い。
中国側の主張と矛盾しているためとの見方が強い。

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米「尖閣は日本に施政権」 沖縄返還直前決断…安保適用の論拠

産経ニュース 2012.9.28 07:19
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120928/amr12092807220001-n1.htm

1971年の沖縄返還協定調印直前、当時のニクソン米大統領が、
尖閣諸島(沖縄県)の日本への施政権返還を決断した際の詳しいやりとりが
27日までに、米国立公文書館の内部資料で明らかになった。

このときの大統領の決定が、尖閣諸島に日米安保条約を適用するという
米政府の政治判断の根拠になったといえ、
米側の立場を明確に裏付ける資料として注目される。

内部資料によると、ニクソン大統領は沖縄返還協定調印10日前の同年6月7日、
米東部メリーランド州の大統領山荘キャンプ・デービッドで、
キッシンジャー国家安全保障担当大統領補佐官、
ピーターソン国際経済担当大統領補佐官と、
尖閣諸島をめぐり意見交換を行った。

当時、尖閣諸島の日本返還に反対していた中華民国(台湾)は、
沖縄返還協定の条文に「尖閣諸島の施政権はどこにも属さない」
という一文を入れるよう米側に要求。

これを受け、ロジャース国務長官やピーターソン大統領補佐官が、
中華民国側の意向を反映させるようホワイトハウスに働きかけていた。

しかし、ニクソン大統領は7日のキャンプ・デービッドでの会合で、
「尖閣諸島の施政権返還は日本とすでに合意しており、
今さらそんなことはできない」と強調、
尖閣諸島を含めた沖縄の施政権を日本に返還する考えを明確に示した。

さらに食い下がるピーターソン大統領補佐官に対し、
「シャダップ(黙れ)!」と声を荒らげた。

これに先立つ7日朝、キッシンジャー大統領補佐官は、
ジョンソン駐日大使と電話協議し
「領有権が日本と中華民国のどちらにあるかに関係なく、
日本から引き受けた尖閣諸島を含む沖縄の施政権を日本政府に返すだけだ」
と語っている。

日米両政府は71年6月17日に沖縄返還協定に調印したが、
ジョンソン大使のキッシンジャー大統領補佐官宛ての外交電文によると、
ロジャース国務長官やピーターソン大統領補佐官、
ケネディ繊維交渉担当特別大使らは
調印直前まで中華民国寄りの助言を繰り返した。

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「紅衛兵向け中国地図でも尖閣は日本」 返還時、米CIAが報告書

産経ニュース 2012.9.28 21:56
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120928/chn12092821580008-n1.htm

米中央情報局(CIA)が、沖縄県の尖閣諸島をめぐり、
「領土問題は存在しない」とする日本の主張を裏付ける内容の報告書を
作成していたことが27日明らかになった。

報告書は、日米両政府が沖縄返還協定を調印する直前の1971年5月に作成。
当時の中華民国(台湾)が、
米国の尖閣諸島を含む沖縄の施政権に注文をつけたのを受け、
CIAが調査を行ったもので、
米ジョージ・ワシントン大国家安全保障記録保管室に保管されていた。

■66年に刊行

報告書は、中国で文化大革命の担い手だった紅衛兵向けに
66年に刊行された地図を例に挙げ、
「尖閣諸島は中国の国境外に位置しており、琉球(沖縄)列島、
すなわち日本に属していることを示している」と指摘。

67年8月に北京で刊行された一般向け地図帳でも
「尖閣諸島は琉球列島に含まれる」と表記されていると報告している。

台湾でも「尖閣海域が中国側の境界内にあると表示する地図はなかった」
とした上で、
旧ソ連や無作為に抽出した欧州の地図にもそうした表記はないとした。

報告書は、「尖閣海域に埋蔵資源の存在が明らかになった後、
中華民国が領有権を主張し、
これに中国共産党政権が続いて問題を複雑化させた」と指摘。
歴史的にも国際法上も日本固有の領土であるとする日本の主張について
「説得力があり、尖閣諸島の領有権の根拠を示す責任は中国側にある」とし、
「尖閣諸島への中国のいかなる行動も、米国を日本防衛に向かわせるだろう」
と結論付けた。

■台湾は改竄

これとは別に、都内の財団法人「沖縄協会」の調べによると、
台湾当局は71年、中学2年生向け地理教科書「中華民国国民中学地理教科書」
で、領土境界線を“改竄”し、
尖閣諸島の呼称を「釣魚台列島」に改めていたことが判明している。

70年の教科書では「琉球群島地形図」で、同諸島を「尖閣諸島」と明示し、
台湾との間に領土境界線を示す破線を入れ日本領としていた。
だが、71年に呼称を「釣魚台列島」に変更、
破線を曲げて沖縄県与那国島北方で止め、領有権の所在を曖昧にしていた。



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アイゼンハワーもケネディも「日本に主権」認める

産経ニュース 2012.10.8 00:04
http://sankei.jp.msn.com/world/news/121008/amr12100800050000-n1.htm

尖閣諸島の日本への返還前、米国のアイゼンハワー、ケネディ両大統領が
尖閣の主権の日本への帰属を
明確に認めていたことを示す米議会の公式報告書が明らかとなった。

米国はその後、尖閣の主権について「中立」を主張するようになったが、
過去に主権を認定した意味は大きいといえる。

両大統領のこの記録は米国議会調査局が2001年11月、
上下両院議員の法案審議用資料として作成した
「中国の海洋領有権主張=米国の利害への意味」
と題する報告書に掲載された。

報告書は「1945年から71年までの尖閣諸島の米国の統治」という項で、
51年の対日講和会議に加わりアイゼンハワー政権で
国務長官を務めたダレス氏が、尖閣を含む琉球諸島に日本が「残存主権」を
有するとの考えを示したと記している。
残存主権とは「米国がその主権を日本以外のどの国にも引き渡さないこと」
を意味するとしている。

その上で報告書は、アイゼンハワー大統領が57年6月の日米首脳会談で
尖閣を含む琉球諸島の残存主権をめぐり、岸信介首相に対して
「米国が統治する一定期間は米国がその主権を執行するが、
その後には日本に返還される」ことを告げ、
その点を確認したと明記している。

さらに、「62年3月には、ケネディ大統領が沖縄についての
大統領行政命令で、『琉球は日本本土の一部であることを認め、
自由世界の安全保障の利害関係が(尖閣を含む沖縄に対する)
日本の完全主権への復帰を許す日を待望する』と言明した」
との記録を示している。

報告書はこのすぐ後で、
「米国は尖閣諸島を琉球諸島から区分する言動はなにも取っていないため、
この『残存主権』の適用は尖閣を含むとみなされる」と念を押している。

報告書は、沖縄返還時のニクソン政権がこれら2政権の政策を変え、
尖閣の施政権は沖縄と同一に扱いながらも、
尖閣の主権は区別し、「中立」を唱えるようになったと述べ、
その理由として「中国への接触」を指摘している。

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中華民国が尖閣諸島を日本領と認めている感謝状
産經Web96.9.23

産經Web 1996年9月23日

感謝状の中で魚釣島のことを「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島内和洋島」と
日本名で記し、救助した島民を
「日本帝国沖縄県八重山郡石垣村雇玉代勢孫伴君」と明記している。
中華民国八年(大正八年)の冬、
中国の福建省恵安県(現、泉州付近)の漁民、郭合順氏ら三十一人が遭難。
尖閣列島(和洋島=魚釣島)に漂着した。
石垣村の玉代勢孫伴氏(後の助役)が熱心に看病し、
全員を生還させたことへの感謝状で、玉代氏の子孫がこれを保存していた。
感謝状は玉代勢氏のほか、石垣村長(当時)の豊川善佐氏、古賀善次氏、
与那国島出身の通訳で女性の松葉ロブナストさんら計七人に贈られた。
現存するのは、玉代勢氏あてのものだけで、同氏の長男、冨田孫秀氏が
今年一月、自宅に飾っていたものを石垣市に寄贈した。

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サピオに掲載された公電

サピオは平成17年の10月12日号・10月26日号・11月9日号の3回に渡り、
「尖閣諸島は日本の領土」決定的歴史文書掴んだ、を連載した。

書庫の奥で埃をかぶっていた39枚の「手書き公電」

ここに1枚の「感謝状」がある。
贈り主は「中華民国駐長崎領事 馮冕」とあり、
公印も押されている(87ページ参照)。
日付は中華民国9年(1920年、大正9年)5月20日。
原文はもちろん漢文だが、大意は次の通りだ。

《中華民国八年冬、福建省恵安県の漁民、郭合順ら31人が嵐で遭難、
漂流して、日本帝國沖縄縣八重山郡尖閣列島内の和洋島(※魚釣島の別名)
に漂着。
日本帝国八重山郡石垣村雇用(※後の助役)・玉代勢孫伴君は親切に救護し、
故国に生還させてくれた。まことに義を見てめらわないものであり、
深く感服し、この書状の贈呈をもって感謝の気持ちを表すこととする》
(傍点は筆者)
同様の感謝状は、玉代勢孫伴のほか、当時の石垣村長・豊川善佐、
通訳の松葉ロブナスト、そして郭合順ら31名を救出した古賀善次に
それぞれ贈られたと言い伝えられている。(※1)
1996年1月、それまで私蔵されていた感謝状を玉代勢の子息が
石垣市に寄贈したもので、現存するのは、この玉代勢宛ての1枚だけである。

-中略-

遭難救助の状況、当時の魚釣島になぜ古賀善次らが住み着いていたのか、
漂着した31名の福建省の漁民たちはどういう運命を辿ったのか、
次々と疑問が湧いてきた。
何よりも、当時の中華民国とはいえ、中国が「尖閣諸島は日本領」と
認めている公文書の背景を探ることは、現在でも日中両国で論争が続く
尖閣領有問題に重要な一石を投じることになると考えた。

以来、筆者は尖閣諸島に関係する資料が多く保存されている石垣島や
与那国島に足繁ぐ通うことになったのだ。
思いがけぬ機会で、重要な資料を手にすることができたのは今年7月だった。
何度目かの石垣市役所を訪れ、文書課に保存されている古い資料を
あさりまくった末のことだ。

棚の奥から埃を被った39枚に及ぶ
(大正九年一月 遭難支那人救助●●●(※この3文字読解不能)ノ件
(福州人)》と筆書きされた外務省用箋ひと綴りが見つかったのだ。
文書課長も「20数年の市役所勤務のなかでこの一件綴りを見るのは初めて」
と驚いた。全て手書き、それもほとんどが筆書き。
遭難者の調書を始め、救出から保護、本国送還に至るまでの数か月間、
内務省、外務省、沖縄県知事、中国駐長崎総領事、在中国日本公使らの間で
頻繁にやり取りされた公電の記録であった。





-中略-

詳細に記された「救護費用」の内訳

救助された郭合順ら31名が古賀善次の所有船で
魚釣島から石垣島に向かったのは、1920年1月10日のことである。
石垣村長の豊川善佐は慌てて浜に向かった。
先ほど漁師のひとりが、尖閣から漂流民が到着したことを
知らせてきたからだ。

浜に着くと旧知の古賀善次が困惑顔をして豊川に一部始終を話し始めた。
日頃のんびりとした石垣村に衝撃が走り、
豊川は俄然多忙を極めることになった。
沖縄縣知車宛に事情を報告しなければならないし、
そのためには郭合順らの事情聴取もしなくてはならない。
幸いにも与那国島には白系ロシア人との混血で、
中国語に堪能な松葉ロブナストが住んでいた。
早速呼び出して通訳兼世話係とした。

彼ら漂流民の健康状態も気にかかった。恐るべきは「風気」である。
現代でいうマラリアのことで、当時八重山地域の風土病だった。
豊川は玉代勢孫伴
(たままよせそんばん、前号で触れた「感謝状」の受取人の1人)ら、
役場の人々を走らせた。
31名を収容する家の手配、健康診断を行なう医者。
腹を減らした彼らに提供する米飯の準備は、
豊川ら役場職員の妻たちが駆り出された。

こうして漂流民の石垣滞在は10日間に及んだ。
その間、福州漁民遭難の一件は沖縄転知事から内務大臣、外務大臣、
そして引き受け方である中華民国長崎総領事の間で
公電が飛び交うことになる。
最終的に郭合順ら31名が大阪商船八重山丸で台湾の基隆に向けて
帰国の途についたのは1月21日のことであった。

その後の2月26日、豊川善佐は外務省宛に
「漂着支那人救護費用請求書」を提出している。
諸費計算書の総額は《六百弐拾七圓六拾七銭也》。
公電にはその内訳も詳細に記載されている
(読みやすさを考慮してアラビア数字表記)。

◆旅館宿泊料2日分 62円(1人1日当たり1円)
◆食料28食分 130円20銭
(大正8年1月12日朝~21日朝まで。1人1食につき15銭)
◆借家料 29円
◆八重山・基隆問3等汽船賃および通行税 139円56銭
◆尖閣諸島におけ11日間分の食費136円40銭(1人1日40銭)
◆魚釣島から石垣島への護送費 124円(I人4円)

ちなみに、筆者が魚釣島上陸の際にチャーターした舟代は往復で50万円。
124円の護送費は現代の貨幣価値でいえば片道約60万円。
少々高額に思えるが、この金額を石垣村に請求した古賀善次も
父・辰四郎同様になかなかの商売人だったのかもしれない。

だが、当時の石垣村にとって600円余りの立て替え払いは
村財政に大きな負担となったことは否めない。
現在でこそ観光収入で潤う石垣市だが、
当時の状況は豊かどころか、貧困状態にあった。
豊川善佐は止むに止まれぬ思いで日本政府に支払いを請求したのであろう。

だが、この救護費用の支払いを巡って日中両国政府の間で事態は紛糾する。
次回は、発掘された39枚の公電記録に記された「事件の?末」を
解き明かしていく。(平成17年の10月12日号)

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1920年(大正9年)5月、中華民国駐長崎領事が日本に感謝状を贈る。

産経ニュース 2010.11.29 09:00
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/101129/trd1011290901000-n1.htm

「尖閣は日本領」記述 中華民国からの感謝状 石垣村長あても現存

中国が戦前から沖縄・尖閣諸島の日本領有を認めていた証拠となる「感謝状」
の完全版が28日、石垣市内に現存していることが分かった。

感謝状は、1920(大正9)年5月、中華民国駐長崎領事が、
前年に遭難して尖閣諸島に避難した中国・福建省の漁民31人を
日本の住民が救助したことに対して贈ったもの。

文中に尖閣諸島を「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」
と記述している部分があり、
当時の中国が尖閣諸島を日本の領土として認識していたことが分かる。

石垣市によると、感謝状は関係者7人に出された。
このうち、1通は石垣市立八重山博物館に保管されているが、
掛け軸にするため上下左右が切り取られている。

今回発見されたのは、当時の石垣村長、豊川善佐氏に贈られたもの。
尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件をきっかけに、
同博物館が豊川氏のひ孫の女性に調査を依頼したところ、
今月12日、自宅で発見された。

石垣市の中山義隆市長は産経新聞の取材に
「村長あての感謝状で、保存状態も非常によい。
尖閣諸島が日本の領土であることの証明がより強固になった」と話している。


石垣市内で新たに見つかった中華民国からの感謝状
石垣市内で新たに見つかった中華民国からの感謝状

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外務省資料 高規第200号

大正9年1月31日 沖縄県知事・川越壮介

内務大臣・床次竹二郎殿

支那人漂着に関する件

本月16日、電報致置候支那福州漁民、海難に関する状況
左記の通に有之候條此段及び報告候也。



一 遭難者住所氏名

支那国福建省泉洲府恵安県白奇郷

船主並船長・郭 合順 38歳
舵手・郭 得勝 50歳
郭 綉琉 16歳
郭 心法 14歳
郭 細喝 16歳
張 細模 16歳
郭 豚頭 11歳
郭 圓目 20歳
郭 草鞋 38歳
郭 鳥匏 18歳
郭 矮棟 41歳
郭 和 42歳
郭 主直 22歳
鄭 馬送 52歳
郭 夭夫 54歳
郭 鵠 11歳
郭 細北 42歳
郭 喝成 20歳
郭 細棟 36歳
郭 馬腰 11歳
郭 扁頭 40歳
郭 細候 35歳
郭 秋挿 11歳
郭 凹鼻 46歳
江 頭 45歳
郭 承老 48歳
郭 童大 55歳
郭 九六 60歳
郭 実法 11歳
郭 某 11歳

二 遭難及び救護の状況

前項三十一名の者は客年十一月下旬、
船名・金合丸(長さ52尺、幅18尺)帆船に乗組み、
福建省を発し浙江省方面に出稼ぎ漁業中、
客年十二月二十六日、暴風雨に遭遇し船体風波の為め動揺激しく
転覆の恐れあるより之を避ける為め、
帆柱を切断せしにより全く航行の自由を失し、
唯自然に任せ波涛に翻弄せられ漂流しつつありしが、
同月三十日夕刻に至り、管内八重山郡石垣村掛尖閣列島の内、
和平島と称する小孤島に漂着したるを以って、
搭載せる短艇三隻を下し全員分乗して上陸することを得たりしが、
一同は既に食糧盡き飢餓に迫り居りたるも、
幸いに同島には古賀善次なるものの漁業事務所ありて
漁夫其の他三十余名の居留民ありしがは、その貯えある食料を分與せられ、
救護を受け続けて天候不良なる為めその侭事務所の救助を受け滞在し、
本月10日に至り天候漸く回復せしを以って、
古賀の所有漁船に依り遭難者全員を石垣村役場へ輸送し来り。
爾来同村に於いて旅舎に収容保護中なり。
而して彼等の乗組み船は和平島上陸後風波の為め破壊せられ、
船具・船体共全部流失したりと云う。

三 遭難者の処置

遭難者は目下石垣村役場に於いて救護を為し、
一面在長崎支那領事の取引方交渉中なり。

―――――引用終了―――――――

<解説>

沖縄県知事は内務大臣に再び公電を打っているが、
時間が経過しているだけに公電の内容は実に詳細になっている。
以下時系列。

◆1919年11月下旬、福建省泉洲府を出航し、浙江省方面に出稼ぎ漁業。

◆1919年12月26日、暴風雨に遭遇し、転覆回避のため帆柱を切断。
その後4日間漂流。

◆1919年12月30日、魚釣島に漂着し、魚釣島の島民によって救護される。

◆1920年01月10日、漂流中国人を古賀の所有漁船に乗船させ、
魚釣島から石垣村役場へ輸送。

この公電に出てくる「和平島」とは現在の「魚釣島」のことである。
そして事の重大性から警務課長や警保局長が閲覧していたことも確認できる。
遭難者は31名となっているが、実際の名簿を数えると30名なので
恐らく記載漏れなのであろう。
http://bit.ly/142hAVZ

沖縄県知事から内務大臣へ1

沖縄県知事から内務大臣へ2

沖縄県知事から内務大臣へ3

沖縄県知事から内務大臣へ4

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明の上奏文に「尖閣は琉球」と明記 中国主張の根拠崩れる

産経ニュース 2012.7.17 08:38
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120717/plc12071708420009-n1.htm

中国・明代の『石泉山房文集』。赤線を引いた一節に赤嶼(大正島)が
「琉球の境」と記されている=「四庫全書存目叢書」(荘厳文化公司)から
中国・明代の『石泉山房文集』。赤線を引いた一節に赤嶼(大正島)が「琉球の境」と記されている=「四庫全書存目叢書」(荘厳文化公司)から

尖閣諸島(沖縄県石垣市)のひとつ、大正島について、
中国・明から1561年に琉球王朝(沖縄)へ派遣された使節、
郭汝霖(かく・じょりん)が皇帝に提出した上奏文に
「琉球」と明記されていたことが、
石井望・長崎純心大准教授(漢文学)の調査で分かった。

中国は尖閣諸島を
「明代から中国の領土で台湾の付属島嶼(とうしょ)だった」
と主張しているが、根拠が大きく崩れることになる。

尖閣の帰属に関しては1895(明治28)年に
日本が正式に領有した後の1920(大正9)年、
魚釣島に漂着した中国漁民を助けてもらったとして
中華民国駐長崎領事が石垣の人々に贈った「感謝状」に
「日本帝国八重山郡尖閣列島」と明記されていたことが明らかになっている。

明代にも琉球側と記していた中国史料の存在が明らかになるのは初めて。

上奏文が収められていたのは、郭が書いた文書を集めた『石泉山房文集』。
このうち、帰国後に琉球への航海中の模様を上奏した文のなかで
「行きて閏(うるう)五月初三日に至り、琉球の境に渉(わた)る。
界地は赤嶼(せきしょ)(大正島)と名づけらる」と記していた。
現在の中国は大正島を「赤尾嶼(せきびしょ)」と呼んでいる。

石井准教授によると「渉る」は入る、「界地」は境界の意味で、
「分析すると、赤嶼そのものが琉球人の命名した境界で、
明の皇帝の使節団がそれを正式に認めていたことになる」と指摘している。

石井准教授の調査ではこのほか、1683年に派遣された清の琉球使節、
汪楫(おうしゅう)が道中を詠んだ漢詩で

「東沙山(とうささん)を過ぐればこれ●山(びんざん)の
尽くるところなり」

《現在の台湾・馬祖島(ばそとう)を過ぎれば福建省が尽きる》

と中国は大陸から約15キロしか離れていない島までとの
認識を示していたことも分かった。

その後に勅命編纂(へんさん)された清の地理書
『大清一統志(だいしんいっとうし)』も台湾の北東端を
「鶏籠城(けいろうじょう)(現在の基隆(きりゅう)市)」
と定めていたことが、
すでに下條正男・拓殖大教授の調べで明らかになっている。

中国は尖閣周辺の石油資源などが明らかになった1970年ごろから
領有権を主張し始め、71年12月の外務省声明で
「釣魚島などの島嶼(尖閣諸島)は昔から中国の領土。

早くも明代にこれらの島嶼はすでに中国の海上防衛区域の中に含まれており、
それは琉球(沖縄)に属するものではなく台湾の付属島嶼だった」
と根拠づけていた。

石井准教授は「中国が尖閣を領有していたとする史料が
どこにもないことは判明していたが、さらに少なくとも大正島を
琉球だと認識した史料もあったことが分かり、
中国の主張に歴史的根拠がないことがいっそう明白になった」
と指摘している。

●=門の中に虫

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尖閣、400年前は支配外…明王朝公式日誌に

読売新聞 2013年01月21日14時36分
http://news.livedoor.com/article/detail/7334119/

明の支配海域と尖閣諸島の位置


中国の明王朝の公式日誌「皇明実録(こうみんじつろく)」の中に、
明の地方長官が日本の使者との間で、
明の支配する海域が尖閣諸島(沖縄県)より
中国側にある台湾の馬祖(ばそ)列島までと明言し、
その外側の海は自由に航行できるとした記述を、
長崎純心大の石井望准教授(漢文学)が見つけ、
21日午前に長崎市内で記者会見して明らかにした。

中国は現在、尖閣諸島を約600年前の明の時代から
支配してきたと主張しているが、石井氏は記者会見で、
「歴史的に見ても、尖閣を巡る論争は日本側の主張が正しいということが、
この史料からわかる」と語った。

石井氏が見つけたのは、
江戸時代初期にあたる1617年8月の皇明実録の記述。
沿岸を守る長官だった「海道副使(かいどうふくし)」(海防監察長官)が、
長崎からの使者・明石道友(あかしどうゆう)を逮捕・尋問した際の記録で、
皇帝への上奏文として納められていた。

それによると、この海道副使は明石に対し、沿岸から約40キロ・メートルの
「東湧島(とうゆうとう)」(現在の馬祖列島東端・東引島(とういんとう))
などの島々を明示したうえで、
この外側の海を「華夷(かい)の共にする所なり」とし、
中国でも他国でも自由に使える海域だと指摘したという。
魚釣島(うおつりじま)などからなる尖閣諸島は、
中国大陸から約330キロ・メートル離れている。

中国は、明王朝の1530年代に琉球に派遣された使者の記録をもとに、
琉球の支配海域の境界は尖閣諸島の東側にある久米島と同諸島の大正島の間
にあり、魚釣島などは明の領土だったと主張している。
だが、今回の記述により、明の支配海域は
沿岸から約40キロ・メートルまでで、
尖閣諸島はどこの国にも属さない「無主地」だったことが明らかになった、
と石井氏は指摘している。
日本政府は、尖閣諸島が「無主地」であることを調査・確認したうえで、
1895年に日本に編入したとしている。

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「沖縄は日本帰属」と電報=毛主席意向、大使館に徹底。
64年外交文書で判明・中国

時事ドットコム 2013/05/09-18:51
http://www.jiji.com/jc/c?g=int&k=2013050900614

中国外務省が1964年、米国の施政下にあった沖縄の主権について、
毛沢東主席の意向に沿い、「当然日本に返還されるべきだ」という
外務次官の談話を作成した上、各地の大使館などに電報で送り、
外交官に指示を徹底させていたことが9日分かった。
時事通信が、中国外務省档案館(外交史料館)で外交文書として
収蔵された電報の原文コピーを閲覧した。

中国共産党機関紙・人民日報は8日、沖縄をめぐる主権について
「未解決」と主張する研究者の論文を掲載した。
しかし、49年の中華人民共和国の成立以降、
中国は沖縄に対する領有権を唱えておらず、この電報は、
沖縄の日本帰属を中国が認めていたことを示す証拠の一つと言えそうだ。

電報の表題は「『ソ連はあまりに他国領土を取り過ぎている』
という毛主席の談話」(64年7月28日)。
それによると、毛氏は同年7月10日、日本社会党の国会議員と会談。
議員が北方領土問題への毛氏の考えを質問したところ、
「あなたたちに返還すべきだ」と答えた。
毛氏はこの年の1月、訪中した日本の日中友好関係者と会見した際、
沖縄を「日本の領土」と認め、沖縄返還要求運動について、
「中国人民は日本人民の正義の闘争を心から支持する」と表明していた。

背景には、当時の反米闘争や中ソ対立の中で、
毛氏が日本の領土返還要求を支持していたことがある。
中国外務省は毛氏の意向を基に、領土問題に関する原則を策定。
「日本固有の領土は今日、米国に占領された沖縄であろうが、
ソ連に占領された千島列島であろうが、
日本が取り戻そうと要求するのは正しい。
当然日本に返還されるべきだ」という王炳南次官の発言が電報に記載された。

電報はさらに「外交活動の中で、こうした領土問題を自ら話してはいけない。
質問されて答える場合には、個人の見解として王次官らの談話を簡単に伝え、
決して突っ込んで話してはいけない」と注意を促した。

中国では50年5月、対日講和会議に備えて開かれた外務省の
内部討論会などの場で、日本共産党の徳田球一書記長(当時)が
沖縄出身であることから「沖縄の日本への返還を主張すべきだ」
との意見が出て以降、沖縄に対する領有権を
主張しなくなったことが当時の外交文書で判明している。

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広東の企業幹部が「尖閣諸島は日本領土」、中国版ツイッターで発言、
人民日報記事など証拠挙げ、賛同広がる

産経ニュース 2012.8.25 01:14
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120825/chn12082501150000-n1.htm

中国広東省の民間企業幹部が24日、中国版ツイッター「微博」で
「1949年から71年まで中国政府は釣魚島(尖閣諸島)を
日本の領土と認めていた」と異例の発言をした。

日本領有を示す53年1月の中国共産党機関紙、
人民日報の記事や、複数の公式地図など根拠を挙げている。

微博では中国国内からの感情的な反論に加え、
「知識のない大衆が中国共産党に踊らされたことが分かった」
などと賛同する見方も広がっている。

発言をしたのは同省広州の電子サービス企業、
広東捷盈電子科技の取締役会副主席との肩書を持つ女性の林凡氏。

林氏は微博の運営会社、新浪微博から「実名」の認証を受けており、
10万人以上の読者をもつ。

林氏の資料によると、人民日報は53年1月8日付の紙面に掲載した記事で
「琉球群島(沖縄)は台湾の東北に点在し、尖閣諸島や先島諸島、沖縄諸島
など7組の島嶼からなる」と表記していた。

中国当局が監修した53年、58年、60年、67年に
発行した地図の画像も示したが、
その多くが「尖閣群島」「魚釣島」などと表記。
日中境界線も明らかに日本領土を示している。

林氏は冷静に証拠を積み重ねた上で
「中国政府はこれでも釣魚島はわれわれの領土だといえるのか」
と疑問を投げかけた。

中国国内からの反応には、
「資料をみて(尖閣諸島が)日本領だったことが明白に分かった」
「(当局に)タダで使われて反日デモを行う連中には困る」
などと、林氏支持の発言が出ている。

一方、25、26の両日も、尖閣諸島の問題を巡る反日デモが、
四川省南充や浙江省諸曁、広東省東莞、海南省海口など、
地方都市で呼びかけられており、混乱は今後も続きそうだ。

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1953年1月8日の人民日報が尖閣諸島は日本の領土と明記(写真クリックで拡大)
http://megalodon.jp/2012-0831-0018-53/www.geocities.jp/oldmouse99/renminribao19530108.jpg
http://megalodon.jp/2012-0831-0019-20/www.geocities.jp/oldmouse99/renminribao19530108_4.jpg
http://megalodon.jp/2012-0831-0019-52/mamorenihon.files.wordpress.com/2010/10/renmin_ribao_jan_8th_1953_p2_s.jpg




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防衛大学校教授・村井友秀 尖閣で中国は法的に勝ち目なし

産経ニュース 2012.7.23 03:19
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120723/plc12072303200005-n1.htm

現在、日中両国民が互いに悪感情を抱く最大の要因は、尖閣諸島問題である。
尖閣諸島について、日中両国政府はともに固有の領土であると主張している。
世界の常識に照らして、日中両国のどちらの方に分があるのであろうか。

≪国境画定の要素を満たさず≫

国際法には、国境線を定めるルールがある。
それによれば、国境線は、
「先占(せんせん)」、「割譲」、「時効」、「添付」などで決まる。

「添付」とは、干拓や海底火山の噴火などによって、
人工的、自然的に新しい土地が生まれ、その土地が領土になることである。

「時効」とは、領有の意思をもって相当の期間、
継続的かつ公然と占有することによって、
その土地が新しい領土になることである。
ただし、国際法では時効の完成期間は明確にされていない。

「割譲」は、国家間の合意(領土割譲条約)により
領土の一部の主権が移ることをいう。
領土は国家間の合意(条約)で「譲渡」、「交換」されることもある。
なお、現在では、武力行使により他国領土を
強制的に取得しても領有権が移ったとは認められない。

「先占」は、先に占有した国に土地の領有権を認めるものだ。ただし、
(1)先占の主体が国家である
(2)対象地が無主地である
(3)実効的な占有を伴っている
(4)国家に領有意思がある

-という条件を満たしていなければならない。

日本政府は1895年に尖閣諸島が無主地であることを確認し、
閣議決定により日本領土とした(先占)。

これに対し、中国政府の主張は
先占、割譲、譲渡、交換、時効、添付のいずれでもない。
内容が曖昧で解釈も多様な数百年前の古文書を根拠に、
歴史的権利として尖閣諸島が固有の領土だと主張しているのである。
中国の古文書は日本の「先占」に対抗できない。

さらに、「禁反言(きんはんげん)の法理」が存在する。禁反言の法理とは、
自己の言動に矛盾する主張はできないという法である。
中国共産党機関紙の人民日報(1953年1月8日付)は
「琉球群島人民反対美国占領的闘争」との記事を掲載し、
尖閣諸島が琉球の一部であるとしたことがある。

中国共産党はこの記事に矛盾する主張はできない。
国際法に従って判断する国際司法裁判所に
尖閣諸島問題が付託されれば中国に勝つ見込みはない。

≪共産党体制の正統性かかる≫

それでは、なぜ、中国は尖閣諸島が中国領だと主張するのか。

一般的に中国外交は国内問題の反映であるといわれる。
21年に共産主義政党として生まれた中国共産党は、
30年代には、反共の国民党の攻撃によりほぼ壊滅状態に陥った。

だが、日中戦争の拡大で覚醒した中国人の民族主義が、
共産主義というよりもむしろ民族主義(抗日民族統一戦線)政党に変身し、
当時の中国の政治勢力の中で最も反日的であった共産党を、
政権の座に押し上げたのである。

中国共産党政権の正統性の基礎は反日民族主義である。
したがって、中国共産党にとって、対日関係を緊張させて、
日本軍による侵略の記憶を再生産することは、
政権の正統性強化に繋がるのである。

中国共産党政権は独裁政権でもある。
独裁政権は国民の支持ではなく国民を威嚇することで政権を維持している。

したがって、独裁政権は、権力基盤を強化するためには、
国民を威嚇する軍隊や警察を強化しなければならない。

しかし、軍隊や警察を強化すれば国民の支持は低下する。
ただし、「外敵」が存在すれば、外敵から国民を守るという口実によって、
軍隊を強化することに国民の支持を得ることができる。
独裁政権は「外敵」の存在によって、
政権を安定させることができるのである。

≪領土守る覚悟が問われる≫

一方、中国のインターネットでは、南シナ海問題は軍事力を使って
解決すべきだと主張する意見が大部分を占めている。

ネット世論にみられるように、中国世論は好戦的であり、中国政府にとって、
「日本帝国主義に奪われた固有の領土を奪回」する行動は、
国民の人気を取りやすい政策である。

中国政府の尖閣諸島に対する積極政策は、
中国共産党政権の正統性に由来するのであり、
日中関係を緊張させることを目的にしたものである。

日本の行動に対する反応ではない。
今後も国内の緊張が高まれば、
中国は必ず領土問題を再燃させてくるであろう。

中国に積極政策を再考させるには、それによって中国が得る利益よりも、
被る不利益が大きくなるようにしなければならない。

かつて中国は台湾の総統選挙に圧力をかけようとして
台湾近海にミサイルを発射した結果、
米軍の積極的な介入を招き、大きな不利益を被った。

その後、中国が台湾の選挙に軍事的圧力をかけることはなくなった。
状況の不安定化を防ぎ現状を維持するために、
日本として軍拡が必要になる場合もある。

日本政府は覚悟を決め、尖閣諸島が“日本の核心的利益”であり
日中関係の大局に重大な影響を及ぼすと主張すべきである。

ただし、日本国民に、領土を守るために
大きな犠牲を甘受する覚悟がなければ、日本政府は動けない。

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2009年6月24日 9:55 産経新聞

『中国船出現に米軍機飛来 日本の海上保安の現状』

沖縄の本土復帰後、
日本の南西海域を担当してきた第11管区海上保安本部は
日本の海を守る上で最も厳しい現実に直面してきた。
この海域には中国や台湾が領有を主張する尖閣諸島があり、
さらには東シナ海の海底資源問題などで
領海の最前線は一触即発の危険さえはらみつつある。

第11管区海上保安本部は平成4年3月、
「南西海域の海上保安、20年の歩み」という活動記録を発刊した。
その中に「新海洋時代における領海警備」という記述があった。

「本件は昭和53年(1978年)4月12日午前7時半ごろ、
哨戒中の巡視船『やえやま』が魚釣島の北北西海域に
約100隻の船影をレーダーでとらえたことから始まった…」

わずか21行、1ページに満たない記述は淡々と
漁船による領海侵犯事件を記録しているが、
「五星紅旗(中国国旗)を掲げ、機銃を装備した十数隻の漁船
が退去勧告を受け入れず、領有権を主張した」という表現に目がとまった。
つまり漁船ではなく武装船が事件を起こしていたのである。

「やえやま」は31年前、現場で孤立無援のまま300隻以上の武装船と
対峙(たいじ)した。
当時の海保隊員らの証言を総合すれば第二次大戦後初めて
中国と日本が武力衝突する可能性があった。

「あの日の夜明け前、予定通り石垣島から
尖閣諸島に向った時のことでした。レーダーが異常反応を示したのです。
乗組員全員に緊張が走りました。
最初はレーダーが濃い霧か何かをとらえただけの間違いだろうと
考えたわけですが、現場に到着して目を見張った。
優に300隻を超す漁船や貨物船風の船舶が五星紅旗を掲げ、
自動小銃を抱えた人民服の兵士が乗船していたからです。(中略)」

「われわれには手に負えないと考えた。
午前8時、管区本部に応援を依頼し、
1時間後にはどこからか米軍機が飛来した。
これで助かったと思いましたね。
ところが、米軍機は上空を旋回するばかりで…。
(中略)
そのうち中国船は、どんどん領海内に入り込み、上陸の準備を始めた。
阻止できるのは巡視艇1隻だけ。小型艇に5人ほどの隊員が乗り込み、
退去勧告のため乗り込むことを決意したが、
貨物船と見えた大型船は重機銃を備えつけた武装船とわかり驚いた。
船内のあちこちから軍服を着た兵士とみられる男が自動小銃を構え、
手が震えているのもはっきりと見えた。
われわれはすぐにうつぶせになり、武器のないことを示そうとしたが、
ひとつ間違えれば射殺されていた」

事件の深刻さに気づいた海上保安本部は中国武装船団の発見から2日後に
尖閣諸島警備実施本部を設置、全国から集まった10隻の巡視艇、
4機の航空機で船団を領海外に押し戻したと記述されている。
事件は2カ月後、収束した。

だが、当時の海保隊員らは、
実態は「押し戻したのではなく中国側が断念したからだ」と証言した。

「文化大革命直後の中国軍はまだ近代化にほど遠く、
まともな艦船がなかった。周辺の海図さえなかった。それが断念の背景だ」

さらに武装船が重機銃を装備していたことについて
「(沖縄駐留の)米軍機の反応を確かめる意味があったのでは」と話した。

あれからほぼ30年を経て中国軍の近代化は改革開放による
経済発展とともに急速に進んでいる。
米国防総省が今春、発表した「中国の軍事力に関する年次報告」では、
「中国は2020年までに複数の空母を建造し、
EEZ(排他的経済水域)の権益や領有権の主張を強めるだろう」
と、警告している。

また、中国海洋調査船の活動についても海保幹部は、
「この10年間、中国の調査船の航路に赤線を入れてみると、
東シナ海は真っ赤になってしまった。
沖縄近辺の詳細な海図をすでに持っているはずだ」と、話している。

昨年12月、その調査船2隻が尖閣諸島近くに停泊した。
日本の領海内だ。
だが、退去勧告に対して中国海洋調査船は
「中国領海から退去せよ」と逆に厳しい口調で返答してきたという。
(前田徹)

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尖閣諸島が中国領ではない5つの理由
http://www.youtube.com/watch?v=05x4iciT_z8
5 Reasons Why the Senkaku (Diaoyu) Islands are NOT Chinese Territory
http://www.youtube.com/watch?v=gnlr_OBN2uw

200 Japanese lived on SENKAKU- Photos . Tokyo slams Beijing "Stop lying" 谷山雄二朗
http://www.youtube.com/watch?v=sK0dPy8L4OU

尖閣諸島はどこに属すの?
http://www.youtube.com/watch?v=T6hdwpH1STk
Where do Senkaku, Diaoyu, or Pinnacle Islands belong to?
http://www.youtube.com/watch?v=V7RQNjiTEuQ
尖閣諸島はどこに属すの?- USCAR
http://www.youtube.com/watch?v=T6hdwpH1STk

日本外務省 尖閣諸島の領有権についての基本見解
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/senkaku/index.html

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中国共産党も知っていた、蒋介石が「尖閣領有を断った」事実

日経ビジネス 2013年2月14日(木)
http://nkbp.jp/Y3OReW

中国が尖閣諸島の領土主権を主張する最大の根拠は何か。

一つは日本が日清戦争時代(1894~95年)に、
清王朝が弱体化したことを良いことに、「ドサクサ」にまぎれて
釣魚島(尖閣諸島)を清国から不当に奪ったというものである。

もう一つは2012年9月27日に中国の外交部の楊潔虎部長(外相)が、
国連総会で述べた根拠である。
それは「第二次世界大戦後、『カイロ宣言』と『ポツダム宣言』などの
国際文書に基づいて、釣魚島を含む島嶼は、日本に占領されたその他の
中国領土と共に中国に返還された」というものだ。
中国共産党の機関紙「人民日報」の日本語版が伝えている。
この表現は同紙のウェブサイトからダウンロードした。

ところが、この二つとも事実とは全く逆であることを
証明する決定的な情報があった。

しかも、その情報は中国共産党の
「中国共産党新聞網」(網はこの場合ウェブサイト)、
および中国政府の新聞である新華社の「新華網」が載せていたことを、
このたび発見した。

現在の中国政府の主張と、彼らが(と言っていいだろう)自らの
ウェブサイトに載せている情報は完全に相反し、決定的に矛盾する。

記事のタイトルは「蒋介石后悔拒収琉球群島」
(蒋介石は琉球群島を領有するのを拒んだことを後悔した)で、
発表されたのは2008年1月16日。
中国の雑誌「各界」に王幸福という人が書いたものを転載したようだ。
その評論を胡平という人が隔週の雑誌「中国人枚双周刊」第86期
(2012年8月24日~9月6日)に出していることから、
筆者はこの情報を知るに至った。

「カイロ会談」での蒋介石とルーズベルトの密談

この記事で語られているのは、1943年12月23日から25日にかけて行われた
「カイロ密談」の内容とその舞台裏だ。

今回は、ここに書かれている「カイロ密談」の舞台裏を
読み解くことによって、尖閣問題の解決を握るカギを模索したい。

1943年12月1日に日本の戦後処理を巡って連合国側から
「カイロ宣言」が出されたことは周知のとおり。
後のポツダム宣言のひな形はここで作られた。

しかし、その宣言が出される前に当時の中国、
すなわち「中華民国」の蒋介石主席とアメリカ合衆国のルーズベルト大統領
との間に交わされた機密会談を知る人は、
戦中・戦後史の研究家を除けばそう多くはない。
イギリスのチャーチル首相は参加せず、
蒋介石とルーズベルトの二人だけによる、完全な密室会談だ。

中国のウェブサイトの記事の内容は
「アメリカのルーズベルト大統領が中華民国国民政府の蒋介石主席に
『日本を敗戦に追いやった後、琉球群島をすべて中華民国(中国)に
あげようと思うが、どう思うか』と何度も聞いたのに、蒋介石が断った」
というものである。

琉球群島を巡る権力者の生々しいやりとり

現在の日本人にとってはルーズベルトの発言はショッキングだろう。
「戦後の体制を、米英中ソの四カ国で固めよう」と考えたルーズベルトが、
中国の大国化を支援するために気前の良い提案をした、
とされるが、ここでは置く。

この記事の前半、「米中で琉球群島を共同管理しよう」という
提案の部分までは一定程度知られている内容だ
(※『日米戦争と戦後日本』五百旗頭真著、講談社学術文庫などを参照)。

しかし、中国のこの二つのウェブサイトに掲載された内容には
「蒋介石がルーズベルトのオファーを断り、断った後に、ひどく後悔し、
絶対に口外するなと部下に口止めをした」
といった内部情報が生々しく書いてある。
この「拒絶と後悔」および「口止め」の部分は、
私が知る限りこの時点までは公になっていなかった。
中国国外でも、これに注目した動きはなかったようだ。

今回の「カイロ密談の舞台裏」に基づいて今日の尖閣問題を読み解く試みは、
何よりもこの情報が中国共産党と中国政府のウェブサイトに書いてある、
ということがキーポイントだ。

詳細は2月20日に発売される
『チャイナ・ギャップ 噛み合わない日中の歯車』で述べている。
版元の都合を言えば発売後に公開したいところではあろうが、
尖閣諸島を中心とした東シナ海情勢が危険な水域に達し始めたので、
思い切ってここで公開させていただく。

以下、略

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1943年のカイロ宣言では、「満州、台湾、澎湖諸島のように日本が清国から
窃取した一切の地域を中華民国に返還する」とされており、
その中に尖閣諸島が含まれると中国は主張しているが、

1895年に日本と清国が締結した下関条約(日清講和条約)で
割譲範囲を規定した第2条「二、台湾全島およびその付属諸島嶼」の中に
尖閣諸島は含まれていない。
尖閣諸島は明治28年(1895年)から日本固有の領土であり、
カイロ宣言にある「日本が清国から窃取した地域」ではない。

また、カイロ宣言には時間と日付が記されていないうえ、
3首脳(蒋介石、ルーズベルト、チャーチル)のいずれも署名がなく、
事後による追認もなく、授権もない。
カイロ宣言は戦争中に日本の敵国が勝手に話をした事の
プレスリリース(声明書)に過ぎず、
日本の領土についての法的拘束力は全くない。

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以下、「日本の外務省のFAQ」より
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/senkaku/qa_1010.html#qa11

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Q11 中国政府は、1943年「カイロ宣言」、
またその後の1945年「ポツダム宣言」を日本が受け入れた結果、
尖閣諸島は台湾の附属諸島として、
台湾とともに中国に返還された旨主張しています。
また、中国を排した状況で締結されたサンフランシスコ平和条約により
米国の施政下におかれることとなった南西諸島に尖閣諸島は含まれておらず、
1953年12月に米国政府は『琉球諸島の地理的限度』を発表して
米国の管轄範囲を無断で拡大し、
1971年に米国が沖縄の施政権を日本に返還する際に
尖閣諸島もその返還地域に組み入れられた。
中国政府は一貫して尖閣諸島が日本の領土と認めていない旨
主張していますが、日本政府はどのような見解を有していますか?
―――――――――

A11
1.カイロ宣言やポツダム宣言は、当時の連合国側の戦後処理の基本方針を
示したものですが、これらの宣言上、尖閣諸島がカイロ宣言にいう「台湾」
の附属島嶼に含まれると中華民国を含む連合国側が
認識していたとの事実を示す証拠はありません。

2.そもそも、戦争の結果としての領土の処理は、
最終的には平和条約を始めとする国際約束に基づいて行われます。
第二次世界大戦の場合、同大戦後の日本の領土を法的に確定したのは
サンフランシスコ平和条約であり、
カイロ宣言やポツダム宣言は日本の領土処理について、
最終的な法的効果を持ち得るものではありません。

3.日本は、サンフランシスコ平和条約第2条(b)により、
日本が日清戦争によって中国から割譲を受けた台湾及び澎湖諸島の
領有権を放棄しましたが、
尖閣諸島はここにいう「台湾及び澎湖諸島」に含まれていません。

なぜなら、尖閣諸島は、サンフランシスコ平和条約第3条に基づき、
南西諸島の一部として米国が施政権を現実に行使し、
また、1972年の沖縄返還により日本が施政権の返還を受けた区域にも
明示的に含まれているからです。

4.サンフランシスコ平和条約締結に際し、
尖閣諸島は日本の領土として残されましたが、
主要連合国である米、英、仏、中国(中華民国及び中華人民共和国)の
いずれも異議を唱えていません。
むしろ、中国は、1953年1月8日人民日報記事
「琉球諸島における人々の米国占領反対の戦い」において、
米国が、カイロ宣言やポツダム宣言で信託統治の
決定がなされていない琉球諸島を、
琉球諸島の人々の反対を顧みず占領したと非難していますが、
同記事には琉球諸島は尖閣諸島を含む7組の島嶼からなる旨の記載があり、
尖閣諸島が琉球諸島の一部であることを認めています。
中国はサンフランシスコ平和条約の締約国ではありませんが、
日本は当時承認していた中華民国(台湾)との間で
日華平和条約を締結しました。
同条約において、日本はサンフランシスコ平和条約第2条に基づき、
台湾及び澎湖諸島等に対する全ての権利等を放棄したことが
承認されていますが、同条約の交渉過程では、
日本領として残された尖閣諸島については一切議論されていません。
このことは、尖閣諸島が従来から日本の領土であることが
当然の前提とされていたことを意味します。

5.1968年秋に行われた国連機関による調査の結果、
東シナ海に石油埋蔵の可能性があるとの指摘を受けて
尖閣諸島に注目が集まり、1970年代以降になって、
中国政府及び台湾当局が独自の主張を始めました。
それ以前には、サンフランシスコ平和条約第3条に基づいて
米国の施政権下に置かれた地域に尖閣諸島が含まれている事実に対しても、
何ら異議を唱えていません。何ら異議を唱えていなかったことについて、
中国政府は何ら明確な説明を行っていません。

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尖閣「570年前に見つけた」 中国の女性大佐が森本前防衛相に主張

産経ニュース 2013.2.18 20:45
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130218/plc13021820460013-n1.htm

森本敏前防衛相は18日、東京都内の海上自衛隊幹部学校で開かれた
「アジア太平洋諸国海軍大学セミナー」で講演。
沖縄県・尖閣諸島について、
「日本固有の領土であることに一片の疑いも持っていない」
と述べたのに対し、中国海軍の出席者が自国の領有権を主張した。

講演で、森本氏は「日中に領有権問題がないというわが国の公式の立場は
国際慣習から見ると難しい解釈だ。
政治、外交上の重大な問題の存在は認めるべきではないか」とも述べ、
日中間の歩み寄りを促した。

会場にいた中国海軍上級大佐の女性はそれでも、
「中国は日本よりも570年前にこの島を見つけた記録がある」と主張。
中国側が領有権の根拠とする明代の文書を念頭に発言したとみられるが、
森本氏は「中国が領有権を主張し始めたのは1970年代以降だ」と反論した。

―――――引用おわり―――――――

「先に見つけた」だけでは何にもならない。

「領有権の主張」、「実効支配」、「国際的認知」がないのなら、
単に「先に見つけた」にすぎない。

「先に見つけたから自分のもの」が通用するなら、
北アメリカは先住民インディアンに領有権があり、
中南米の国々の領土はインディオのものであり、
オーストラリアやニュージーランドの領土は
アボリジニーに返還されなければならなくなる。

そのような主張をするなら中国は、
「内モンゴル自治区と北京一帯」を現モンゴル共和国に返還し、
チベット王国と東トルキスタン共和国の独立を認め、
ついでに朝鮮半島の領有も主張すればいいではないか。

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中国地図に「釣魚島」未記載=71年以前、
尖閣自国領と見なさず-国境線も変更

時事ドットコム 2013/12/29-16:14
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2013122900029

1949年に中華人民共和国(中国)が成立して以降、
71年7月までに中国政府系の地図出版社が発行した地図の中に、
領有権を主張する沖縄県・尖閣諸島について「釣魚島」という中国名が
一切記載されていないことが29日分かった。

中国が尖閣諸島の領有権主張を始めたのは71年で、
同年以前に国家測絵(測量製図)総局が
作成した国内地図にも記載がなかった。
主張開始に合わせて尖閣諸島周辺の国境線の位置を
意図的に変更したとみられることも判明した。

46年~2003年までに中国で発行された国内・世界地図計50種類以上を
時事通信が入手し、調査した。
複数の専門家によると、尖閣諸島をめぐり中国発行の地図を
作成年次ごとに連続して系統的に調べたのは初めてとみられる。

尖閣問題に詳しい芹田健太郎・京都ノートルダム女子大学学長(国際法)は
「政府系出版社の地図に(中国名の)記載がないのは、
領土という意識がなかったことを裏付けるものだ」と指摘した。

こうした地図の存在は、日本の尖閣諸島国有化や中国による
防空識別圏設定で対立を深める日中間の議論にも波紋を広げそうだ。


1971年以前(写真上)と同年以降(写真下)の中国の地図。
71年以降の地図には「釣魚島」の記載があり(1)、
台湾と与那国島の間の境界が北緯25度より下にある(2)
=写真上「中国地図帳」(地図出版社、66年4月)、
同下「世界地図帳」(地図出版社、71年7月)

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どの国も、さかのぼれば、どんどん小さな単位になっていく。
いわば全ての人が侵略された被害者の子孫だといっても過言ではない。

◆沖縄(琉球)略年表
沖縄の琉球国時代は中国(明、清)に朝貢する中国の属国であった。
※中国(明、清)に朝貢はしていたが中国の領土になったことはない。

●1406年、尚巴志、中山王の武寧を滅ぼし父、思紹を王とする。
●1416年、尚巴志、北山を滅ぼす。
●1421年、尚巴志、中山王に即位。
●1429年、尚巴志、南山を滅ぼして三山全島を統一支配。
●1466年、尚徳王、喜界島に遠征。
●1466年 尚徳王、奄美群島北部を制圧。
●1500年、石垣島でオヤケアカハチの反乱。尚真王が送った琉球軍で制圧。
●1511年 尚真王が久米島を制圧。
●1522年 宮古島の仲宗根豊見親が与那国島のサンアイ・イソバを制圧。
●1571年、尚元王、奄美大島の反乱を制圧。
●1609年、薩摩軍が琉球国に侵攻。
3月4日、薩摩藩の島津氏が3000名の兵を率いて薩摩を出発。
3月8日、奄美大島に進軍。
3月26日、沖縄本島に上陸。
4月1日、首里城まで進軍。
琉球国は4000名の兵士を集めて対抗したが敗れた。
4月5日、尚寧王が和睦を申し入れて首里城開城。
以後、薩摩藩にも貢納を始め、清と薩摩藩の両属となった。
●1872年、日本政府、琉球藩を設置(琉球王国の廃止)外務省管轄となる。
●1874年、内務省管轄となる。中国への最後の進貢。
牡丹社事件の台湾出兵
宮古島の住民が台湾に漂着し、54名が殺害された事に対し日本が台湾に出兵。
●1875年、中国(清国)への進貢、冊封を禁止。
●1876年、日本政府が琉球藩と清の交流断絶を交付。
幸地親方が清国へ密書を持って渡航。
●1879年、琉球処分。琉球藩にも廃藩置県令。琉球藩廃止。沖縄県設置。
琉球処分官の松田道之が随員32人、警官160人、軍隊400人を率いて
沖縄を訪れ、3月31日、首里城の明け渡しが行なわれた。尚泰王は退位。
●1880年、沖縄県各地に小学校、中学校の設置が始まる。
●1884年、大東島を調査し、沖縄県管轄とする。
●1898年、徴兵制度施行(先島は1902年)
●1909年、府県制(特例)施行、初の県会議員選挙実施。
●1910年(明治43年)、那覇区に電話開通。
●1912年、衆議院議員選挙法施行(宮古・八重山除き定員2名)
●1914年、首里-那覇間に電車開通。
●1919年、衆議院議員選挙法の改正で宮古・八重山を加えて定員5名となる。
●1922年、嘉手納線開通。
琉球貿易図屏風の一部(滋賀大学経済学部附属史料館蔵)。薩摩藩に服属していた琉球王国は支那への進貢船に「日の丸」を掲げていた。日章旗は琉球王国の船旗の一つであった。
琉球貿易図屏風の一部(滋賀大学経済学部附属史料館蔵)。
薩摩藩に服属していた琉球王国は支那への進貢船に「日の丸」を掲げていた。

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中華民国 1965年 世界地図集 第一冊 東亜諸国


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1970年 中華民国59年1月初版国民中学地理教科書
1970年 中華民国59年1月初版国民中学地理教科書


1971年 中華民国60年1月再版国民中学地理教科書
1971年 中華民国60年1月再版国民中学地理教科書

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Wililliam Darton『China』1834年
http://nla.gov.au/nla.map-rm238
「Hao-yu-su=魚釣島、Hoan-oey-su=久場島、Tshe-oey-su=大正島」
中国側の薄青い円に尖閣諸島が含まれていない。


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西洋諸国も「尖閣は日本領」 石井氏研究 編入前から認識
【八重山日報 2015年3月19日】
http://www.yaeyama-nippo.com/2015/03/19/西洋諸国も-尖閣は日本領-石井氏研究-編入前から認識/

昭和44(1969)年に中国測絵(そっかい)総局(国土地理院に相当)が
刊行した尖閣諸島の地図で、日本名「尖閣諸島」が用いらているため、
日本の外務省が「中国が尖閣を日本領と認識していた証拠」として
ホームページに掲載。尖閣を自国領とする中国の主張の破たんが
改めて浮き彫りになった。さらに長崎純心大の石井望准教授は
「日本が尖閣を領土に編入するより先に、西洋の地理学では
尖閣を日本領とみなしていた」と指摘する。石井准教授に話を聞いた。
―今回日本側の掲載地図に対する反論として、
「人民日報」海外版3月8日第1面では、
清華大学の劉江永(りゅう・こうえい)教授が
「1845年に英国軍艦サマラン号が尖閣を探検計測して以後に
刊行された地図や、1894年までにイギリス海軍が
いく度も修訂した『中国海針路志』では、
尖閣を台湾東北の諸島に入れている」と述べて、
尖閣が中国に属したのが日本よりも先だと反論している。
「中国側が証拠として採用するのは、ただ尖閣を清国周辺に
掲載した地図ばかりであって、国境線を描いたものではない。
国境線を描いた地図では、清国の国境線はすべて尖閣の西側になっている。


『China』イギリス・スタンフォード社 1887年刊行
(オーストラリア国立図書館蔵)
国境線が魚釣島(hoapin-su)の西側にあり、日本領と認識されている。




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八重山日報 2013年10月3日
明治元年、尖閣の西に境界線あり㊤ 「無主地と確認するまで」
伊井 茂・石井 望・赤染 康久
http://www.yaeyama-nippo.com/2013/10/03/%E6%98%8E%E6%B2%BB%E5%85%83%E5%B9%B4-%E5%B0%96%E9%96%A3%E3%81%AE%E8%A5%BF%E3%81%AB%E5%A2%83%E7%95%8C%E7%B7%9A%E3%81%82%E3%82%8A-%E7%84%A1%E4%B8%BB%E5%9C%B0%E3%81%A8%E7%A2%BA%E8%AA%8D%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%BE%E3%81%A7-%E4%BC%8A%E4%BA%95-%E8%8C%82-%E8%B5%A4%E6%9F%93-%E5%BA%B7%E4%B9%85-%E7%9F%B3%E4%BA%95-%E6%9C%9B/
平成23年7月16日、伊井は明治25年(1892年)刊行の
マイヤー百科事典第一冊内「アジア政治大観」図の尖閣部分を
自身のブログ「Kaiunmanzokuのざれごと、たわごと、綺麗事」※に掲載した。
http://d.hatena.ne.jp/kaiunmanzoku/20120716/1342441946
尖閣の西側にくっきりと線が描かれている。
他の各国の国境線と同じ形式であり、
尖閣に於いても国境として認識されたと分かる。
日本が明治28(1895)年に領有する3年前である。
百科事典の地図にはもとづく原本が存在する。
それは本紙9月29日付既報の
「ハンド・アトラス」(シュティーラー氏世界小地図帳)の中の
「中国・朝鮮・日本図」(明治元年=1868年製作)である。
同地図帳中のポリネシア図などでも尖閣の西側に点線が描かれている。
地図帳を通観すると、点線は政治勢力分布で島嶼群を
まとめたもののようである。日本が尖閣を領有する27年前から、
既に西洋では尖閣が日本勢力圏内だという認識が広まっていたのだ。
時あたかも明治維新の年、日本はまだ海洋進出を始めていなかった。
日本から頼まなくても西洋人は勝手に
尖閣を日本領とみなしていたことになる。
そうなるまでに当然長いいきさつがあったことは後述しよう。
日本政府は明治28(1895)年に、清の支配が及んでいないと確認し、
既に日本の勢力下にある「無主の地」として尖閣諸島を領有した。
その正当性を国際認識の上からも裏付けるのが今回の諸史料といえるだろう。
尖閣諸島は中国大陸や台湾に成立したいかなる政権によっても、
歴史的に一度もその領土となった事実がない。
それは大陸政権の諸記録を精査した日本側研究により
早くから明らかになっている。
最近いしゐもそこに新たな証拠を加えつつある。
なぜ明治元年にこのような境界線が出現し得たのか。
それをさかのぼって行くと、
江戸初期の朱印船時代に台湾東岸航路が切り開かれ、
その北方延長線上に尖閣諸島があったため、西洋人は先島諸島に
附随する島として認識するようになったことが分かってきた。
(文責・伊井 茂)

『Meyers Konversations-Lexikon』(マイヤー大衆百科)
書誌学学院(独)刊 1892年版
尖閣諸島の左側に国境線が引かれている。


マイヤー百科事典 1889年版
尖閣諸島の左側に国境線が引かれている。


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八重山日報 2013年9月29日
欧州でも「尖閣は沖縄」 明治元年のドイツ地図に記載
http://www.yaeyama-nippo.com/2013/09/29/%E6%AC%A7%E5%B7%9E%E3%81%A7%E3%82%82-%E5%B0%96%E9%96%A3%E3%81%AF%E6%B2%96%E7%B8%84-%E6%98%8E%E6%B2%BB%E5%85%83%E5%B9%B4%E3%81%AE%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E5%9C%B0%E5%9B%B3%E3%81%AB%E8%A8%98%E8%BC%89/
明治元年(1868年)にドイツで製作された地図が、
尖閣諸島の西側に日本の境界線を描いていたことが分かった。
長崎純心大の石井望准教授は「西洋人は古くから、
尖閣諸島を先島諸島に付随する島として認識していた」と指摘。
尖閣が日本領であることの認識が欧州でも
歴史的に定着していた証拠として注目している。
地図の存在は、民間研究者の伊井茂氏、石井氏、
東京大理学部助教の赤染康久氏の共同研究で明らかになった。
地図はドイツの地図製作の大家、アドルフ・シュティーラーの
名義で発行されていた「ハンド・アトラス」(小地図帳)の中の
「中国・朝鮮・日本図」。
図上では尖閣の西北側から与那国島の西側を経て、
台湾の緑島(りょくとう、旧火焼島)の西南側まで点線が引かれ、
日本と同じ薄青色に彩色されている。
―――――――
ドイツで1869年に刊行された世界小地図帳「ハンド・アトラス」
の中の「中国・朝鮮・日本図」(明治元年=1868年製作)
アドルフ・シュティーラー著。東京大学総合図書館蔵(5298948)
中央上寄りに尖閣諸島があり、尖閣諸島の西側に国境線が引かれている。
ドイツ1869年

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ドイツのライプティヒにあるMeyers Konversations-Lexikonが
1892年に1890年当時の政治勢力図を描いた地図。
(Political map of Asia in 1890)
尖閣諸島の左側に国境線が引かれている。
おまけに竹島や鬱陵島も日本領として当時のドイツに認識されていた。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4f/Asien_Bd1.jpg


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Stielers Handatlas 1891 の拡大図
http://commons.wikimedia.org/wiki/Stielers_Handatlas_1891


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Edward Stanford (1827-1904)
Stanford's map of eastern China,
Japan and Korea the seat of war in 1894.
(オーストラリア国立図書館蔵)
尖閣諸島が日本側の薄青い円に含まれている。
http://nla.gov.au/nla.map-rm231


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清国、尖閣諸島を領土と認識せず…
「日清戦争で強奪」の中国主張を覆す公文書確認

【産経ニュース 2015.3.15 16:57】
https://archive.today/vJyoL
https://archive.today/c57ZU
https://archive.today/tbf2i

福建省福州海防官が上海の日本総領事館に送った公文書。
3人が尖閣諸島を目指して出航したという
明治政府の説明を問題視せずに引用している。
熊本県民井澤弥喜太外二名清国、漂流したる節救助したる同国地方官、謝意傳達之件

日清戦争直前の明治26(1893)年、清国が日本側に出した公文書で、
尖閣諸島(沖縄県石垣市)を清国領と認識していなかったことが、
長崎純心大の石井望准教授(尖閣史)の研究で分かった。

中国側は現在、尖閣諸島について清国の領土であり、
日清戦争に乗じて「日本が強奪した」(中国共産党機関紙「人民日報」)
と主張するが、新たに確認された公文書は、この主張を覆すものといえる。
(奥原慎平)

公文書は、尖閣諸島に向けて出航し、難破した熊本県民ら3人に関する
両国間の往復書簡「熊本県民井澤弥喜太外二名清国、
漂流したる節救助したる同国地方官、謝意傳達之件」。
日清間で交わされた書簡など計9通からなる。

日本内外の漂流事例を記録した
「困難船及漂民救助雑件」(外務省外交史料館所蔵)に収録されている。
尖閣諸島をめぐる日清間の動向を記録した公文書が確認されたのは、
初めてだという。

公文書によると、熊本県の井澤弥喜太は明治26年6月、
2人の鹿児島県民とともに、
胡馬島を目指して八重山島(石垣島)を出航した。
胡馬島は、尖閣諸島の魚釣島か久場島とみられる。
だが途中、暴風雨に遭い、清国の浙江省に流れ着いた。

3人は清国の官憲に保護され、取り調べを受けた後、
上海経由で9月に日本に移送された。

同年12月、外務大臣だった陸奥宗光は、
3人の保護・移送に協力してくれた清国の地方官へ感謝する趣旨の公文書を、
上海総領事館に作成させ、福建省福州海防官(長官級)宛てに送った。

その中で、漂流の経緯については、3人は八重山島から、
胡馬島を目指したが、中国沿岸に流れ着いたと説明した。

公文書を受け取った海防官は
「胡馬島が目的だった」という日本側の説明を引用した上で、
「ここに上述の趣旨の通り、(各地方官に)報告及び通知する」
と記すのみで、3人が胡馬島を目的地とした点について、
抗議などした形跡はなかった。

翌明治27年7月に日清戦争が始まった。
明治政府は戦争中の28年1月に閣議決定し、
尖閣諸島を日本の領土に正式編入した。

現在、中国は、尖閣諸島を17世紀に清国が編入した台湾の一部だとして、
領有権を主張する。
また、明治政府による閣議決定について、
日清戦争に乗じて尖閣諸島を奪ったなどと主張する。

今回、石井氏が発見した公文書は、日清戦争以前から、
清国が尖閣諸島を領土とは認識してはいなかったことを示すといえる。

尖閣の歴史に詳しい筑波大名誉教授の尾崎重義氏(国際法)は
「当時、中国側が尖閣諸島を台湾の一部と認識していたなら、
(領土侵犯として)問題にすべき話だった。
尖閣は清国外の無人島という認識だったのだろう。
『無主地』として日本領土に編入した明治政府の決定が
正しかった傍証となる」と指摘した。

石井氏も「そもそも、尖閣諸島の西側には中国の国境線を
記録した史料が多数あり、無主の地であることは明らか。
日清間の公文書はその裏付けとなる」と述べた。

尖閣諸島をめぐっては自民党の原田義昭衆院議員が今年2月、国会質問で、
日本の国土地理院に当たる中国国家測量局が1969年、
尖閣諸島を日本領としていた地図を発行していた事実を指摘している。

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1969年製中国地図に「尖閣=日本領」 外務省が公表へ

産経ニュース 2015.3.5 23:23
http://www.sankei.com/politics/news/150305/plt1503050046-n1.html

自民党は3月5日の外交・経済連携本部などの合同会議で、
沖縄県・尖閣諸島を日本領土として
表記した中国の1969年発行の地図のコピーを外務省に渡した。
自民党によると、尖閣の領有権を主張する中国が当時、
日本の領有を認識していた事実を裏付ける資料だとして、
外務省がホームページ(HP)などで公表する予定という。
地図は日本の国土地理院に当たる中国国家測量局が作成。
尖閣諸島を「尖閣群島」と表記し、日本領に位置付けている。


衆院予算委員会で中国で出版された地図のパネルを示しながら
質問する自民党の原田義昭氏=2月23日午前、国会・衆院第1委員室
(酒巻俊介撮影)
2015_3_5_skk_tz_原田義昭氏

1969年 中華人民共和国国家測絵総局 発行地図


中国は、日本の国土地理院にあたる「中華人民共和国国家測絵総局」
(2012年9月13日、「中華人民共和国国家測絵地理信息局」に改称)が、
潘国連事務総長に日本名表記の「尖閣群島と魚釣島」を「釣魚島」と
中国名表記に変えて中国の領土・領海と申請している。


中華人民共和国 国家測量局 1969年 発行「中華人民共和国 分省地図」


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『台湾 淡水庁全図 1871年』
緯度・経度が記載されているが、尖閣諸島は範囲外となっている。

↓↓↓拡大
TWTCZZ1871拡大

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1920年(大正9年)5月、中華民国駐長崎領事が日本に感謝状を贈る。
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-279.html
いわゆる南京大虐殺・URL図書室
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-518.html
隠蔽が続く大東亜戦争の発端
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-553.html
竹島が日本の領土である根拠
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-164.html

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以下、my日本の佐藤卓さんの日記より
http://sns.mynippon.jp/?m=pc&a=page_fh_diary&target_c_diary_id=500144

現在の台湾島は南樺太や千島と同じく国際法上どこの国の領土でもない。
支那蒋介石系国民党が領有権を主張して不法占拠している状態で、
支那共産党も同じく領有権を主張している。

台湾内で既成事実かのように行われている国民党施政下の議会での
2大政党は国民党と民進党で、
国民党は台湾島を含む大陸全土(満州族王朝が統治する清朝支那帝国領範囲)
を国家領土と主張していて、
民進党は台湾島を国家領土とし、大陸の領有権は主張していない。

台湾の中で活動する政治団体の中に
これらとは全く違う主張をしている臺灣民政府というものがある。
彼らはまず台湾は日本の領土だとし、
現在の台湾は終戦直後の沖縄と同じ状態、即ち沖縄民政府時代と同様、
米軍占領下の日本帝国領土(日属米占)であり、
国民党軍は米軍代理の進駐軍にして
その国民党軍を司る中華民国は領土を持たない亡命政府であるとしている。

さらに台湾島の地位を国際法上曖昧にしている責任は日米にあり、
それらが即刻日本復帰を承認し、
後台湾のあり方を住民投票で決めようという主張である。

日本は台湾をSF条約によって放棄させられた側であり、
一切望んだことではないが、日本にも責任があるとする理由は、
SF条約では「領土権利」を放棄させられただけで
「領土主権」は未だ日本が擁し、台湾島民の同意無しで
一方的に日本国籍を剥奪したのが理由とのこと。

去年や一昨年に同代表団が天長節の一般参賀参加や靖国神社参拝をしている。
彼らの主張は『大日本国領土の完全復帰を期する声明(平成24年9月11日)』
等いくつかの声明文があるので、そこから読み取れる。

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China Invades Japanese Senkaku Islands 【Gemki Fujii 藤井厳喜】
http://www.youtube.com/watch?v=taqsm7L9Q1I

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どの国も、さかのぼれば、どんどん小さな単位になっていく。
何を根拠に何年何月何日の時点にまで、さかのぼるのか。

あとになって「あの時は異議を唱えにくい政治状況だったから・・・」
というものを考慮してたいら世界は紛争地だらけになる。

インディアンは異議を唱えにくい政治状況にあった、
だからアメリカはインディアンのものだ・・・

ハワイ人は異議を唱えにくい状況にあった、
だからハワイはハワイ人のものだ・・・

コサック人は・・・アイヌ人は・・・

どれかを認めれば、
それにより不利益を受ける人たちの新たな問題が発生する。

アラスカは昔、ロシアからアメリカへ720万ドルで売り払われた。
それについて、あの時はロシアの経済が苦しく不公平な状況で売買された、
国際的に異議を唱えにくい状況にあった・・・
などと今になってロシアがアメリカに文句をつけられるだろうか。

大東亜戦争の戦後処理条約である1952年4月28日発効の
サンフランシスコ平和条約(49ヵ国が署名)と
(このとき中国は何ら異議を唱えなかった)
日本とアメリカが1971年6月17日に署名した沖縄返還協定により、
尖閣諸島を含む沖縄は日本の領域だと確定されている。

国際的に約束され、承認された事柄は覆せない。
無理に覆せば、それは正統ではなく違法な行為となる。

当時、世界中が認めた事を、
今の人々の感情で不当に覆すなら、それは不法となる。

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【関連記事】

中国の南シナ海支配を否定 仲裁裁判所「歴史的権利なし」と判断

産経ニュース 2016.7.12 18:14 http://bit.ly/29JSlTl
http://www.sankei.com/world/news/160712/wor1607120031-n1.html

南シナ海をめぐる中国の主張や行動は国連海洋法条約違反などとして
フィリピンが申し立てた仲裁手続きで、
オランダ・ハーグの仲裁裁判所は12日、
中国が「歴史的権利」として主張する「九段線」について
国際法上の根拠は認められないとの裁定を公表した。
南シナ海のほぼ全域の主権を主張して強引に進出する中国に対し、
初めて国際法に基づく判断が下された。

裁定は、南シナ海で実効支配の拡大を目指す中国側の主張を退ける内容。
中国は一貫して裁定を無視する姿勢だ。
罰則など強制的に裁定に従わせる手段はないが、
国際社会が司法判断の尊重を求める圧力を高めるのは必至。
中国の立場は苦しくなる一方、
南シナ海情勢は一段と緊迫化する可能性がある。

中国が「歴史的権利」として
南シナ海のほぼ全域を取り囲む形で主張する「九段線」については、
仲裁裁判所は管轄権を留保していたが、今回の裁定で中国の主張を退けた。

今回の仲裁は2013年1月、フィリピンの申し立てを受けて開始。
中国は参加を拒否したが、仲裁裁判所は昨年10月、15項目の訴えのうち
7項目で管轄を認め、同11月に中国抜きで口頭弁論を開いていた。

仲裁は海洋法条約で海洋紛争を解決する手段の一つとして指定されており、
全当事者が受け入れなくても手続きを進めることができる。
裁定は最終的な判断のため、上訴はできない。

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南シナ海仲裁裁判 中国「判断は紙くず」

NHK NEWS WEB 2016年7月13日 18時31分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160713/k10010594261000.html

南シナ海を巡る国際的な仲裁裁判で、
フィリピンの主張を全面的に認める判断が示されたことに対し、
中国外務省の幹部は「判断は、紙くずであり無効だ」と反発するとともに、
フィリピンとは今回の判断を踏まえた対話であれば
行うつもりがないと強調しました。

南シナ海を巡り、フィリピンが申し立てた国際的な仲裁裁判で裁判所は、
12日、中国が南シナ海のほぼ全域に管轄権を主張しているのは、
「法的根拠が無く、国際法に違反する」という判断を示し、
フィリピンの主張を全面的に認めました。

これを受けて中国外務省の劉振民次官が13日記者会見し、
仲裁裁判は、フィリピン政府が一方的に申し立てたものだと批判し
「判断は、紙くずであり拘束力は無く、無効だ」と述べ、強く反発しました。

そのうえで「今回の判断に基づいて行動を起こせば、
それは新たな不法行為であり、中国政府は必要な手段を用いて阻止する」
と述べて、フィリピン政府の今後の対応しだいでは、
強硬な措置をとることもありうるという考えを示して、けん制しました。

さらに劉次官は「フィリピンのドゥテルテ大統領は、
中国側と南シナ海問題について、協議を行うことに
前向きな姿勢を示しており歓迎する」と述べる一方、
「仲裁裁判の判断は脇に置いたうえで話し合いの場に戻るべきだ」
とも述べて、フィリピンとは、
今回の判断を踏まえた対話であれば行うつもりがないと強調しました。

中国政府がこうした強硬な発言を繰り返す背景には、
領土主権にまつわる問題で弱腰ともとれる姿勢を見せれば、
国内から批判を浴びると懸念していることがあるとみられます。

■中国外務次官「仲裁裁判は柳井氏が操った」

中国外務省の劉振民次官は、13日の記者会見で、
今回の判断を無効だと主張する理由の1つに、
仲裁裁判の仲裁人5人のうちの4人が
当時、国際海洋法裁判所の所長だった日本の柳井俊二元駐米大使によって
任命されたことを挙げました。
劉次官は、柳井氏について「安倍政権の安保法制に関する
懇談会の座長を務め、安倍総理大臣を支援して集団的自衛権の行使を可能にし
第2次世界大戦後の国際秩序に挑戦した人物だ」と説明するとともに、
「今回の仲裁裁判は、完全に柳井氏が操っており、
仲裁裁判の過程においても影響を与えた」と述べました。

■中国紙も反発

南シナ海を巡る国際的な仲裁裁判の判断を受けて、
13日朝の中国紙の多くは、1面に、習近平国家主席の
「南シナ海の島々は中国領土だ」という発言や、中国が主張する南シナ海の
ほぼ全域にわたる管轄権を記した地図を掲載しています。

ほとんどの中国紙は、国営の新華社通信の記事を掲載し
「仲裁裁判の判断を受け付けない」とか「判断は単なる紙くずだ」
といった見出しをつけて、
仲裁裁判の判断を無効だとする中国政府の主張を伝えています。

また、中国共産党の機関紙・人民日報は1面に論評記事を掲載し、
「中国はあらゆる必要な措置をとり、
領土主権や海洋権益が侵されないよう守る。
中国人民のそれらを守る決心は断固として揺るがない」
として強硬な措置も辞さない姿勢を示しています。

今回の仲裁裁判の判断では、
これまで中国政府が国内外で行ってきた領土主権に関わる主張が
「法的根拠がなく、国際法に違反する」と全面的に否定された形です。
このため、習近平指導部は、国民の批判が政府や党に向かうことを警戒し、
これまでの主張は正しく、仲裁裁判の判断が誤りだと強調することで、
国内の批判をかわすねらいがあるとみられます。

■中国版ツイッターも反応

南シナ海を巡る国際的な仲裁裁判の判断を受けて、
中国版ツイッター「ウェイボー」では、
「南シナ海の水は、一滴も渡さない」とか、
「祖国や領土を守れ」といった書き込みが相次いでいます。

とりわけ、「中国は、何一つ欠くことはできない」ということばが、
頻繁に書き込まれていて、南シナ海における主権や権益は、
あくまでも中国にあるという声が多く見られます。

また、「フィリピン製品をボイコットしよう」などと、
バナナやドライマンゴーといったフィリピンからの輸入品を
購入しないよう呼びかける書き込みも相次いでいます。

中には、仲裁裁判の仲裁人の任命に、
日本人が関わったことを批判する書き込みもありました。

一方で、「中国政府も、仲裁裁判に参加すべきだったのではないか」などと、
中国政府の主張や対応を疑問視する声も一部にあるものの、極めて少数です。

中国政府は、これまで、南シナ海を巡るみずからの領土主権の主張が正しいと
国内外で繰り返し強調してきたため、当局が管理するインターネットでは、
政府の主張に沿った意見が多く掲載されているとみられます。

■EU大統領 「中国は受け入れるべき」

一方、EU=ヨーロッパ連合のトゥスク大統領は、
南シナ海を巡る国際的な仲裁裁判の判断について、
「EUは、国際法を遵守する立場から全面的な信用を置いている」と述べ、
中国は裁判所の判断を受け入れるべきだという考えを示しました。

これは、13日までの2日間、中国の北京で行われた
EUと中国の首脳会議のあとの記者会見で述べたものです。
トゥスク大統領は、会議の中で習近平国家主席らと南シナ海の問題についても
意見を交わしたことを明らかにし、
「われわれの立場との隔たりはあるが、
中国側の主張については、習主席から明確に示された」としたうえで、
「裁判の判断が、南シナ海における対立を解消するきっかけになることを
期待する」と述べ、中国に対し、平和的な解決を求めました。

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南シナ海中国イライラ?
12日に領有権司法判断 仲裁人選定「日本が介入」
西沙で実弾演習米けん制

西日本新聞朝刊 2016年07月10日 03時05分
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/world/article/257870
(前略)
仲裁裁判所で仲裁人を務めるのは欧州出身者4人、
アフリカ出身者1人の計5人。
国連海洋法条約に基づき申し立てを行ったフィリピンが1人を指名。
中国は参加を拒否したため、規定に従い、
国際海洋法裁判所の当時所長だった柳井俊二氏(日本外務省OB)が
4人を任命した。
(後略)

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2010/02/02 06:00|年表リンク用資料
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