正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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15世紀から19世紀の前半まで奴隷貿易がおこなわれた。

奴隷とは、人間としての権利・自由を認められず、
家畜や物と同じように所有され譲渡・売買され、
他人の支配の下に労働を強制される人々のこと。

日本には、古代から奴隷と言う言葉も奴隷制度などの風習もなかった。
日本では、同じ人間を牛馬と同じ感覚で家畜のようにこき使い、
商品として売買するなどという非人間的なことは
とても考えられなかったのである。

ヨーロッパの白人たちが有色人種を奴隷にして罪の意識を感じなかったのは、
旧約聖書に都合のよい解釈があったからである。
造物主の神は、その代理人としてまず人間を作り、
その下に被造物の動物、その下に万物を作られた。

人間は神の代理人であるから、動物を家畜として支配し殺し、食べてもよい。
奴隷は家畜と同格だから人間のためすべてを捧げるのは当然とする。
キリストの神の教理による奴隷制度の正当化により、
南北アメリカやアフリカ大陸で、白人の人間家畜としての奴隷の大量貿易、
大量酷使、大量殺戮が行なわれたのである。

最初にアメリカ大陸に到着したスペイン人は、
先住民から金銀宝物を略奪し、反抗する住民を殺戮しまくった。
そのため鉱山の採掘を行なう労働者や、砂糖、コーヒー、タバコといった
白人に都合のよい植物耕作のための人手が足りなくなった。
そこで白人が思いついたのが、
アフリカから黒人奴隷をアメリカ大陸に連れてくることだった。

16世紀から18世紀にわたる奴隷貿易は、
ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ大陸の三大陸にまたがる三角貿易によって
欧州に莫大な利益をもたらした。
これに参加した国は、
ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリス、フランスである。
最も巨利を博したのはイギリスとフランスである。

奴隷商人たちは、ヨーロッパから安物のビー球、銃器、木綿の工業製品を
持ってアフリカ・ギニア海岸に行き、黒人奴隷と交換し、
奴隷をブラジルや西インド諸島に売り飛ばした。
それで得た金で砂糖、綿花、タバコ、コーヒーなどを買って
船に積みこんでヨーロッパに帰った。

推計では16世紀は90万人、17世紀は300万人、18世紀は700万人、
19世紀は400万人が奴隷として売買されたと言われている。
概算1500万人だが、1人の黒人を新大陸に連れて行くまでに
5人の黒人が船の劣悪な環境により死亡したという推計があるから、
アフリカから働き盛りの黒人が数千万人から1億人近くが
連れ出されたことになる。

黒人奴隷を一番多く移入した国はカリブ諸島で約40%、
次に砂糖のプランテーション労働などのためにブラジルへ38パーセント、
残りはアメリカ南部のプランテーションである。

その後、ヨーロッパ列強によってアフリカは分割され植民地支配される。
現在のアフリカの貧困、民族紛争も、
すべて白人の勝手な収奪、不合理な民族分割の結果である。

なお、16、17世紀に新大陸から大量の金銀がヨーロッパに略奪された。
その過酷な鉱山労働に、インディオと黒人奴隷が酷使された。
ヨーロッパにもたらされた金銀は、
やがて産業革命からヨーロッパ資本主義の原資となった。
また、この金でヨーロッパ商人はアジアから香辛料、茶、ゴムなどを
大量に買い入れて儲けた。これもヨーロッパに巨万の富をもたらした。

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以下、「さてはてメモ帳 Imagine & Think!」 より引用
http://bit.ly/WTFJXs
http://satehate.exblog.jp/8816674
http://megalodon.jp/2013-0114-0955-05/satehate.exblog.jp/8816674

「闇の奥の奥」藤永茂 三交社

かつてアフリカのコンゴでは、
無数の大規模ゴム農園で、黒人が凄まじい奴隷労働を強制された。

「闇の奥の奥」藤永茂 三交社 P28


黒人には1日に採集するゴムの量が1人1人割り当てられた。
1日でもその割り当てノルマが達成できなければ、
その黒人奴隷の手首をオノで切断し、制裁を加えた。
相手が少年であっても容赦されなかった。
本書に掲載されている写真が残されているという事は、
写真という技術が登場し、しかもアフリカの奥地にまで持ち込める
携帯用のカメラが開発・販売されるようになった
つい近年まで、黒人奴隷の手首切断が実行されていた事実を示す。

「闇の奥の奥」藤永茂 三交社 P79
切り落とされた黒人奴隷の手首を持つ黒人の写真


逆らった黒人、病気・ケガで働けなくなった黒人を
射殺する事を農園の監督人に命じた。
しかしライフル銃の弾丸を節約するために、殺害に使用した弾丸の数と
同一の数の黒人の手首を持ち帰る事を監督人に要求した。
殺害された黒人1名につき弾丸1個しか使用してはならない、
という弾丸の節約命令が出されていた。
黒人の命より、弾丸1個の方が「もったいない」という事である。
一方、監督人は木の棒等で黒人を撲殺し、弾丸を未使用のまま残し、
「黒人が逆らったので銃殺した」とウソの報告を行い、
弾丸を銃器販売店に横流しし、
その利益を小遣いとして着服する事が常態化していた。
つまり逆らってもいない黒人を撲殺し、
弾丸を横流し販売する事で小遣いが得られた。
監督人達はビール1杯を飲む小銭のために、
逆らってもいない黒人を殴り殺し続けて来た事になる。
この大虐殺を知り、写真を撮り、
世界に知らせた勇敢なジャーナリストが3名いたが、
最初の告発者ワシントン・ウィリアムズ(41歳・1849-1891)は、
何者かによって毒殺され、
盟友の毒殺にも屈せず告発を行なったジャーナリスト、
ロジャー・ケースメント(1864-1916)も国家反逆罪で逮捕されて
絞首刑となった。
3人目のE・D・モレル(1873-1924)も逮捕され、
ケースメントと同じ刑務所に収監され、出獄後に病死している。
こうした写真は、この勇敢なジャーナリスト達が
自分の命と引き換えに撮影してきたものである。

「闇の奥の奥」藤永茂 三交社 P142 には、
南アフリカで絞首刑で木に吊り下げられ「さらし者」にされている
3名の黒人奴隷の死体の写真が掲載されている。


裁判等抜きで、白人が気に入らない黒人を自由にリンチ処刑している。
同時に、リンチにされた黒人の姿を
「満足気に葉巻を吸いながら眺めている白人達の姿」も撮影されている。
有色人種をリンチ殺害する事は、大好物の葉巻を吸いながらそれを眺める程、
最もリラックスできる楽しい時間であった事を、この写真は示している。

1日の仕事量のノルマが達成できない場合は手首をオノで切断されていた。


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ガーディアン紙。
飢餓は大英帝国によって植民地をコントロールするために使用された。
http://bit.ly/V74Ucn
http://inbou343.blog.fc2.com/blog-entry-330.html
http://megalodon.jp/2013-0114-0955-36/inbou343.blog.fc2.com/blog-entry-330.html




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プランテーション
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-10.html
奴隷商人
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-11.html
奴隷貿易 http://bit.ly/2pNP1w5
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-9.html

アメリカ軍やオーストラリア軍の蛮行
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-162.html
2010/04/23 01:00|年表リンク用資料
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