●正統史観年表 戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳 |
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台湾のラジオ放送局 脅威のMaid in Japan
2000年1月9日 By Yi-Fen Hsieh ラジオ放送の始まり。 台湾のラジオ放送は1928年(昭和3年)に始まりました。 台湾総督府交通局逓信部下の台湾放送協会によるものです。 この放送局を受け継いだ中広(BCC)が選挙問題のなかで燻っています。 台湾中部にある雄民放送局に訪問しました。 この放送局は1940年(昭和15年)に完成したのです。 出力は100KWで当時台湾最大の出力でした。 この設備は最近までつかわれておりましたが、 現在放送資料館となり保存されています。 驚きの日本製品 放送設備の大部分は日本電気製品で 昭和15年1号機のプレートが入っています。 芝浦製作所、日立製作所、理化学興業、鶴見製作所等製品だそうです。 技師の説明によれば有名で一流の品なのだそうです。 後日据付られた機材以外はすべて日本製だそうです。 碍子のマークは松の枝に風下にKYOTOと書かれていました。 綺麗なロゴです。 放送の塔は206Mだったそうです。 このような塔は今ではありません、 どうやって建てたかと不思議に思いました。 設備は日本から船で運びこまれ、 放送局のために支線か架設され鉄道で運びこまれたそうです。 支線の貨車に載らないケーブルは4頭だての牛で 運ばれてきたのだそうです。 写真をみてください住友電気と書かれています。 (住友電気は今でもありますか?)なにもかもが日本製なのです、 59年間、まもなく60年になります。 驚いたことは未だに使えるということです、 50年も60年もたっても使えるということです。 日本時代(私たちは日本植民地時代をこのように呼びます)に 放送を東南アジアや中国南京まで放送していたそうです。 今から思っても巨大な建設、設備、費用であったことであると思います。 日本製の威力を感じるものでした。 日本時代を世襲した技師技術は受け継がれるものであるということを 知らされました。 年配の技師たちは今でも日本語教科書を自慢で見せてくれました。 技師の誇りは日本時代にこの設備の保守を始め、 教えられた技術を基本に自分で改良して保持しているという誇りです。 話を聞くと1冊の歴史物語ができてしまいます。 不思議なことに日本時代を知っている人たちは一様に 戦後中国から遣ってきた技術はどうにもならなく、 日本時代の設備、技術が優秀であったかを誇ります。 第二次大戦後、日本人は日本に帰り、 台湾には国民党政府の人が大陸からやってきて覇権を握りました。 放送局も大陸から来た官僚や技師が覇権を握りました。 放送局は国民党下の管理となりました。 しかし技術の管理はできなかったそうです。 日本時代に築き上げた技術はそうたやすく世襲できるものではありません。 管理方法から、保守方法は日本時代からの方法により運営されました。 大陸から来た技師では機械は動かないのです。 日本時代の優秀な技術力を習得した人の勝ちでした。 世界大戦後直後のある放送局のことです。 新しく責任者になった技師長は指揮をして 日本時代の放送設備を改良して動かそうとします。 しかし作動しないのです。 日本製でも、アメリカ製品も電気論理には変わりないとの 自信が新技師長にはあったのでした。 1ヶ月たっても動きません、地区の放送は始まりません、 中央からは催促の催促です。 これでは新しい局長の地位も危ないとう騒ぎにまでなりました。 隣の放送局の優秀な(日本時代から勤務している)台湾人技師が 密かに呼ばれました。勤務時間が過ぎてからです。 彼は夜局舎の電灯もつけずに懐中電灯の下心の知れた数人の台湾人と共に 修理します。夜を徹して修理しました。 そして最後の接続を残して終わりにしました。 その後、技師長と台湾人技師は密かに打ち合わせをしました。 翌朝、技師長が皆の前で仕事の段取りを指示します。 ある回線を結線するように指示しました。 接続するとなんと1ヶ月も動かなかった放送設備が 動くようになるではありませんか。 局の職員は技師長に拍手喝采で技術力の高さを称えたのでした。 放送開始のお祝いも中央から届きます。 局長が人々の賞賛に答えるに忙しい間。 台湾人の技術者は自分の技術力に満足し、殴られながら覚えた技術、 教えてくれた日本人を思い出しながら、 自分の局の当直時間に間に合うように汽車で自分の放送局に戻るのでした。 その後技師長と台湾技師は仲良くなり新技術導入をしていったとの事です。 他の技術界でもこのような事が当時日常であったといいます。 急激な歴史の変化による社会のひずみでした。 しかし技師には自信と誇りがあり満足し日本人と日本から学んだ技術が 今でも好きであることには変わりません。 台湾殖民時代に残していったものは建物や設備でもなくて、教育と技術、 そしてシステムだと言われています。 しかし、今問題になっているのは有形な放送局です。 日本時代の放送局は何時の間にか国民党のものになってしまいました。 統制の時期には放送局は数局しかありませんでしたから 広告は自然と数少ない放送局に集まります。 巨大な利益を長年の間に受益することができたのです。 今回も宋氏の疑惑の資金源は中広が拠出している事が判明しました。 老技師は取材後の雑談の中で 「なにもかもがでたらめだ。一体誰に投票したら良いのか。」 と嘆いたのでした。 http://megalodon.jp/2009-0208-1335-54/homepage1.nifty.com/MYO/SUB11/sub11.html ケーブルの運搬 ![]() |
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