正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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「これが植民地の学校か」
“老台北”蔡氏が戦前台湾の「綜合教育読本」復刻出版 2007年2月26日

司馬遼太郎著「台湾紀行」に博覧強記の
“老台北(ラオタイペイ)”として随所に登場する実業家の
蔡焜燦(さいこんさん)氏(80)が、
日本統治時代の台湾で台中州の清水(きよみず)公学校の課外学習用に
使われた「綜合教育読本」の復刻版を自費出版した。

日本が植民地支配した戦前の台湾では、
主に内地から来た日本人子弟向けの小学校に対し、
台湾人子弟向けに置かれたのが「公学校」。

昭和8(1933)年4月に清水公学校に入学した蔡氏によると、
同公学校ではすでに当時、全校の30教室に音声が流れる校内放送設備や、
一部の教室と大講堂には18ミリ映画の設備が備えられていた。

こうした視聴覚教育の副読本として
独自に編集されたのが「綜合教育読本」。
毎日流される童謡や神話、歴史物語、浪花節、国民模範朗読、琴や尺八の
調べなどのテキストだった。

蔡氏は中でも、日本代表が金メダルを7つ獲った
32年ロス五輪の歌「揚がる日の丸」(四家文子独唱)を
校内で聞いたときの感激が今も忘れられないという。

蔡氏は、当時の日本が台湾の子供にも最先端の教育を施す努力をし、
その知識や考え方が、戦後うなぎの養殖やIT(情報技術)事業で
成功した蔡氏など、戦前生まれの台湾人の生き方に
大きな影響を与えたと考え、読本の復刻に踏み切った。

「これが“植民地”の学校だろうか」と
蔡氏は、現代を生きる日本人に問いかけている。(河崎真澄)
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